【時間に追われているというより時間をかき集めている】
少しずつ仕事を片づけながら、少しずつほっとしていく。昨日は大物だと思っていた母(含む私と連名のもの)の年賀状300枚を片付けたので、だいぶ楽になった。私個人の分は100枚ほどなので、その労力はずっと少なくて済む。会社の経理事務の方もどうしてもやらなければならないことは済ませたし、だいぶ気が楽になった。仕事は明日まであるのですべて終わったというわけにはいかないが。
昨日も書いたけれども、私はどうも仕事をしているとその目的とか意義とかいうことよりもとにかくその仕事をこなす、終わらせる、という方に一生懸命になり過ぎるところがあって、分刻みで仕事を詰め込み、それが目論見通りに進まないといらいらする、という感じになってしまう。昨日も仕事をスムースに流すための準備を考えていてそれが上手くいかないのでいらいらしていた時があったのだけど、仕事をスムースに流すための仕事がスムースに流れないことでイライラするなんていうのは考えてみたら滑稽だな、とふと自分で可笑しくなった。仕事中に流れを切るのはあまりよくないけれども、まあ仕事前に準備できなかったらそうしたってそんなにすごく大変になるわけでもないなあと思い、肩の力を抜いた。
ある意味スムースに仕事を流している自分、というものに陶酔しているというか、「仕事を難なくこなせる自分」みたいなものを無意識に理想にしているところがあるんだろう。何のためにそれをするかより、とにかくまず片付けるという。
なるべく、自分のやりたいことを先にやってから、つまりモーニングページやブログやそのほかの文章を書いてから仕事にかかるようにしてはいるのだが、時間が決まっているものもあり(ごみ出しを昼にやるわけにはいかない)どうしてもなるべく多く空き時間を確保するということがいつも考える課題になってしまう。時間があればいいというものではなく、物を書いたり考えたりするには場所も余裕も場合によったら資料もネット環境もさまざまなものが必要になって来るわけだから、細切れのとりあえずの場所と時間で書けるわけでもない。何というか一日中そのための準備に追われているという感じになる。
時間はあればある程書きたいものは書けるわけだから、どうしても常に時間に追われているというより時間をかき集めているという感じになっている。金の亡者ならぬ時間の亡者という感じだが、時は金なりというけれども、金も大事だが時はもっと大事だという感じがする。
書くことがすなわち生活の手段、になればそれらの点はだいぶ解消されると思うので、そのためのトライをいろいろ試しているというのが現状というところだ。