サイパンのなぎさで
中部太平洋の戦没者慰霊のため、天皇皇后両陛下がサイパン島を訪問されている。沿道からは「ありがとうございます」という声が上がっているという。両陛下の鎮魂により、太平洋のさざなみや荒波を聞きながら眠るすべてのみたまの安らかならんことを願わずにはおられない。
両陛下は当初の予定に示されなかった韓国人・沖縄出身者の慰霊碑にも拝礼された。そのことに対して表明はしなくても心から感動している人は多いに違いない。韓国の新聞は前日には訪問されないことを非難する記事が載っていたかと思ったら、今日は4分しか拝礼しなかったとばつが悪そうな非難をしている。全く相手をするだけ無駄というようなものだが、日本側がどんなに誠意を尽くそうと全然無意味だということがこれだけあからさまになることも珍しい。韓国の新聞が市民社会の報道機関として成熟するということは百年河清を待つようなものなのだろうか。
そんなことに気分を悪くしていても仕方がない。あの青い海で起こった惨劇の本当の意味での鎮魂は、やはり両陛下が拝礼されるまで終わらなかったのだろうと思う。歴史の波の彼方に、ようやく慰められた霊たちが昇天しつつあるのを感じる。
今上天皇陛下は、今まで多くの場合、昭和天皇の例を踏襲されることが多かったが、最近は天皇としてどう動くべきなのか、ご自身の哲学というかそういうものを基準に目の覚めるような行動をされることが多い。それは皇后陛下にも感じることがよくある。日本にはやはり天皇という存在が必要だと改めて思う。
四方の海皆はらからと思う世になど波風の立ち騒ぐらむ
言うまでもなく明治天皇の御製だが、韓国・北朝鮮・中共政権方面ではよくわからない波風が相変わらず立ちっぱなしである。
特に中国は、日本人学校の教材を検閲し、気に入らないものを没収したばかりか罰金を科したりしたらしい。表現の自由とか思想の自由とかの全くないこの国に対し、日本大使館は抗議をしなかったばかりか口をつぐんで事態を明らかにもしなかったらしいし、政府は抗議をする気もなく、日本に責任があるのかもっとちゃんと調査したほうがいいと思われる毒ガス問題ではあっという間に陳謝している。開いた口がふさがらないというか、腰抜けとののしる以前に、ある種の変態なのではないかと思われるような外務省の対応である。
安徽省ではまた一万人規模の暴動が起こったらしい。例によって中共当局は黙殺である。どうしてこんな国家に気を使うのか、どうしてこんな国家に経済的に進出しようとするのか、私には全く理解できない。1945年と同様、すべてを失って命からがら引き上げることになるだけなのではないかと思う。自業自得というには余りに巨大な損失を出して。
信州は雨もよいで、涼しい。いつも帰郷の際は寒くて嫌だなと思っていたが、今回ばかりは酷暑の東京を離れられるのがありがたい。