16.「冷戦」とはなんだったのか:資本主義イデオロギー国家であるアメリカと共産主義イデオロギー装置で荘厳されたパワーポリティクス国家ソ連との対立(03/14 06:26)


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アメリカがそのように「ソ連は共産主義の輸出により世界革命を図っている」という幻影に怯えたのは、アメリカ自身が「資本主義市場経済の拡大により世界を民主化する」というイデオロギー的理想を持っていたから、という指摘が上記の書評にあるけれども、これはその通りだと思う。アメリカ自身が千年王国的な自由主義の夢を持ち、「ファシズムとの戦い」に勝利したことでさらに自信をつけ、「黄金の50年代」を謳歌していても、ソ連は不気味な存在だった。スターリンの死去とフルシチョフの「スターリン批判」は各国の共産主義陣営に激震をもたらしたが、アメリカはその深刻な意味を十分には理解していなかったのだろうという気はする。「イデオロギー対立」という半ば仮構の物語に踊らされていたのはむしろアメリカの方だった、というのは当たっている気がする。もちろんソ連のシンパの国々や活動家たちもいい面の皮ではあるわけだけど。

ただスターリン批判は共産主義陣営内で、ソ連の忠実な追随者であった中国共産党・毛沢東の反発を招いた。ある意味ソ連崩壊はこの時に始まった、とみることもできる気はする。米ソ両国は原水爆の開発や宇宙開発においてしのぎを削っていたが、幻想であろうと現実であろうと米ソは確かに対立していたのであり、お互いに国力と科学力の全てを傾けて開発を続けていたわけだが、ソ連から離れて共産主義を徹底しようとする中国の路線は当然アメリカとも相いれず、第三の大国たるを目指さざるを得なかったわけで、その大きな一歩が1964年の中国による核実験の成功ということになる。中国はさらに1966年から文化大革命を始めてイデオロギー的な引き締めをいっそう図ったわけで、アメリカはもとよりソ連に対しても方向の純粋性を誇示し、毛沢東の「農村が都市を包囲する」といった第三世界の国々での革命の実現性を感じさせる理論の提示などにより、ソ連ではなく中国の指導に可能性を見出す国や集団も現れたわけである。

こうした状況下で現れたのがニクソン政権のキッシンジャーだったわけだ。彼は民主党政権がイデオロギー的な色眼鏡によって始めたベトナム介入を批判し、理想(イデオロギー)より現実(パワーポリティクス)を重視すべきだという立場から外交を行い、ソ連から離れて孤立している第三の大国・中国に目をつけたわけである。キッシンジャー主導でアメリカは中国と国交を回復し、中国もまた、イデオロギー対立だけでなく中ソ国境紛争というリアルな対立がソ連と起こったこともあり、それに乗ったわけである。

中国では周恩来がアメリカとの関係改善を主張していたが毛沢東の反対で上手くいかず、親ソ派の林彪が主導権を握ったが、中ソ対立が激しくなったから毛沢東もソ連を牽制するために米中国交正常化というウルトラCに踏み切ったのだろう。反対した林彪はソ連へ亡命途中で墜落事故で死亡した。(こう考えてみると批林批孔運動というのはソ連に近い林彪とアメリカに近づこうとする周恩来(孔子に例えられた)の双方を毛沢東が批判する構図だったのだなと了解できる)

「世界を変える」といういう意味では共産主義のイデオロギーが強い影響力とシンパシー、一方では恐怖心を与えたことは間違いなく、そういう意味では共産主義のイデオロギー的盟主、指導者は誰かというのは重要な問題だったと思うので自分なりにまとめてみる。

当然ながら、マルクス・レーニン主義というくらいだからマルクス・エンゲルスに荘厳されたレーニンの世界認識理論・闘争理論が最も強い権威を当初は持っていたわけで、スターリンとトロツキーの理論闘争以降はより強権的・全体主義的なスターリン主義が主導権を握り、各国共産党・シンパも基本的にはスターリン・コミンテルンの指導に従ったわけである。

しかし対日戦争の途中から中国共産党内部で主導権を確立した毛沢東は必ずしもコミンテルンの指導に従わず、いわゆる「長征」を行って根拠地を移し、その中で「農村が都市を包囲する」という独自の闘争理論を打ち樹てた。本来都市革命理論だったマルクス・レーニン主義が農村根拠の闘争理論としての毛沢東理論が生み出されたことで共産党の闘争方法の多様化が始まったわけである。

対日戦争をやり過ごし国共内戦に勝利して大陸のヘゲモニーを握った中国共産党は毛沢東をカリスマ的指導者として中華人民共和国を打ち立てたが、冷戦の最初のリアル戦争であった朝鮮戦争は金日成の冒険主義で始まり、一度は国連軍に追い詰められたものの、中国の義勇軍によって現在の軍事境界線まで押し戻し、この面でも中国の権威は高まることになる。

ソ連は第二次大戦終結後、米英側の譲歩により東欧に支配圏を確立し、より強固なソビエトロシア防衛壁を築いた。スターリンの生前は安定した状況で原爆や水爆の開発も実現し、恐慌状態に陥ったアメリカにマッカーシーの赤狩りを巻き起こすなどしたが、スターリン死後のフルシチョフによるスターリン批判により毛沢東の中国が離れていく。

一方で強いアメリカの影響下にあったキューバで革命が起こり、いわゆるキューバ危機で「共産主義の脅威」を強く実感したケネディ政権はドミノ理論(一国が共産化するとドミノ的に周囲も共産化する)を採用してインドシナの紛争に介入することになる。


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