大学などにおける「異文化コミュニケーション」というものでも、「差別はやめましょう」「自分たちが譲歩して多文化共生でいきましょう」というようなことは強く押し出しても、「アジア人差別を受けたらすぐにそれをやめるように強くいうべき」というようなこと、またその時にどのような態度を取るべきか、どのような行動を取るべきか、というようなことは指導されないように思う。実際に多文化共生、あるいは国際間平等を達成するためにはそれは避けて通れないことなのだが、屈辱感を実感させるようなことよりも、お題目を言って偽りの優越感に浸っている方が自我が傷つかないで済む、みたいな感じになっている印象がある。
だからアカデミー賞授賞式で現れたことは現実の一断面に過ぎないと思うのだけど、例えネットででもそういう実態があることやそういうことを訴えていくことは重要だろうと思う。
これは弱者憑依をしてアファーマティブな対応を求めることではなくて、人として当然の扱いを要求するに過ぎないというところにポイントをおくべきだと思う。
アメリカはローカルな野球リーグの大会をワールドシリーズと呼ぶような稚気のある国なのである意味露骨ではあっても正直な面もあるわけだけど、ヨーロッパは差別は悪いという前提を踏まえた上でギリギリアウトくらいの差別をしてくるのでもっとタチが悪いということはある。差別されていることに気がつかないのだけどなんか寂しい気持ちがしてその理由がわからなない、みたいな感じになったりする。
まあコミュニケーション能力がないとそういう場面での対応ができないということはあるので、そこは頑張る必要はあるのだとは思うのだけれども。