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こうの史代『夕凪の街・桜の国』

夕凪の街桜の国

双葉社

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夕方から町に出て、オアゾの丸善で本を物色。小林よしのりの『わしズム』の次の号にこうの史代が描くという話を思い出し、『夕凪の街桜の国』を読んでおこうと思って探すが、もう平積みではなくなっていた。検索で調べて棚に一冊残っているのを見つけ、購入。

『夕凪の街桜の国』は読了。「生きる」ということに抵抗を持つ皆実が悲しい。愛を打ち明けられても八月六日のことを思い出し、「そっちではない/お前の住む世界はそっちではないと誰かが言っている/八月六日/何人見殺しにしたかわからない/塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれきり戻れなかった」「羽根を焼かれためじろが地べたを跳ねていた」「死体を平気でまたいで歩くようになっていた」「川にぎっしりと浮いた死体に霞姉ちゃんと瓦礫を投げつけた/なんどもなんども投げつけた」「あれから十年/幸せだと思うたび/美しいと思うたび/愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し/すべて失った日に引きずり戻される/お前の住む世界はここではないと誰かの声がする」この詩情をもって原爆被災を語れる作家が、今までいただろうかと思う。リアルでは耐えられない、抽象では響かない。この詩情だけが、原爆という人類の悲惨を語りえるのだと思う。これをセンチメンタルな美化だという意見もあろうけれども、やはりこの詩情がなければ長く語り伝えられるものにはならない。戦争体験の風化が言われるけれども、この詩情への昇華を、人はいままで怠ってきたのではないか。現代人は、詩情によってしか、記憶を伝えることは出来ないと思う。生々しい表現では、かえって伝わらないのだと思う。こうのの詩情は、原爆被災の恐怖と悲しみとやるせなさと非人間性を過不足泣く伝えているといっていいのだと思う。逆に言えば、これ以上は人間には無理なのだと思う。

「平野家の墓」と刻まれた墓石に、昭和二十年八月六日とそれに近い年月の間に亡くなった人の名前が並んでいるのを見ると、それで十分に何があったか、生々しく感じる。

「生まれる前/そうあの時わたしはふたりを見ていた/そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」これが、作者のこうのが出した答えだろう。それもまたある種のセンチメンタリズムだという批判は必ずあるだろうが、それ以上の表現がこうした事柄に十分な共感を呼び起こせるかどうか、と考えればここまでではないかと思う。

戦後世代が過去の戦争を語る困難さに、この作品は新たな可能性を示したように思う。そして詩の言葉が持つ新たな可能性を、私は感じることが出来た。たとえばこれは『朗読者』におけるホロコーストを語る言葉とも通じるものがあるような気がする。何があったのか、を心から心に伝えるためには、そうした表現が不可欠なのだと思う。

ただまあもちろん、このあたりは私がそれなりに原爆についてあらかじめ知識があるということはあるだろう。『はだしのゲン』を読んだこともなく原爆資料館にいったこともなく被爆者の話を聞いたこともなく、教科書の文字を追ったことしかない人にとってこれだけの表現ではやはり不足なのかもしれないとは思う。(我々の子供のころには、原爆の悲惨さを訴える表現は今に比べれば相当たくさん、どこにでもあったような気がする。)しかし、そういう人にとっても知ろうとするきっかけにはなるのではないか。それだけの表現力は持っていると思う。(7.16.)

今日は原爆忌。アメリカが広島に原爆を投下し、世界最初の核兵器が日本に対して使用されてから今年で61年。ある意味遙か昔のことだが、こうの史代『夕凪の街 桜の国』といった優れた作品が生み出されるほどには、日本の人々にまだ大きな傷跡を残している。起こったことは取り消せない。そこから生まれる無数の物語が、せめて未来になにかの美しさを残すことが出来ればと祈るばかりだ。原爆に関連したたくさんの記録、作品を子供のころから無意識のうちに見てきているけれども、ここまで珠玉に昇華された作品はないような気がする。逆に言えば、記憶が生々しいうちは、この美しさは受け入れられなかったと思う。60年たったからこそ、こうした表現が可能になり、また受け入れられたのだと思う。そして、まだまだ受け入れられない人は、おそらくいるのだと思う。(8.6.)

最初読んだときはそうでもなかったのだが、昨日読み返すとどうも泣ける箇所が多くて困った。表現の鋭さに最初は目を奪われていたのだが、その表現の根拠となるたましいの深さのようなものがとても感じられたからだろう。親戚のうちに疎開して被爆を免れた旭が、結局胎児のときに被爆して「とろい」といわれた京子と結婚するくだりで、旭の母が「あんた被爆者と結婚する気ね?」「母さん…」「何のために疎開さして養子に出したんね? 石川のご両親にどう言うたらええんね? 何でうちは死ねんのかね うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」という直球の表現にぶつかると、涙が止まらなくなる。そしてその答えが旭と京子の娘である七波が「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」言うことによって結ばれる。これを読むときに溢れる涙はどう説明していいのかよくはわからない。

『夕凪の町』の前半の主人公である皆実は昭和30年に原爆症で死ぬのだが、打越という同僚に求婚された直後であった。打越の優しさに触れ、橋のたもとで口付けしようとしたとき、原爆の日の悪夢がいきなり蘇る。「わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ 思われたのに生き延びているということ」。誰かが「死ねばいい」と思って投下した原爆によって自分もまた10年後に死のうとしている。「嬉しい? 十年たったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」皆実にとって、それは「原爆を落とした人」の義務であるべきなのだ。

皆実にとって、原爆の風景のフラッシュバックは「世界」から自分に与えられた罰である。そして被爆という罰を与えられたあとにさまざまな「罪」を重ねざるを得なかったことを恐れている。罰と罪との倒錯した関係。

世界から罰せられる、というこの場面を読みながらこれはどこかで読んだことがあるような気がした。(8.26.)

こうの史代『夕凪の街・桜の国』を何度も読み返す。読み返せば読み返すほど彼女の漫画表現のさまざまな実験的な試みが、非常に折り目正しく絵の中に反映されている、そのテクニックに驚かざるを得ない。正岡子規は「一行を読めば一行に驚き、一回を読めば一回に驚きぬ。一葉何者ぞ」と樋口一葉を評しているが、そんな驚きを持った。これは高三から大学の初年に高野文子をバイブルのように読んでいたころの印象に重なる。全面降伏イエスである。(8.27.)

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