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梅田望夫『ウェブ進化論』

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

筑摩書房

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午後新宿か銀座に出かけるつもりだったが、気がついたら8時を過ぎていたのでやめて、近場に買い物に行く。駅前の書店で梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006)を購入。西友に戻って夕食の買い物。

うちに戻って英語の勉強をしたり作業を続けたりしながら『ウェブ進化論』を少し読む。これは友人に以前勧められていて、あまり読む気がしなかったので買わなかったのだが、状況を理解するためには必要かと思って買ってみたのだけど、基本的に「革命」を鼓吹するアジテーターの文章で、高橋哲哉の『靖国問題』とかマルクスの『共産党宣言』を読んでいるような気分になってくる。こういう本がなぜ評判になるのか、感覚的には理解しにくい。「ハーメルンの笛吹き男」がまた出たか、という感じである。ネズミも退治してくれるが、子どもたちもどこかに連れ去ってしまいそうである。

指摘していることは多分現象として興味深いことであることは事実なのだが、間違ったユートピアを志向しているその奇妙な思想性のようなものが一番奇矯な印象を受ける。「世界政府が開発しなければならないシステムをすべてつくろうというのがグーグルのミッションだ」というグーグルの若手の言葉が紹介されているが、このミッションは「使命」であり「伝道」でもあろう。この本はそういうものの「伝道の書」であり、著者は「宣教師」であるのだろう。そういう臭みがこの本には随所に見られる。シリコンバレーというのは現代のヨルダン川渓谷なのかもしれない。

まだ40ページ読んだところでこれなので、最後まで読むとどんな感想になるか先が思いやられるが、まあ聖書もコーランも仏典もいちおうは読んだ方がいいという観点から言えば、「批判的に」読んだ方がいい一書だろうと思う。(10.15.)

梅田望夫『ウェブ進化論』読了。最近日本政府が日本製の検索エンジンの開発に力を入れていること、そしてこれはどうやらフランスの動きに刺激されたこと、であるらしい。そんなことに何の意味があるのかと思っていたが、この本を読むとおぼろげながらどういう趣旨のことであるかが分かるような気がする。

昨日も書いたように、この本は「Web2.0時代の到来」を鼓吹する進軍ラッパ的な印象が強く、そこに少々反発を感じたのだが、どうもそのあたりの表現はそういう反発からこの本を読まそうというひとつの戦略であったのかもしれないという気がしてきた。基本的に、著者がウェブの進化というものに楽観的であることはもちろんそのとおりなのだが、いろいろな意味でそうシンプルな主張をぶつけるという類のものではない。現状はこうであるということをまず認識させ、それに対してどう考えるべきかということはひとつの見解として述べられている。「現状認識」と「対処戦略」がこの本の骨子である。

現状認識に関して、私が一番具体的なショックを受けたのは、グーグルが30万台のサーバーを駆使して世界中のウェブの解析を続けているということ。この圧倒的な物量は、もちろん書中にも述べられている「チープ革命」があって初めて成し遂げられたという側面はあるにしても、敗戦後にアメリカのあまりの豊かさにショックを受けた終戦直後の日本人の気持ちが分かる、という気分にさせられた。そしてその圧倒的な物理的なインフラストラクチャーの上に、ベストアンドブライテストの5000人が開かれた共同作業を行い、「世界政府があるとしたらそれに必要な情報インフラ」をミッションとして構築していくという企業理念である。いわば荒唐無稽な企業理念だが、それを支えるだけの破格の物理的なインフラをきちんと保持しているところがグーグルの凄さであるし、それを生み出したアメリカ、あるいはシリコンバレーの凄さである。それが凄いことなのだ、ということは十分に認識しておかなくてはならない。「竹槍と原爆」というたとえがすぐ思い浮かんでしまうが、相手はいかなる分野においても物量では圧倒的に世界一の国であるということは、忘れがちではあるが忘れてはならないだろう。

もうひとつ重要なことだと思ったのは、そうした企業理念をすべて人の差配や按配で行わず、すべてテクノロジー自身の手によって実現するべきだと主張し、そしてそれを実行しているということである。ヤフーはメディアであるがグーグルはテクノロジーだ、という言葉が最も分かりやすく、グーグルはつまり完全な「理系的パラダイス」なのだ、ということである。われわれ文弱の徒の割り込む場所などゼロである。私などは特に文章を書くためのツール以上にネットやPCを考えていないから、そういう事実はつい忘れがちになる。テクノロジーが土台を用意してくれたら、そのコンテンツを充実させるのは自分たち文系の仕事だ、とどうしても思ってしまうわけで、テクノロジーよりコンテンツに価値がある、と考えがちなのである。しかしグーグルのやり方は完全にコンテンツをテクノロジーに従属させるやりかたなわけで、ある種のコペルニクス的転回でさえある。コペルニクス以前は惑星の運動は形而上学の範疇の問題であったのが、彼以後はサイエンスの問題になってしまった、というような。まあ実はコペルニクスはネオプラトニズム的な観点から地動説を主張した面が強いらしく、ティコ・ブラーエの研究成果やガリレオの主張が表れるまで厳密には科学的ではないと学んだ覚えがあるが。

ロングテール理論についても考えさせられた。私などは「今現在死蔵されている」ロングテール部分の掘り起こしに意味がある、と思っていたけれど、著者は「これから作られるロングテール」の部分に積極的な意味を見出す。それもかなり「目から鱗」的な主張で、いわれてみれば知の活性化という点ではそちらの方がより大きな意味がある。この本はさまざまな毀誉褒貶に晒されているが、批判者たちの見ていない部分で重要な部分はこういうところにあるのかもしれないと思う。

もうひとつ、日本でアドセンスやアフィリエイトで暮らしを立てることはなかなか現状では難しいけれども、同じ金額で英語圏の貧しい国ではかなりの収入になるということも「目から鱗が落ちる」思いだった。これは経済格差による途上国におけるメリットだが、ネットにアクセスできる途上国の貧しい才能にとっては画期的なことだろう。もちろん日本でも、サイト運営ができるほどの英語能力があれば日本語限定よりもより大きな収入につながるわけであり、英語という言語の持つメリットをより強く認識することになる。

オープンソース現象について。ネット上ではうまく行く(コストゼロだから)オープンソースも、リアルではコストがかさんでうまく行かない、というのはなるほどと思うけれども、途上国におけるコレラ撲滅の低コストプログラムがネット上であっという間に出来上がったという話は凄いことだと思った。コストがかからない研究空間としてのウェブというものの存在意義は大きいということだろう。

アマズレットほか、知らなかった新しいウェブ上の試みもいろいろ試してみて面白かった。

いろいろな形でウェブについて語られていて、私などにとっては驚くようなことが多かった。著者の楽観主義の危険性という問題については、すべてのテクノロジーや社会的な「進化」に常に付きまとう問題であるから、ある種の人間の業と考えるより仕方のない面もあるが、われわれのような年代になるとどうしても批判に傾きがちであるだけに、楽観主義の言葉にも耳を傾ける度量を常に持たないと、現状を見誤るということなのだと思う。 ファイアマンの言葉、「量子力学の世界は諸君が日常で接するどのようなものにも全く似ていない」ということばを、ウェブの世界にも当てはめて考えなければいけないと著者は言う。つまり、今までの既成概念や日常性の何かのアナロジーで理解しようとすると失敗する、ウェブの現状をウェブの現状としてそのままで理解しなければならないという主張はそれはその通りだと思う。テクノロジーというものは過去と全く断絶的な進化をもたらすものだ。30年前に現代の携帯文化について想像がついていた人間は全くゼロであるに決まっている。そこがテクノロジーの持つ恐さでもあるのだろうと思う。(10.16.)

[梅田望夫関連]

MochioUmeda.com(サイト)

My Life Between Silicon Valley and Japan(ブログ)

梅田望夫・英語で読むITトレンド(アーカイブ)

梅田望夫の作品

梅田望夫(Wikipedia)

[「ウェブ進化論」関係]

チープ革命(はてなアンテナキーワード)

Web 2.0(IT用語辞典バイナリ)

グーグル(Wikipedia)

ロングテール

成功報酬型広告(アフィリエイト・プログラム)(Wilipedia)

オープンソース

アマズレット・ツール

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