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佐藤亜紀『天使』

天使

文芸春秋

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ものを食べないと退屈なので出かけて西友でバラと榊と珈琲(挽いたやつ)を買い、本屋で佐藤亜紀を探してみると『天使』というのがあったので買う。帰ってきてちらほら読んだ。確かにすごい作家だということは認めるが、どうしても女性作家の書いた男性像というのは尻がむずがゆいような感じがある。たぶんこれは男の作家が書いた女性像が女性にとっては納得がいかないと思われるのと似たところがあるのではないかと思う。読んでいて、男のことが分かっていない、というより男のいわゆる「オトコ」性というようなものを尊重する気がまるっきりない、という感じが白けるのだなと思う。男が書かれているのにその男に思い入れが出来ないのはなかなか辛い。あ、そうか逆に宝塚だと思って女が演じている男だと思って読めば読めるのかもしれないな。

たぶんそのあたりのところが女性作家の作品を私が読めない理由なんだなと思う。白洲正子とか塩野七生とか好きな女性作家は、その辺の「オトコ」性の尊重具合が巧いのである。まあいい。とかいっているうちに外は暗くなった。(1.15.)

昨日から佐藤亜紀『天使』(文春文庫、単行本2002)を読み続け、昼ころ読了。何でも知っているしなんでも書ける作家という感じだ。20世紀初頭のオーストリアというものにある種の偏愛を感じる。

貴族のもっとも貴族らしい社会が18世紀末のフランスで崩壊した後、それを最後まで保っていたのは20世紀初頭のオーストリアだろう。イギリスをもともとは産業革命と金融資本主義によって台頭した新しい貴族たちの国と考えると、矛盾と荘厳に満ちた貴族社会が最終的に崩壊したのは第一次世界大戦の終末に伴うオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊であったと言ってよいだろう。相した滅びの美のようなものを背景に、作者は物語を書き綴る。

この作家には気に入らないところがあって、それが最初は鼻についていたのだが、そのうち思わず噴出すような言い回しをところどころに見つけていくうちにどんどんペースについていけるようになる。その最初のせりふはこうだ。舞台はペテルブルク。

「アルカージナ・Kは、麦藁色の髪を断髪にして、男物の綿入れの上着をジャージー織の胴着の上から引っかけていた。若い女というよりは、高い頬骨の上の落ち窪んだ目のせいで革命暦4年の公安委員のように見えた。」

「革命暦四年の公安委員」なんて言い回しを何の前触れもなく突きつけられると仮にも革命史をやったことのある人間としては噴出さずにはいられない。しかし現実には革命暦4年の初頭(1795年10月)には公安委員会は解散されているはずで、そんなものはいないのだが。しかしそういうふうに言われるとマラーかロベスピエール、あるいは派遣議員のタリアンかフーシェあたりの陰鬱な虐殺者のイメージが浮かび上がってくるところが巧いと思う。で、これは言い回し上、革命暦4年でないとだめなのだ。たとえば3年では。

ウィーン在住のセルビア人の志願兵を乗せた列車がベオグラードに向かう様子。

「全員が、ベオグラードで志願するつもりでいた。全員が、ベオグラードなど見たこともなかった。」

戦争の熱狂とはこういうものだろう。

「ウィーンでは、人間は男爵から始まる、というのは傲慢や狭量から来る台詞ではない。むしろ寛大すぎるくらいのことばだ。」

本物の貴族社会、階級社会というのはそういうものだと思う。

まあなんだか歴史のネタばかりになったが、表現もおっと思うのがある。(1.16.)

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