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ビートたけし『達人に訊け!』

達人に訊け!

新潮社

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夕方銀座に出かけ、都会の空気を吸って、教文館で本を物色。ビートたけし『達人に訊け!』(新潮社、2006)を買う。桜井章一との対談が面白くて結局買ってしまった。あとは藤原正彦とか、まあ人選は『新潮45+』の読者が面白がりそうな、つまりは私などが面白がりそうな人選で、ぱらぱら数人読んでみたがやはり面白い。(11.21.)

ビートたけし『達人に訊け!』読了。『新潮45』に掲載された10人の「達人」との対談をまとめたもの。奥本大三郎、毛利衛、桜井章一、戸田奈津子、藤原正彦、北原保雄、藤田紘一郎、中村祥二、岡部幸雄、岡野雅行。このうち全く知らなかったのは奥本、北原、中村の三氏。あとはなんとなくを含め、それなりにどこかで読んだことがある人たちだったが、話はいろいろと面白いものだった。昨日も書いたがどちらかというと理工系というか、非文系の人たちの話に興味深いものが多い。

面白いと思ったところに付箋を挟む。ただ、面白くても文章で著しようのないもの、面白いと思っても「これはメモしなきゃ」とは思わないものもある。付箋を挟んだ個所は、奥本一枚、毛利一枚、藤田一枚、中村三枚、岡部二枚、岡野四枚だった。雀鬼・桜井章一、映画字幕の戸田奈津子、数学者・藤原正彦、国語学者・北原保雄もそれぞれ面白かったのだが。

奥本は仏文学者だが日本昆虫協会会長。面白かったのは、蟻の巣には蟻だけでなく、たくさんの虫(ヒゲブトオサムシなど)が住んでいるという話。言われてみればなるほどと思うが、蟻の巣だから蟻しか住んでいないような気がするのは認識不足なのだ。蟻の巣はいわば超高層ビルでたくさんの虫が住んでいて、一番下はごみ捨て場になっているのだという。確かに人間の住居でも好むと好まざるとに関わらずいろいろな生物が住んでいるわけで、蟻の巣のような巨大な構築物に他の生物が住んでいてもおかしくはないんだなあと思った。意外だけど。

宇宙飛行士・毛利衛の話で「そうだったのか」と思ったのは、中国の有人飛行より失敗した日本のH-UAロケットの方がはるかに技術的に高度だという話。表面的な派手さから言えば有人飛行のほうが華々しいが、中国のロケットはケロシンという普通の燃料を使っていて、H-UAは水素を燃焼させて水を発生させる環境負荷の低いエンジンで、それだけ制御が難しいのだという。うーん、確かに技術的にはその通りだろうと思うし、中国の方が技術的に進んでいるということもまあ考えにくい話だと思っていたから納得はしたのだが、政治的なアナウンスメント効果はやはり中国の方がずっと高いことは否定できない。政治的なアドバンテージを獲得することにすべてを賭ける中国の姿勢もどうなんだと思うけれども、現実世界でそちらの方が有利になってしまう現実も日本はもう少し考えたほうがいいのではないかという気がする。このあたり文系と理系の発想の根本的な違いがあるんだろうと思う。

藤田は寄生虫の専門家で、たけしとの対話は尾篭な話が多くなっていたが、ちょっと勘弁してもらって面白かったことをかくと、肥溜めの表面はピザのように固くなっていて、その上を渡れるかどうかを競うという遊びをたけしが子どもの頃していたという話。私の子どもの頃も確かに肥溜めというものはまだ存在したが、そんなキケンなことをしようとは思わなかったなあ。それをやっちゃうところがたけしなんだろうと思うが。

調香師・中村の話はかなり面白い。調香の話は『ギャラリーフェイク』や『王様の仕立て屋』でエピソードとして取り上げられているものを読んだくらいなのだが、香りに関する話は意外なことが多かった。まず一つ目は、「フェロモン」というけれども、人間のフェロモンは現象的にはあるだろうと思われているけれども、実際には見つかっていないということ。これは意外だった。警察犬はその人の体臭を覚えて捜査する訳だが、人間の体臭というのは一人一人違い、指紋ならぬ臭紋とでも言うべきものがあるという話。そこまで独自性があるとは思わなかった。つまり同じような環境で働いていて同じような臭いが染み付いている人でも、犬はそれを嗅ぎ分けることが出来るということだ。へえと思う。ナポレオンの后であったジョゼフィーヌはムスクの香りが好きで、住んでいたシャトー・マルメゾンヌは死後40年間ムスクの香りが消えなかったという。ほんまかいな。シャネルの5番は1921年に売り出されたが今でもヨーロッパでは1番の売上で、アメリカでも3番くらいなのだという。それはすごいことだろう。その事実にマリリン・モンローはどのくらい貢献しているのか。

元騎手・岡部幸雄。馬にはいろいろなタイプがいて、三歳馬のダービーなどのクラッシックレース(以前は馬の年は数えだったので四歳馬だったが、現在は満年齢でいうらしい)に間に合わないタイプもいるのだという。それを無理して間に合わせることで壊れてしまった馬もたくさんあるとか。人間も同じようなことがあるよなあと身につまされる感じがする。武豊は中央競馬で週末に一日7回以上騎乗するだけでなく、地方競馬でも週に2日くらいは乗っているという。これは凄い。まあ大井でも地方競馬だから、そんなに遠くではないかもしれないが。

金型プレス業の岡野雅行。世界に唯一の技術を持つ下町の中小企業、の典型的な経営者。彼の父親が預金封鎖と新円切り替えを経験しているので国と銀行は信用しない、という話。これはよく聞くけれども、やはり個人にとってはものすごく巨大な事件だよなあと思う。使えない金など紙切れに過ぎないからなあ。実際に経験してみないとわからないだろうけど。子どもの頃近所の銭湯でやくざのお兄さんの背中を流させられた話。彫り物が凄いのだが、虎の目がなかったり尻尾がなかったりする。それは痛いから途中で止めちゃったからだ、という話がリアルでおかしかった。そういうことってあるんだろうなあ。大平雅代の話とか聞くと冗談ではすまない感じではあるのだが。

岡野の台詞で最も印象に残っているもの。「アイディアを思いつくか否かは、やっぱり世の中いかに遊んできたか、いろんな失敗をしてきたかだよ。失敗すれば何だって上手くなる。二度と失敗しないようになるんだから。だから、仕事の上手な人は、うんと数多く失敗している。言っちゃなんだけど、失敗しないやつは何も出来ないよ。」「(アイディアは)ひらめくんじゃない。ずっとそればっかりやってると大体頭がそうなって来るんだ。」こういうことは分かっていても言われてみるとなるほどなあと思う。ひらめきというのは、結局は「遊び体験」や「失敗体験」の中から生まれてくるもので、いつもいろいろな工夫をしたり上手くいったり行かなかったりしているから出てくるものなんだ、と思った。最初から上手くやろうと思ってもダメなんだよな。マニュアルにあることは別に使ってもいいけれども、それだけで満足していると次が無い。何か課題を乗り越えていく際にさまざまな経験を動員して新しい工夫を見出してそれを実行していくことによってしか、進歩はない。そしてそういう工夫がいわば日本人の特徴、日本人の得意分野なのだと思う。「やまとごころ」、「やまとだましい」というのも平安時代の用法ではいかに現実に対処していくか、ということだった。それを職人の工夫に転化したのが現在の職人の工夫というものなのだろうと思う。だから、ものづくりとか世界で唯一の技術を持つ中小企業というものは、「大和魂」の最も発現したものというべきなんだろうと思う。

ちょっと長くなったが、対談本はこういう興味を惹かれるようなネタが散らばっているのが魅力的なんだなと改めて思った。そこで興味をひかれてさらにもっと専門的な本を読んだりして、知識や教養が広がっていく。またそれを実行して物にしたりすることも出来る。小林秀雄が戦前高終戦直後だかに座談会がなぜこんなに隆盛しているのか、ということを言っていたが、こういう物の出版点数は今でも相当多いと思う。座談の魅力というものを最もよく知り、それを出版によって大衆化させているのも日本人かもしれない。まあ現実には日本人は座談はあまり上手くない人が多いと言われているようだが、話をしてほんとうに面白い人にめぐり合うことが出来れば、それは全く人生の幸運だと言うべきなのかもしれない。それが手ごろに読めるわけだから、こういう本は実際には考えられている以上に価値のあるものなのだろうと思う。(2006.11.23.)

  

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