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『プリニウス書簡集』
プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条講談社このアイテムの詳細を見る 昨日松本に仕事に行く往復で、『プリニウス書簡集』をずっと読んでいた。気楽に読める文体ではないが、読んでいると心が洗われる感じがする。ラテン語を自習してそのほかのラテン文学も自分で原文で読んでみたいと思うくらいである。マキャベリが日中は小役人として騒々しい役所で人々の日常の問題を扱ったあと、家に帰ってくると居住まいを正してギリシャローマの古典を読み、古代人と会話した、ということを塩野七生が書いていたが、マキャベリの気持ちがよくわかるなあと思う。プリニウスの書いていることに比べたら世の中のたいていのことはつまらない小さいことだという気がしてくる。そこにアルカディアを幻視していればいいという問題でもないが、心が清められるような感じのする本を読むということは価値のあることだなあと思っている。(10.7.)
松本への行き帰りに『プリニウス書簡集』を読む。なかなか一筋縄では読みきれないが、ラテン語の勉強もそうだけど、こうした古典を読んでいると、欧米のインテリゲンツィアの世界を理解するのにそこはかとない自信が出てくる。漢文古典をそれなりにきちんと読みこなしておくと中華世界における知識人たちに対してそんなに気が引けないのと同じなのだなと思う。日本ではそうした思想性のある古典というとどんなところになるか、一度整理してみなければいけないと思うが、『古事記』『日本書紀』から始まって実際にはかなりいろいろある気がする。しかし、日本の古典学習はそういう思想性よりも文学性を重視しすぎてきるので、今一つ日本人の精神的な来歴というものにきちんとした自信を持てなくなっているのではないかと思う。恐らく戦前はそうしたものも『修身』のなかに含まれたのだろう。『修身』を復活せよという主張はあまりに政治的過ぎる気がするが、「日本の思想的古典」をきちんと押さえることは、個々人の主張の左右に関わりなく必要なことだと思う。教育改革においてはそういうことも主張されてよいように思う。(10.21.)
昨日夜帰京。昨日は午後から忙しく、どうも体調が下降気味の中最終で帰京したのだが、車内では週刊文春と『プリニウス書簡集』を読む。『プリニウス書簡集』はようやく最終章に入り、トルコ西部の属州に赴任した小プリニウスと皇帝トライアヌスとの往復書簡という部分で、プリニウスが現地の綱紀の乱れに割合微温的な対応をしようとしているのに対し、トライアヌスは断固たる統治をするよう求めているところが興味深かった。小プリニウスは今まで読んできた感じでも「思いやりのある統治」というか温情主義的な感じが家内奴隷や解放奴隷の取り扱いなどにも現れていたが、それが決してローマ人の標準ではなかったのだなあということがよくわかる。五賢帝のことについて、今までそんなに読んでいるわけではないので、こういう人柄の表れるやり取りは興味深い。(10.22.)
朝起きて少しラテン語をやったり。日記を書く時間はなかった。早い時間で松本に出かける。電車の中では『プリニウス書簡集』を読みつづける。とうとう読了。かなりかかったが、ローマ人の息吹のようなものを感じられた。ラテン語を一通り読めるようになったらぜひ原書でもローマ人の著作を読んでみたいもの。(10.26.)