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吉田修一『パーク・ライフ』

パーク・ライフ
吉田 修一
文藝春秋

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吉田修一『パーク・ライフ』(文藝春秋、2002)読了。

「無害なおしゃれ小説を書く職業作家」なんだな、と思った。終わり。

……ではあんまりなので、一体どこがいいのか考えてみようと思って芥川賞の選評やインタビュー記事、批評などをネットで一通り検索して読んでみる。以下はそういうことを経てでてきた感想。自分を脅かすものとか自分の奥底に入ってくるものとか、そういうものはなかった。

著者は長崎県出身だそうだが、非常に都会的な感覚の持ち主だと思う。登場人物も地方出身者だけど都市生活者、という人が多い。人と人との距離の意識の仕方を表現するのに、「嘘をつける距離」という言い方をする。あまり(物理的に、多分心理的にも)遠いところにいる人には嘘が通じない。いう意味もない。近すぎる人には嘘がつけない。近すぎもせず、遠すぎもしない、そういう距離感の人に対してだけ、嘘がつける。多分こういう説明のしかた、好きな人にはたまらないんだろうなと思う。私にはよくわからないんだけど、好きな人にはたまらないんだろうなということは想像はつく。

私だったら「演技が可能だ」という言い方をするだろうな。でもそれじゃ全然面白くないけど。「嘘」という言葉のライトな背徳性がポップな?都市感覚を刺激する?んではないだろうか。つまり「ちょい悪」である。(笑)

作者自身がどこかのインタビューで答えていたが、この人は「場所へのこだわり」がある。『パーク・ライフ』は日比谷公園が舞台で、日比谷公園に現れるちょっと印象に残る人、を登場人物にしている。地下鉄の車内で間違って声をかけてしまった女性と主人公が日比谷公園で話をするのが中心的な情景なのだけど、彼らはお互いに名前も何をしているのかも知らないし聞かない。最後のほうでようやくこれから何か進展があるのかな、と思わせるがわからない。都会の中心の公園の匿名性とか視覚性がよくあらわされているとは思う。私も日比谷公園にはよく行くので感じは分からないことはないが、私は帝国ホテルの前から南側の図書館の方によく行くので、中心的な舞台になっている北側の方はあまりピンとこないのだけど。

主人公が住んでいるのも駒沢公園周辺で、先輩夫婦がそれぞれいなくなった部屋で飼っている猿を面倒見ながらDVDを見たりおしゃれなくらしをしている。そういう人もいるんだろうなとは思うが、何だかしゃらくさいという気はしてしまわないことはない。

「場所へのこだわり」とともにあるのが「時期」へのこだわりだ。登場人物はそれぞれ、「離婚寸前」の夫婦だったり、「結婚直前」の昔好きだった女の子だったり、「夫の引退後」、息子のところにしょっちゅう遊びに来る母親だったり、人生の選択(それが何だかは分からないが)に迷っている女性だったり、「離婚後」娘になかなか会わせてもらえない父親だったりする。彼らはみな、固有のキャラクターがないことはないけど、基本的に「そういう時期にある人」としてとらえられている。こういうところが、読者に思い入れを持たせやすいということではあるんだろうと思う。

主人公はこういう場所と時期の設定の中で、どこにも属さない浮遊した感じに設定されていて、現実の街と記憶の街、あるいは想像の街とを二重に見る「特技」を持っている。「心ここにあらず」になるのが特技だと言えればだが。

なんというかな、とにかくいろいろな面でとにかく「おしゃれ」なのだ。キャラクターにしても、それを描きこもうとすれば泥臭くなる。物語も短い枚数の中で構築性を持たせようとすれば強引な感じになる。人生の時期を設定し、具体的な固有名詞を持った場所を設定することで、よけいな説明が不要になり、読者に勝手に想像させることが可能になって、その想像力が読者に自分自身の中のリアルを呼び起こさせ、書かれている登場人物をリアルに感じるようになる。そして中心に、空洞のような主人公を置く。上方歌舞伎にでてくる遊蕩三昧で零落した若旦那のように、品はいいが体臭も中身もない。凝縮性も構築性もなくても物語らしいものが動き、ある種の小説らしい小説ができあがっていく。そういう意味では、たしかに腕の確かな職業作家なのだと思う。

あるところで保坂和志に似ている、ということが書いてあって「え?」と思った。たしかに描写が中心のところとか、何も起こらないところとか、あえて考えてみれば「共通点のようなもの」はないことはない。しかし、ある批評にあったけれども、保坂の作品(たとえば『季節の中で』)のすごいところは、「小説らしさ」がないところにある。小説らしくないうねうねとした話の展開の中にそこに生きている人たちのリアルが浮かび上がってくるというものだが、『パーク・ライフ』はある意味非常に小説らしい小説なのだ。小説らしいものを求められて小説らしい小説が書ける、という点では吉田は非常に優れた作家だろうと思う。そういう意味ではむしろ芥川賞というより直木賞系の作家だと思うし、山田詠美よりずっと直木賞的だと思う。

いろいろな感想を読んでいて思ったが、つまり私はそういう意味での「心理的な機微」みたいなものにあまり関心がないし、理解もしてないし、多分そういうことで失敗したこともたくさんあるだろう。ある意味こういうものも書けるように勉強した方がいい、ということなのかもしれないとは思った。(2007.7.24.)

  

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