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竹内洋『教養主義の没落』
教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化中央公論新社このアイテムの詳細を見る 夜買い物に出かけたついでに竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)を買う。まだ読んでいないが、1950年代から70年代にかけての学生の知的世界の変化について述べた本のようである。(8.4.)
昨日は午前中松本に行き、午後は10時前まで仕事。朝は5時おきだったからちょっとくたびれた。電車の中でちょっと『教養主義の没落』を読むが、あまり進まず。松本電鉄はなんだか中学生くらいの子供たちがたくさん乗っていて驚いたのだが何かのイヴェントがあったのだろうか。帰りは松本で時間があったので足を伸ばしておきな堂でお昼。松本に来るといつもここにきてしまうが、旧制高校があった時代の雰囲気を残していてなかなか感じがいい。
教養主義といっても、戦前のマルクス主義没落の前後でその内容はかなり変化している、というのがなるほどと思う。人格主義的教養主義に回帰するか日本浪漫派にコミットするか、という選択になって行くということで、旧制高校というのが日本の思潮に与えた影響の大きさというのもよくわかるが国の思想政策が旧制高校生に与えた影響の大きさというのも理解できる。
現在、思想と呼びうるものがもし存在するのだとしたら、いったいどういう人たちがその担い手なのだろう。昔と同じような意味でそうした担い手が存在すると言うことはできない気がするが、それがよいことなのか悪いことなのかもちょっと判じかねるところがある。(8.8.)
『教養主義の没落』読書中。大正時代の教養主義の中からマルクス主義の芽が出てきて、特に教養主義が創造の軽視・偉大なる人類の文化遺産への崇拝を基調とするある意味での暴力性をもっていたためにそのはけ口として、あまり勉強しなくても充足できるマルクス主義がそのはけ口となったという説明はなるほどと思う。著者の言い方だと「教養主義とマルクス主義は反目=共依存関係にある」というわけである。
昭和11年の思想犯保護観察法を境にマルクス主義の書物の白金・自主的絶版の時代に入るとともに、教養主義の復活が見られた。昭和の教養主義は大正の教養主義と異なり普遍と個の関係だけでなくその間のいわば種、社会や国家への視点を持ち、大正教養主義のシンボルが『三太郎の日記』だとすれば昭和教養主義のシンボルは「戦闘的自由主義者」である河合栄治郎の『学生叢書』であった、というあたりもわかりやすい。
考えてみるとマルクス主義と教養主義はあざなえる縄のようにお互いが攻撃しあいつつエリート学生層の思想の基調となってきたということなのだろう。この平成の御世、マルクス主義はもうすでに決定的に没落したと思うがその亜流であるエコロジズムやフェミニズムはまだ猛威を振るっている。あるいは人権絶対主義もその同文同種のものであろう。
この時代に、新たな平成教養主義が復活するべき必要はあると思うが、文化や伝統に関しての保守主義は叫ばれつつあっても自己を徹底的に教養に埋没させることを強いるほどの強力な教養主義はない。そこまでの自己鍛錬を必要とする作業に耐えられるクラスが存在しないということなのかもしれないが、ある意味そういうものがなければ教養にも保守主義にも伝統主義にも『強さ』というものが生まれないだろう。おそらく今求められていることはそんなことなのではないかと考えてみた。(8.9.)
昨日は忙しい間にも暇を見つけて『教養主義の没落』を読みつづけていたのだが、日本の教養主義の「奥の院」・すなわち文化的な権威の源泉であった帝大文学部と、同じような性格をもつと考えられるフランスのエコル・ノルマルとの比較がたいへん面白かった。帝大文学部は実は農村部・地方出身者が多い学部で、それは理学部が都市新中間層出身者が多いのと対照を成しているのだという。これは割合意外だった。しかしエコル・ノルマルは農村出身者は極めて少なく、都市の専門職やいわゆるブルジョアの出身が多いのだという。それは、エコル・ノルマルでは古典語の素養が決定的に重要であり、そうした教養を形成する上での階層的文化資源において都市ブルジョアが圧倒的に有利だからだというブルデュの分析が引用されている。
そしてフランスの文化的階層秩序観を分析し、最も価値があるとされるのが教養ある学識・趣味のよさ・正統・思慮分別・優雅・絢爛といった価値であり、そうしたものを自然に身につけられる階層と宋でない階層とでは出発時点で大きな差が出てくる。その見方からいうと勤勉は小利口・愚鈍・垢抜けない・陳腐などと並んで周辺的な地位しか与えられていない。
この見方は残酷ではあるが文化というものを秩序付けるある種の本質的な性質をつかんでいるように思う。努力することは恥ずかしい、というある種の価値観はこうしたものが支えているわけで、努力していてもそれを見せないことがよいとされ、それを表に出すことは嫌悪されるという価値観もこうした見方に由来するのだと思う。
しかし、日本の教養主義というのはこれとはまったく異なり、農村出身の貧しい青年が勤勉によって文化・教養を身につけて行くことに大きな価値を置いているわけで、そういう意味でまったく垢抜けない、二流の態度を絶対化しているという側面があるわけである。だから逆にブルジョア的な生来文化を身につけた人から見れば軽く見られるという面もあるし、白洲正子の描く骨董をめぐる人間模様の大名的な骨董の収集と小林秀雄などの骨董への沈潜への対照もこういう視点から見ると理解できるように思う。
努力・勤勉に価値を置く日本的な人生観の分析はもっと進めると面白いと思う。それはさまざまな個人の世界に対する態度の中でひとつの典型として考えるには有益なモデルのひとつであるように思う。
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この本の内容を反芻しながら歩いていたのだけど、要するに文化を基準にするとフランスなどは圧倒的な階級社会だということが非常に鮮明になるのだなあと思う。日本にも階級がないというのはうそだが、少なくともその存在は隠蔽されているように思うし、その点で擬似的な平等感はかなり強いように思う。だからわれわれにとって焼け付くように文化を求める階級的な渇望感・劣等感などを理解するのは難しいし、自然に人を見下すあのヨーロッパの貴族階級の生来の特権意識というものを理解するのも難しい。しかしだからこそ上昇志向が生まれるわけで、その階級の存在の実在感の強さこそがその国・その社会の強さを生んでいるという面もあるのではないかと思う。下の階級は上昇を目指し、上の階級は上がってこようとするものを叩く。その戦闘的な態度が外に向けられるとそれがその国の強さということになるのではないかと思う。
日本は擬似的に平等感が強いからそれだけ微温湯(ぬるまゆ)化しているわけで、最近は階級の格差が拡大・固定化しつつあるという説もあるけれども、文化的な階級意識というものは教養主義やマルクス主義の影響力の消滅とともにどんどん消え去っていっていると思う。文化的な秩序というものはある意味で差別の体系であることは確かだが、しかしそれが消え去ったために現代の日本の体たらくがあるとしたら、それを排除することのみが正しいと考えることも実は適当ではないのかもしれない。競争と差別とは裏表であるが、そういう意味での競争はやはりなくてはならないのではないかという風に思わざるを得ない。
日本が強くなることが必要だと言うことはずっと考えてきたのだけどそれがどういう意味なのかちょっと自分でもはっきりしていなかったのだが、このあたりのことを考えるとより体系的に説明できるようにも思う。
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しかしこの本を読んでいると実例に基づく理論化の鮮やかさにまったく目のさめる思いである。若いときに社会学か歴史かどちらを選ぶべきかと考えたときがあったが、理論的な学問は現実から遊離する危険が強いと思って歴史を選んだのだけど、いざやってみるとその勤勉に最上の価値を置かざるを得ない地道さに辟易としてくる部分もある。歴史をやっていると「そう理屈どおりにはいかない」ということばかりで理論を構築するのがどうも難儀になり、理論など結局はあまり意味がないのではないかという気がしてくる面が私などにはあるのだが、この本を読んで理論的な思考の切れ味のよさというものを再認識した思いである。左翼系の人々は切れ味のよい理論を盲滅法振り回して気違いに刃物といった感の人が多いけれども、刃物に振り回されるのでなく快刀乱麻を断つように現状を分析して行く意味ではまったく有効なものだと思った。(8.10.)
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途中滞っていた竹内洋『教養主義の没落』をようやく昨日特急の中で読了。面白いことも多いが、いろいろと重いテーマも多かった。とりあえず印象に残ったことを三点だけメモ。
1970年前後の大学紛争というのは、大学教育が大衆化したの時を同じくして起こった。それは何を意味するかというと、大卒が「エリート」であった時代から「ただのサラリーマン」になった時代への変化と軌を一にしていたということである。つまり、大学での教養教育がエリートの素養として必須だと考えられた時代から、ただのサラリーマンになる未来しかない大学生にとって教養が無意味ないらだたしいはなもちならない存在に成り果てた時代に起こったという解釈である。大学紛争の意味については当時の学生の側も教員の側もうまく総括ができてないように思うが、この解釈はなるほどと思う面がある。非エリートの自覚のあるものがエリート教育を施されることのやりきれなさの爆発が大学紛争であったという解釈は、確かに何かのルサンチマンに突き動かされていたとしか思えない当時の様相をうまく解釈する一つの仮説であると思う。
二つめは、大学紛争後の世代が教養教育に対して「第二次適応」をした世代であるということ。つまり、本来の組織目標への適応(第一次適応)ではなく、最小の努力で最大の利益を引き出し、回りと軋轢を起こさず、システムを自分流に活用すればよいとする適応をした世代であるということである。つまり、「教養」を信じることもなくまたそれに反逆することもない。まあ要するに我々の世代のことなのだが、この解釈もなるほどと思う。つまり、大学が決定的に「4年間遊べる」場所となった「新人類」の時代である。
例のスーパーフリーの学生の話などを聞いていると、教養主義の世代の親と遊ぶ場所としての大学という観念を絶対視する息子の対立が見えてくるが、そこまで「遊ぶ場所としての大学」という観念に強く拘泥するのも私などには奇妙に映るが、歪んだ目標観とはいえおそらく彼なりの必然性があるのだろう。どうしてそこまで「遊ぶ」ということにこだわるのか、逆に不自由な精神を感じざるを得ない気もしないではない。
しかしおそらく、「遊ぶ」ことへのこだわりというのは昔の教養主義と同様に現代の相当強い基調を作っているように思う。しかし、教養の裏付けのないあそびというのはどうも空しいものにしか私には思えない。まあそれも私の見方に過ぎないのだけど、そんなことも思ってみる。
三つめは、教養というのは必ずしも生きるのに役に立つとは限らない、ときにはうまく生きるのを邪魔をする、自分の存在を危うくするものであるということである。教養には必ず理想が伴うわけで、その理想は当然現在の効率重視、経済的利益重視の社会では受け入れられにくいものでもある。まあ当たり前のことだが、こういうことも再確認してちょっと得心の行く部分があった。
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もう一つ、常日頃感じていることに対する一つの答えがあった。自己犠牲などの「美しい行動」を意識的に蔑もうという傾向、あるいは学問的言辞で修飾されてはいるがそうした価値のあるものをわざと偏差値的な序列に置き換えて、ワンランク上だとか下だとか表現したがる傾向についてである。私はすべての美しいもの、すべての価値あるものはそれぞれがそれぞれの価値を持っているもので、その間に差別や序列などを見出す意味があるとは思っていない。永井豪の『神曲』の天国篇の中で月星天に在る聖女たちがダンテにもっと上の天に昇りたいと思わないのかと聞かれ、「上や下 あるいは行きたいとか行きたくないとかではないのです どこにあるかということが大事なのです 私たちはここで光るのです」と答えているが、そんな感じだろうか。すべての価値あるものは美しい、のだと思う。
『教養主義の没落』では現在の日本はいわゆる新中間層(ホワイトカラー)の文化ではなく、新中間大衆文化の時代だとされている。新中間層の文化というのはエリートの存在を前提にし、そこに上昇しようという機運がその基調をなしている。しかし、大学の大衆化により学歴によるエリート構造が相当程度崩壊した現在にあっては「上」や「下」への意識そのものが希薄化しているというわけである。8割もの人びとが自分は中流だと考えるということは、逆に言えば「上流」も「下層」も自分の目に見えるものではなくなっているということなのだろう。堅実に暮らしている上層サラリーマンの家庭から一家揃って金髪の家庭、友だちの髪の色も色とりどりな家庭までみんな「中流」と思っているような状況は、おそらく大正時代ではありえないだろう。
新中間大衆文化はニーチェの言うヘールデ(畜群)の道徳、あるいはオルテガの言う凡俗に居直る大衆平均人の文化ではないかと著者は指摘しているが、まさにそのとおりだと思う。つまり現在の文化はサラリーマン型人間像、大衆平均人間像に向けて「強力な鑢(やすり)をかける」文化だというわけである。そう考えてみると、すべての美しいものは大衆型分化の「敵」であるということになる。自己犠牲の精神も、英霊の観念も、すべては「美しい」がゆえに「文化の敵」である、ということになる。価値があるがゆえに、彼らの敵であるということになる。我々はずいぶん困難な時代に生きているということを自覚しないわけにはいかない。
しかし、最終的には人間は何かの価値を求めなければ生きていられない存在ではないかと私はひそかに思う。というか思っているからこそこんな文章をだらだらと書いているのだけど。
しかし今思うと、私が教養というものの大切さに目覚めたのはやはり大学時代だったと思う。教養主義はまだ80年代の初頭には場所によっては残っていたのだと思う。私は改めてそのことをありがたいことだと思うし、昔のような教養主義の復活はもうありえないにしても、人間の生を豊かにするものとしての教養の重要性をもっと社会的に再認識していけるような動きが起こればいいと思う。
美しいもの、価値のあるもののすばらしさを、もっと素直に評価できる社会になることが日本の復活のためには必要なのだと思う。(2003.8.24.)