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団野村『交渉力』

交渉力

角川書店

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昨日。午後友人と話していて出かけることにし、7時過ぎに家を出て新宿に出る。久しぶりの新宿で、さてどこに行こうと候補を物色しながら紀伊国屋で時間をつぶす。いろいろ本を見ているうちに団野村『交渉力』(角川Oneテーマ21、2007)が目に留まり、立ち読みしているうちにどんどん面白くなってきたので購入。

そうこうしているうちに友人が来たのでさてどこに行こうかという話になったが、個人的にトップスの中のどこかのカフェに行きたいと思っていたので、ビルの前で看板を物色して8階のカフェユイットというところに行ってみた。順番待ちが何組もあってこりゃ困ったなと思ったが、中の様子があんまり面白そうなので待つことにした。だいぶ待ったが、通されて中に入ると何だかとても落ち着いた雰囲気。いや、落ち着いたというかなんというか、表現が難しいのだが、アートっぽいお洒落な乱雑さというか、昔住んでいた大学の寮の感じとかににていると思った。クレーの画集や荒木の写真集が無造作に積んであってそれを眺めつつボルシチなど食べたりスパークリングワインを飲んだり。客はみんな若かったけど、私ぐらいの年齢の人が来て一番懐かしい感じがするんじゃないかなという気がした。すっかり充実。行き当たりばったりにしては大正解。

終電で家に帰る。団野村『交渉力』は相当面白く、一気に読了した。日本球界の選手の契約に関するさまざまな問題点が指摘されていて、驚くばかり。アメリカの球団もかなりアンフェアなことはやっているが、なんていうか彼らはそういうことも含めて交渉ごとをゲームとして楽しんでいる、という感じがよくわかって面白い。日本にはそういう「交渉ごとを楽しむ文化」のようなものが未成熟だということなのかなと思う。それはやはり「お上の権力」というものの有無とかなり関係のあることなんだろうと思う。

お上を信頼し、保護される一方、お上の都合で振り回されるのが半ば仕方のないこと、運命だとあきらめている日本人と対等に交渉しお互いに納得して妥結したり決裂したりするアメリカの交渉文化というものの違いは日本人のウェットな部分とあいまってなかなかその違いを埋めるのは難しいことかもしれないと思った。

ただ、やはり日本側は理不尽なことを言うのはまだまだ球団側なのだなと読んでいて思う。野村氏がずいぶんバッシングを受けたことはまだまだ記憶に新しいが、実際に多くの選手がメジャーリーグに魅力を感じて出て行ったということは、日本の球界で選手の身分を保障したり、プレーすることを魅力のあるものにする努力がまだまだ足りないということだと考えざるを得ない面は多々あると思う。

そのあたり、「権力」を固定的な安定的なものと考えたがる日本人と――このあたり徳川300年の伝統がまだ残ってるんだろうな――常に変動する中で実質的な力のキープをいつも怠らない、「力というものは常に変動するもの」と本質的に思っているアメリカ人、ないしは欧米人の違いなんだろうという気がする。

一度作り上げたものは絶対に変更を許さない、というのはある種「悪い意味での職人気質」というか、硬直化した部分が確かに日本の風土にはまだまだある気がする。

プロ野球とか野球の選手契約について認識を改めたことがいくつかあったが、そのうち二つだけ。

インセンティブ契約というのがある。年俸を取り決めたあとにある目標を設定し、それをクリアしたらいくら出す、というような契約である。つまり年俸2億円でもインセンティブでホームラン王を取ったらさらに5000万出す、というような契約だ。これは馬の前に「にんじん」をぶら下げる「成果主義」の契約かと思っていたが、野村氏によると、選手はシーズンに入ったら成績を上げることしか考えていないからお金のことなど考えていない、のだという。つまり、先の例で言えば最初から2億5000万の契約を結べればその方がいいのだが、球団がそこまで選手の力を認めていない場合に交渉条件としてエージェント側が2億しか出せないなら契約額はそれでいいが、もしホームラン王を取ったら5000万出すという条件をつけてくれないか、という交渉技術上の問題から出てきた契約らしいということが分かった。なるほどそのほうが納得できる。いくらなんでも5000万、5000万と思いながらホームラン王を狙うような真似がいくら優れたプレーヤーとはいえできるとは思えない。そんな「邪念」があったほうがいいプレーができるというのは私にはちょっと理解しがたい。

もうひとつ、ドミニカのカープアカデミーだが、これは広島がいい選手を発掘する面白いシステムだと単純に思っていたが、実は契約上非常に問題のあったものらしいということだ。契約によって球団が選手を二重三重に拘束しているのだという。ソリアーノなどもその問題でもめて野村氏のエージェント活動により大リーグにわたることが出来、いまやメジャーを代表する選手になっているのだという。どうも読んでいると、日本プロ野球の契約システムはかなり前時代的というか、私は読んでいて、数十年前の興行が仁義の世界だった時代の「一宿一飯の恩義に命を賭ける」のが当然といったノリが残っているのではないかという気がした。そうなると当然球団側に極めて有利な契約内容となることは明らかで、その前時代性がおそらくはプロ野球全体の退潮の原因になっているという指摘は私はかなり頷けるように思う。

そういう親分子分的というか、ローマ時代的なパトロンとクライアントの関係というか、現代的な感覚ではそれに納得がいかない人間が日本を飛び出してメジャーにいくというのはある意味仕方のないことのような気がしてくる。このあたりはおそらく日本のスポーツ界全体の構造改革の必要性のようなものと関わってくるのだろうなあとは思うのだが。(2007.1.15.)

  

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