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中島可一郎編『金子光晴詩集』(白凰社、1968)
金子光晴詩集 (1974年)白鳳社このアイテムの詳細を見る 立ち読みして「鮫」という作品をぱらぱら読み、一も二もなく購入。いわゆる現代詩で、これだけ魅かれることは珍しい。
「さくら」という作品を一部引用してみよう。
おしろいくづれ、
紅のよごれの
うす花桜。
酔はされたんだよう。
これもみすぎ世すぎさ。
あそばれたままの、しどけなさ。
雨にうたれ、色も褪めて、
汗あぶら、よごれたままでよこたはる
雲よりもおほきな身の疲憊(つかれ)よ。
(中略)
戦争がはじまつてから男たちは、放蕩ものが生まれかはつたやうに戻つてきた。
敷島のやまとごころへ。
あの弱々しい女たちは、軍神の母、銃後の妻。
日本はさくらのまつ盛り。
(中略)
さくらよ。
だまされるな。
あすのたくはへなしといふ
さくらよ。
世の俗説にのせられて
烈女節婦となるなかれ。
ちり際よしとおだてられて、
女のほこり、女のよろこびを、
かなぐりすてることなかれ、
バケツやはしごをもつなかれ。
きたないもんぺをはくなかれ。
(昭和19年5月5日)金子光晴が反逆の詩人といわれるのはもっともだと思う。これはもちろん「敷島のやまとごころ」に対する反発であるが、現代に流通しているさまざまな戦争に関する言説にもからめとられることのない自由さを持っている。
「世の俗説にのせられて/烈女節婦となるなかれ」「女のほこり、女のよろこびを、かなぐりすてることなかれ/バケツやはしごをもつなかれ。/きたないもんぺをはくなかれ。」
なんというか、平時でも精神的に「きたないもんぺ」をはいていたり、さまざまな言説に踊らされて「バケツやはしご」を持っていそうな人々に対する痛烈な皮肉である。いわゆる「反戦」とは次元の違うきらびやかさが、金子の言語世界にはあり、「酔はせられ」てしまう。(2006年8月1日記)