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山川健一『「書ける人」になるブログ文章教室』

「書ける人」になるブログ文章教室

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『「書ける人」になるブログ文章教室』も面白かった。なんというか梅田望夫の文学版というか、ウェブの可能性や21世紀的な文学の可能性というものについて多岐にわたって書いてあり、とても参考になる。

「19世紀は神の世紀だった。20世紀は自意識の時代だった。そして21世紀の今、表現のステージは全く新しいところに踏み出そうとしているのではないだろうか。」と著者は言う。「いわゆる純文学は、あるいは芸術というものはとことん問い詰めていくせいで、ネガティブな結論になりがちだ。・・・それは20世紀という過去の表現ではないだろうか。ぼくらはすでに新しい時代を生き始めている今、神や自意識に変わる何か新しいものが、僕らの表現のコアには必要なのだ。」というのだ。

そして「それをぼくなりに考えてみると、『温かな無意識』というものではないかと思うのだ」と著者は言う。そしてそれがブログに代表されるネットにおける表現が実現しうるものであり、日本的な日記、随筆などの文学の延長線上に「近代文学」を飛び越えて接続するものなのではないかと著者は言うわけである。

このあたりの考察をどうとらえるかはいろいろ評価がありえようが、そういうコンセプトのだしかたはありだなと思う。著者は作家であり、そして編集者としていろいろなブログを本として出版するアメーバブックスの編集長もしているのだというが、こういうコンセプトの出し方は大変興味深いと思う。

今日書いた二つの本に付いて書くことは、おそらく自分自身の考えを進めることとかなりの部分で重なってくるので、今簡単に受け取ったものすべてを書きる、ということは出来ないなと思う。出来ないし、今の時点で終わりにすることは、とてももったいないと思う。

考えてみると、今までこういう楽観的なものは避けてきた傾向があった。しかし、割と抵抗なくこういうものを読めるのは『ウェブ進化論』などの楽観性の影響もあるが、短期的にはミルの『自由論』の影響だなと思う。楽観的に考えても、十分哲学的、思考的足りえ、得られた結論に満足することが許されることがありうるのだ、という希望を『自由論』は与えてくれたような気がする。(2006.12.27.)

  

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