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モブ・ノリオ『介護入門』

介護入門

文藝春秋

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モブ・ノリオ『介護入門』(文藝春秋、2004)読了。

帰郷の特急の中で読み終え、途中けっこう涙ぐんだ。普通にいい話。新人の作品としてはいいんじゃないかなと思う。オムツを替えることがいかに大変か、というのがよくわかる。必死に介護しているから必死に回復してきた、という呼びかけと答え。それが存在するということ自体がやはり神々しいものがある。

ヒップホップというかラップというか、そういうものが好きで心酔している、という感じはよく分る。介護をしながら感じるあきらめや絶望、そういうものを前向きのパワーに変えていくものはある意味での「怒り」だ、ということが分る。その怒りは親戚のものに向けられているように見えながら、最も向かっている先は自分自身で、自分自身の萎えようとする気力(筆者言うところの『豚の思考』)を奮い起こし、自分自身を叱咤する怒りの力がこういう余裕のない文体を生んでいるのだろうと思う。

必死で、とか死に物狂いで、というのは簡単だけど実際に巨大な現実に押しつぶされて萎えそうになる気持ちをかき立て、奮い起こして何かを続けること、そのものを描写したといっていいのだろう。描写自体は幼さ、未熟さは多分たくさんあるのだけど、というかあまりに生というか検討されていない文言とでも言うべきなのか、いかにも「処女作」と言った趣ではある。

(そのあたり、幼稚とか幼いという批判はありそうだ。介護以外のものを扱ったときにそれがいいほうに出るかと言ったら、少々心もとない気はする。ただ、それは文学として考えるからそう思うのだろう。一般の「大人」のレベルで考えると、彼より「幼い」人はいくらでも、というか普通にいる。それに幼かろうがなんだろうが、「介護入門」のエピグラフにしても、彼は「本気」で書いている。この「本気」には、人を動かす力がある。)

大麻を吸いながら介護を続ける金髪の30男が、ご飯を食べさせても無反応な祖母に「なぁ、食べてる時は食べさせてる人の方見なぁ」「口開いたら勝手にご飯入れよるわ、て思うてたら、アカンで」と必死で話しかけ、泣き崩れることによってコミュニケーションを回復していくありさまには、やはり泣く。介護する方もあきらめたらだめなのだが、介護される方もあきらめたらだめなのだ。このくじけてしまう二つの魂をかき立てながら普通に泣いたり笑ったりする家族の関係を一瞬ずつでも取り戻していこうとする筆者の必死の努力は、やはり多くの人に読んでもらうに値すると思うし、だからこそ芥川賞が与えられたのだろう。

しかし、「芥川賞とはそういうものか?」という疑問は絶対にあるだろう。なんと言うか、またこれを越える作品を書いていただきたいものだと思う。(2007.7.18.)

  

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