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小林よしのり『いわゆるA級戦犯』
いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL幻冬舎このアイテムの詳細を見る 旭屋書店など物色し、買わないつもりでいた新しい『SAPIO』を買った。壱真珈琲店の地下の店でモンブランと珈琲を頼む。このモンブランはとろけるようで美味しかったな。『いわゆるA級戦犯』を読む。市谷の極東軍事法廷の写真。いまは防衛庁の記念館になっている。第1章は東條英機の簡単な伝記。とはいってもMPに逮捕される日の様子などは細かく描写されている。しかし、知らなかったことはそんなに多くない。小林の作品はいつもどこで調べてきたのだろうと思うほど細かい描写や記録がふんだんに使われていて驚くのだが、このあたり正当に評価されていないのはマンガというメディアに対するアカデミズムの強い忌避感がいつまでたっても解けないところにあるのだろう。
東條逮捕の場面で印象的なのは米兵たちが自決を図った東條を運び出す際、東條邸で略奪行為を働いたこと、また東條の身につけていたものを「記念品」として奪い合ったり、その血をハンカチに浸したりしたというエピソードである。これは日本ではあまり知られていないことだが、硫黄島の戦いの際等にも日本兵の髑髏を記念品として持ち帰る米兵が多く、故郷で待つ婚約者に髑髏を送ってその髑髏を見ながら女性が物思いにふける、といった写真もある。
これは「メメント・モリ」のための古くからのヨーロッパにおけるアイテムとしての扱いのようなもので西欧絵画にもよく髑髏は出てくるが、遺骨収集に行った日本人がどうしても体の数に比べて髑髏の数が足りないので困ってしまい、硫黄島の戦いに参加したアメリカ人をたずねて回って返してくれるように頼んだ話を上坂冬子が書いている。髑髏の持ち出し行為をしたこと自体を現代アメリカ人はみな否定するのだが、別に彼らが野蛮だというのではなく、そういう習慣を持っていたというだけなのだから素直に認めればいいのにと思う。
奥崎謙三も『ゆきゆきて、神軍』のような勝者が笑ってみていられる戦場における罪の追及をやるより、米兵一人一人をたずねて回って髑髏の返還を要求するドキュメンタリーを撮ればよかったのにと思う。戦争における最大の不条理は勝者は何をやっても責任は追及されないというところにあるはずだ。
まあそうした観点の話ばかりだと泥仕合になってしまうのでつまらないが、極東軍事裁判が「まともな裁判ではない」ことなどを丁寧に小林は書き込んでいる。このあたり、私などが書けば多分もっとどうしようもなく感情的になってしまってまともな作品にならないと思うのだが、こういうことをきちんと作品化できるというところに小林の真骨頂があるのだと思う。
東條以外に主に取り上げられているのは広田弘毅と重光葵、パール判事である。広田弘毅は城山三郎『落日燃ゆ』で取り上げられているからよく知られている。小林の描出はそれと重なる部分も多いが、極東軍事裁判で一切抗弁をしなかった際、毎回広田の二人の娘が傍聴に来て、広田と視線を交わしたという話で親子の情愛というものを超えた人間的な結びつきの深さというものを感じさせられる。
静子夫人が玄洋社幹部の娘で玄洋社というものを必要以上に重大視したGHQによって(これは昭和天皇のいわゆる右翼団体に対する「偏見」もかなり関係していることを小林は示唆している。私もその点において昭和天皇には偏見があった――それは5.15や2.26で重臣を殺害された怒りが大きく作用していて無理もない点もあるのだが――ことは確かだと思う。しかしそれをはっきりと明言したものは今まで読んだことが無く、小林の潔さがよく現れていると思う。こういう点は左翼からはもちろん、保守派からも攻撃されやすい点であって、こういう点における小林の矜持というものは軽んじられるべきではない。しかしイデオロギーによる史観の分裂が深刻な近現代史において、こうしたイデオロギーに囚われない分析に対しては不当に評価が低いのが実情である。いまは国史に関しては左翼がアカデミズムを握っているから完全に黙殺されているが、右翼がアカデミズムを掌握したら進歩するかというとそんな単純なものでもない。そして単なる実証主義では政治の荒波を渡っていくのが難しく、みな左翼の衣を被って発言していくうちに中身まで左翼になってしまう。現代の怪談である。)広田は文官で唯一絞首刑にされた。
その裁判の途上で、静子夫人は服毒自殺する。乃木大将の殉死の話が出たとき、夫が自決してから妻が後を追うものでしょうね、という話になり、「まあ、私なら自分が先に死ぬわ。」といい、それを実行したのである。この当たりもう涙腺が緩んでしまって困ったのだが、裁判の最後まで娘二人の傍聴は続き、その死を知った後も広田の家族宛の手紙の宛名は「シヅコドノ」であったというくだりを読んで地下鉄の中で涙を拭いてしまった。こういう描写の巧みさが小林の最大の武器だと思う。彼の主張はそんなに奇矯なものはないし、過激でもない。彼の武器は思想の破壊力ではないのである。彼はあくまでも創作家であり、その描写力、表現力が最大の武器なのである。
重光に関してはいままでまとまったものを読んだことが無かったので、これはいろいろ勉強になった。小林が白内障の手術の後箱根で休養していた際、重光の記念館を訪れ、感銘を受けた。「願はくは御国の末の栄え行き我が名さけすむ人の多きを」という、ミズーリ号上の休戦文書調印に赴く前の一首である。「我が名蔑む人の多きを」というこの句は極東軍事裁判関係者によく見られる裏返しの愛国表現であるが、この屈折の深さが敗戦という事実の重さを表現して余りある。まあその個人的な体験の大きさから小林は基本的に重光を持ち上げた書き方になっているのだが、まあそれは仕方ないだろう。
パール判事に関しては、『共同研究 パル判決書』の冒頭の、パール判事の主張は日本無罪論ではない、という解説を糾弾している。それはパール判事のその後の言説をたどればわかる、ということなのだが、まあこういうものを曲解したい神経というものは私などにもわかりかねるが、「戦後」という文脈を後生大事に守ろうとするとそうせざるをえないのだろうなと思う。
まあとにかく、この本は小林にとっては久しぶりのよくまとまった、シンプルな佳作だと思う。SAPIOでも『新・ゴーマニズム宣言』を終了し、『ゴー宣・暫』と改題して新たな表現を求める心意気が凝縮されていると思う。(7.3.)