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小室直樹『硫黄島栗林忠道大将の教訓』

硫黄島栗林忠道大将の教訓

ワック

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気になっていた小室直樹『硫黄島栗林忠道大将の教訓』(WAC、2007)を東京駅の丸善で購入し、電車の中で読む。久しぶりに小室直樹を読んだ(まだ読みかけだが)が、結構面白い。というか、やはり視点が独特で、しかしぶれないところがあり、異論がある人はいるのだろうが、彼の論理は論理として納得できるところが多い。彼は政治なり軍事なり経済なり宗教なり、普通の人にはわかりにくいことを常識の範囲内で説明することが天才的に上手だと思う。その本質をつかんでそれを説明に転換する過程で解釈とか言葉の用法の選択があるわけで、そのあたりのところはもちろん議論の対象にはなり得るが、細かいところはチェックだけしておいて先を読み進めると、そんな細かいところはどうでもいいような気がしてくるところが彼の筆力なのだと思う。

硫黄島の玉砕をアラモ砦とかテルモピレーの戦いとかと比べていて、玉砕の敢闘精神を称えることがいけないことのようにアメリカナイズされた日本人は考えがちだが、アメリカ人だって古代ギリシャ人だって状況はもちろんそれぞれだが「玉砕」はしてるんだよな、ということを認識させられた。そしてそれが歴史のエネルギーになっているか否かがその後のその国の歴史を変えているのだとも思う。

まだ第二章までしか読んでいないが、硫黄島について、戦前の状況、現在の状況、第二次世界大戦中に硫黄島が置かれた戦略的な位置関係などを非常にわかりやすく説明していて、とても勉強になる。山本五十六の判断の誤りがミッドウェーの敗戦を招いた、とかちょっと私の知識では判断しかねる評価も提示されているのだが、そういう評価の問題はいくつか議論にはなりえるのだろうと思う。しかしそういうのって戦史の研究家同志でも熱くなって議論するようなことだから、私が立ち入るつもりもない。そういう意味で言えばまだWW2は現代史だ。

真珠湾から始まり、ドゥーリットル空襲、アッツ・キスカ占領とミッドウェー海戦、ガダルカナル戦とマリアナ沖海戦…と見ていくと、この戦争はアメリカにとっては紛れもなく太平洋の島々を巡る争い、すなわち「太平洋戦争」なのだということがよくわかる。だからアメリカがこの戦争をそう呼ぶのは至極正当なことなのだ。しかし日本にとってはこの戦争は単なる対米戦ではない。「大東亜戦争」というと、東亜=日満支だけでなく大東亜=東南アジアまで含めた範囲での戦争ということになるが、ハワイやアリューシャン、珊瑚海までの展開を考えるとその名前もあまり十分ではない。「アジア太平洋戦争」などという羊頭狗肉というかヌエ的な名称はもっと不適切だろう。

戦争の本質をめぐる問題はおいておくが、とにかくサイパン・テニアンを巡る戦闘(つまりマリアナ沖海戦)が日本の死命を決したというのは正しいだろう。そこからB29が日本に空襲をかけられるからだ。あまりちゃんと認識していなかったが、B29というのは当時としては考えられないくらい巨大な飛行機だったのだなということがはじめて認識された。「当時の感覚」というのが実に理解の難しいものだということはよく感じるのだが、小室はそういうことを説明するのが上手い。しかし日本側もB29を1000機打ち落とした、というのは初めて知った。(初めて知ったのでなんだか信じられないような感じもするのだが裏づけは調べていない)アメリカはサイパンからの中継点、不時着の出来る地点として硫黄島がどうしても必要だった、というわけである。硫黄島の戦闘の意義がよくわかる。読みかけ。(3.7.)

小室直樹『硫黄島栗林忠道大将の教訓』を読み進める。現在150ページ、第4章の途中。ここまでの構成は、序章「世界の戦史上、稀にみる死闘は東京都内で行われた」は「硫黄島の戦い」が日本国内であまりに知られていないことを嘆き、その意義を強調するもの。第1章「真珠湾奇襲から硫黄島へ」は硫黄島の戦いに至る日米戦争の経緯。解釈は小室の独創性が発揮されているところが多く、事実の面でも私などは知らないことが多かった。

第3章「硫黄島三十六日間の死闘」は、実際の硫黄島の戦闘とそれを巡る国内状況を日米双方について描写、解釈。栗林中将の発した「言葉」が胸を打つものがある。実際、栗林は「硫黄島の守備隊長」ではなく、小笠原方面総司令官なのであって、師団司令部は父島にあるのだが、栗林は実際に戦闘が行われる最前線の硫黄島に司令部を移したということは知らなかった。3月17日朝の全将兵に呼びかける電報、「一 戦局は最期の関頭に直面せり」で始まる文章は「四 予は常に諸子の先頭に在り」で終わるが、絶望的な状況の中でのこの言葉は、確かにこれで奮い立たなければ男子ではない、という感じがする。

硫黄島の戦いは日本国内よりもアメリカで詳しく報道され、圧倒的に優勢であるはずの米軍、特に最強を誇った海兵隊員が日本軍にばたばたと倒されている事実は正確に国民に伝えられ、新聞王ハーストは硫黄島の犠牲の大きさを訴えてニミッツを更迭してマッカーサーに指揮を執らせろとのキャンペーンを張ったという。戦後マッカーサーがGHQ総司令官として占領下日本の最高支配者になったのはそういうことも影響していたのだろうか。

第4章「現代に生きる硫黄島」は、硫黄島の戦いが戦争の推移と降伏条件、アメリカの戦後の対日政策に与えた影響について述べている。軍備制限が条約でなく押し付け憲法によって定められたということは、日本に軍備に関するフリーハンドを与えることになった、という解釈は初めて聞いたがなるほどそういう考え方もあるかと思った。ハル・ノートが無謀だったから戦争に追い込まれたという説も、ハル・ノートには中国撤兵の期限が切られていないのだから最後通牒ではない、だから受諾しておいて重慶を占領し、もうすぐ撤兵しますよー、と現在のどこかの国がやっているようなしたたかさでやっておいても全然よかった、と小室は主張する。確かに「どこかの国」がやっているあの狡さ、したたかさが日本にあれば、あんな下手な戦争はしなかったかもしれないと思う。

ドイツは現在でも親日的で、ドイツ人からはいまだに「今度はイタリア抜きでやろうぜ」というジョークが発せられるという話は佐島直子『誰も知らない防衛庁』に書かれていたが、それはドイツの過去の同盟国の中でドイツよりも先に降伏したり戦線離脱したりしなかった国は日本しかないから、だそうである。確かにイタリアにはドイツは相当手を焼いているし、フリードリヒ大王にしろナポレオン戦争のときにしろ、第一次世界大戦でもドイツは孤独な戦いを強いられた。日独同盟というものが双方にとってほんとうにプラスになったのかは疑問だが、「イタリア抜きでやろうぜ」という言葉はかなり実感がこもっているものと思われる。

やはり小室は面白い。読みかけ。(3.8.)

小室直樹『硫黄島栗林忠道大将の教訓』読了。栗林が長野県松代の出身だということは忘れていた。永田鉄山に私淑していたということが書いてあり、言わば信州人脈ということだったのかもしれない。私は基本的には戦記ものというものは苦手で、そのせいで戦争関係のことでよくわからないことが多いのだけど、この本は非常に私には読みやすくて、しかも戦争全体が俯瞰できるとてもわかりやすい本だったと思う。『ソビエト帝国の崩壊』以来、小室直樹はすごい人だとは思っていたが、久しぶりに読むとやはりすごいなあと思う。それも、こういう軍事関係のことに関しては、特にそういう感じがする。(2007.3.9.)

  

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