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小川洋子『深き心の底より』

深き心の底より

PHP研究所

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教文館で本を見て小川洋子『深き心の底より』(PHP文庫、2006)を買う。これはエッセイ集だが、なんだかそういうものを読みたくなった。4階に上がってカフェでスパニッシュケーキとブレンド。二冊の本を少しずつ読む。(10.16.)

小川洋子『深き心の底より』。あまり考えないで読んでいたのだが、ときどきびっくりするような言葉に出会う。最初は何の気なしに読んでいても後で心に深く入ってくるような。「深き心の底」というのが決して修辞ではなく、ものを作る行為の本質が底にある、ということがわかったときも驚いた。ホロコーストを描いたエリ・ヴィーゼル『夜』の中で、収容所を爆破したかどで幼い少年が処刑されるとき、「神さまはどこだ、どこいおられるのだ」とだれかが呟いたとき、心の中でエリ少年は「どこだって。ここにおられる―ここに、この絞首台に吊るされておられる」という。この言葉は神の死を意味しているように思われるが実はそうではなく、そこに新たな紙を見つけたのだ、という小川の指摘はやはりある種恐ろしい。人が物語を作り出しながら生き、物語の力によって生きているということを小川は確認しているのだ。そしてその働きを失ったとき、人間のたましいは死ぬのかもしれないと思った。

甲野善紀のサイトで「肉体が死んでも霊魂は死なない」のではなく、「霊魂が死んでも肉体は死なない」のであり、そちらの方がずっと恐ろしい、というようなこと(かなり私が恣意的に解釈しているが)を書いていて、そういうものと通じるものがあった。

小川洋子は今まで二冊だけしか読んでいないが、思ったよりずっと凄い人なのかもしれないと思う。作家には作品の凄さに惹かれる人もいるし、作品より作家そのものの考え方やそういうものに惹かれる人がいるが、小川は私にとっては後者だ。自我の殻の下にある深き心の底をのぞき、そこへ降りていくこと―それは村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の中に出てくる井戸のイメージに重なるのだが―こそが、今自分に必要なのではないかと考えさせられている。(10.19.)

小川洋子が谷崎賞を受賞した。もうますます凄い感じだ。『深き心の底より』を読み進む。『アンネの日記』についての考察が深く、実は読んだことのないこの本をはじめて読んでみてもいいなと言う気にさせられた。同じ昨日にドイツではネオナチが『アンネの日記』を大勢で火中に投じて気勢をあげたのだと言う。人間の中の何かと何かの戦いは、人間の心の底でも、政治的な行動としても、ずっと続いている。(10.20.)

小川洋子『深き心の底より』読了。最後のほうが、金光教とのかかわりのことが書かれていて、個人的に興味深かった。大学生のときに、宗教とのかかわりについて自分の中で決着がつき、その後も信者として一貫しているというそのあり方がこの人の独特の世界観に強い影響をもたらしているのではないかと思う。たましいなどないという人であったら、これだけ深くて広い精神世界の探訪を真剣になってやることは不可能だとおもうし、そういう働きが低下していることが現代のさまざまな問題の根源なのだと考えてみたりする。(10.21.)

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