本探し.netTOP >本を読む生活TOP >著者名索引 >カテゴリ別索引 >読書案内(ブログ)

須賀敦子『本に読まれて』

本に読まれて

中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

今まで積読で読んでいなかったものを読もうと思い持って帰ったのが須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫、2001)であった。須賀敦子という人は名前は以前から聞いていたが、あまり読む機会がなく、『本に読まれて』も数年前に買ってあったのだが、ほとんど読んでいなかった。これは確か福田和也が上流のハイソな雰囲気を味わうなら白洲正子か須賀敦子だ、みたいなことを書いていて、白洲は私は手当たり次第にすべて読んだ(まあ読み残しもどこかにあると思うが)から須賀を読んでみよう、くらいの気持ちで読んでみて、全然そんなものではなかったので途中で投げ出したことを思い出した。まあ考えてみたら白洲を「ハイソなおばさん」扱いする人のいうことを真に受けても仕方がない、というか福田は福田なりのたくらみがあってそういう言い方をしたのだろうと思うのだけど、こちらもそんなものに素直に引っかかっても仕方ないことだったなと今では思う。

で、なぜ読み直す気になったかというと、本屋で読んで気になり、図書館で借りて読んだイタロ・カルヴィーノの訳者が須賀だったからだ。こんな面白い本の訳をする人だから面白いんじゃないか、と思って再び読み出したのだが、今回読んでみると前回と全然雰囲気が違い、先入観がない分だけ非常に面白く読んでいる。というか、須賀の文章というのは非常に骨があり、内容が濃く、とてもとても一気に読みきれるような文章ではない。読み始めてからこれはノートを取る必要があると思い、私はA4のコピー用紙にノートを取ってあとでホッチキスで留めて保存するというノートの取り方をしているのだが、それでもう4枚分も気になる部分を書き留めた。蛇足だが、この方法は取るときは取りやすいのだが整理が面倒だ。しかし単価の安さとか(実は没にした用紙の裏に書いているので1枚0円)書くときの気軽さとかを考えればこの方法で整理の仕方だけ納得のいくやり方が考えられれば結構いいのではないかと思っている。と、いうわけでまだ今のところ半分くらいしか読めていない。

須賀は、私が今まで本気で読んだ中で一番「現代文学」に近い人なのだと思う。現代文学がいつから始まるかというのは難しいが、ひとつのメルクマールは第一次世界大戦後の「西欧の没落」以降のもの、もうひとつのメルクマールは第二次世界大戦後の非西欧諸国の独立と米ソの政治的・経済的優越の成立以降のもの、ということになろう。そう考えると、第三のメルクマールは冷戦構造崩壊後、あるいは911後ということになるかもしれない。社会主義の敗退後、あるいは「テロとの戦い」後の世界文学がどのようになっていくのかというのはかなり重要な問題だ。

しかし、これは文学が政治に従属している、ということではない。というか、文化的には、文明的には、いまだに西欧が世界のグローバルスタンダードであることは変わっていないと思う。しかし他を省みる必要を感じなかった驕慢な第一次世界大戦以前の西欧の姿勢はいまや放擲せざるを得なくなったわけで、第一次世界大戦後はその動揺を表現した文学が、第二次世界大戦後はいかにして非西欧世界の文化・文学・文明を西欧の既成秩序の中に位置付けていくかという試みがなされたということだろう。ポストコロニアル・カルチュラルスタディーズといった試みは基本的には西欧側からのそうした「良心的」な試みと見ていいが、そこに西欧的な価値観(西欧近代科学的な視線・「人権」至上主義など)が貫徹している点において新たなる帝国主義的な意味合いがないとはいえない。それはフェミニズムや人権概念の「押し付け」という面でも帝国主義的である。

つまり文学は政治に従属しているのではなく、文学(あるいは文化)も政治も人間の生の一局面なのであって、文学・文化が政治を動かす枠組を決定しているという側面も強調されなければならない。そして、「世界文化」を標榜しているのは現在のところ西欧文明だけなのであって、それは弱体化しながらもいまだにグローバルスタンダードであることは否定し難い。日本もまた、そこへの参入を申し立てている存在に過ぎないのであって、「西欧の一員」にはなりえないことは深く自覚すべきだろう。したがって、われわれが西欧文化の見直しに本当の意味で参加することは出来ないのであって、われわれはわれわれの文化と西欧文化、またその他の文化を加えて新しい融合的な世界文化を創りあげることしか可能性としてはありえないのだと思う。そのための方法論として、ポスコロ・カルスタといった手法が有効であるかどうかは、私にはまだわからない。しかし911後の現在において、また状況は変わっているかもしれない。いずれにしても、世界文化の発展、そして平和のためには、お互いがお互いの文化を尊敬しあい、学びあう姿勢がないことには話しにならないと思う。これもまた困難な点が多いことは承知しているが。

というようなことを須賀を読みながら考えさせられた。そのほか紹介されているさまざまな本も面白そうだし、池澤夏樹という作家の魅力はかなり納得させられた。私とはかなり好みやセンスが違う人であることは確かだが、読み応えのある文章だと思う。なくなられてからその魅力に目覚めることが私には多いが、この人もそういう人だなと思う。(3.30.)

須賀敦子『本に読まれて』読了。実に面白く興味深いのだが、後半にいくにしたがって疑問も感じて来た。これが年代順に並んでいるなら、晩年になって賛同しがたい部分が現れてきた、ということかもしれない。デュラスの『エクリール』の中で蝿の死を克明に観察し、3時20分というその死の時刻を記録することがその蝿の葬儀なのだ、というデュラスに須賀は感心し、蝿の死を歴史に位置付ける「ヨーロッパ」に賛嘆する。一方で彼女は志賀直哉の『城の崎にて』にそれが欠けていることに不満を漏らす。しかし、時を記さないのが日本あるいは東洋であり(中国は違うかもしれないが)、そのことが蝿の死を永遠化するために必要なのではないかとすぐに私は思った。歴史化と永遠化。それに価値の上下はない。

また、年齢的に仕方がないことかもしれないが、「日本の戦前」への病的な忌避感がある。彼女が若いころカトリックに改宗し、(日本では改宗というほど宗教が固定的なものではないが)日本を離れたのも同じ動機らしい。それでいて、ジッドに感動しやすい日本人のことを「ジッドのプロテスタンティズムに由来する、一種の誠実さとか真摯な態度みたいなものに、ある時代の日本の読書人がとかく魅せられやすかった」と批判的に見たりもしている。彼女自身の精神構造も「ある時代の日本の読書人」とそう違うとは思えないが。

そういうのと同じような面が後半に行くにつれて強くなっていくのは残念だ。これだけおおらかにさまざまなものに興味を持ち、さまざまなものに共感しうる魂が、最後には原則論的・教条的な陥穽に落ちてしまう。そのきっかけは1988-9年の昭和天皇の崩御をめぐる日本社会のありように、彼女たちの頭の中では乗り越えたつもりになっていた天皇とそれにまつわるものが社会の表面に噴出してきたことが、おそらくショックだったのだろう。また1995年の衝撃、すなわち阪神大震災と地下鉄サリン事件もかなりショックだったようだ。私自身、社会党的なもの、すなわち「進歩的文化人」と称するものがいかに無力で無効なものであるかを強く感じたのが危機管理思想が絶無なこうした傾向の人々に対してであった。以前どこかで書いたが、これらの事件をきっかけに左翼的なものと最終的に訣別した人は私だけではないようだ。

こうした時代の動きの中で、須賀の書くものは悲観色が強く、時代を厭う色が濃くなっていく。98年に68歳で亡くなられたのはいかにも早く、惜しいのだが、2001年の911の衝撃を受けずに済んだのは、まだしも幸いだったかもしれないと思う。われわれ日本人には想像もつかないくらい、西欧文化圏の人々はあの事件に深い衝撃を受けている。西欧文明を媒介に世界の人々が理解し合うことは可能だという希望を、相当なレベルであの事件は崩壊させたからだ。須賀のスタンスはやはり基本的にはそういうものだから、その衝撃は深刻なものになっただろう。

まして2002年の917、すなわち「拉致」の存在が明らかになった北朝鮮との交渉やその後の本質的なナショナリズムの盛り上がり、また有無を言わさぬアメリカのアフガン戦争やイラク戦争とその無様な進展などを見たとき、彼女は何を書けるだろうかと思う。もう悲痛しかそこには残らないように思われる。

司馬遼太郎もそうだったし、ほかにもそういう人は何人もいるが、晩年にさまざまな衝撃で教条主義的になったり強いショックを受けてしまう人が多いのは残念だが仕方がないことかもしれない。68年の学生運動が盛り上がったとき、パリ大学の教室で教授の目の前でいきなり女学生が胸を露出させたことに深い衝撃を受けた老哲学者はそのまま死んでしまった。暴力的な諸事件は否応なく敏感な魂を打ち砕いてしまう。たとえその魂がどんなに高貴なものであっても。(3.31.)

トップへ