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佐藤卓己『八月十五日の神話』

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

筑摩書房

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一昨日帰京。帰りの特急では『美味しんぼ』の最新巻と『八月十五日の神話』を読む。お盆ラジオ−高校野球−八月戦争報道の関連性は面白いと思ったが、「国民の多くが甲子園大会に鎮魂の行事を期待している」というのはやや牽強付会ではないか。この指摘に関しては少々首をひねったが、それ以外は史実を含めへえと思わされることが多い。

特に、八月十五日を終戦とするのは日本が発信源であって、ミズーリ休戦協定の9月2日をVJデイとするアメリカあるいは通常の敗戦記念日と一線を画しているという指摘はそれ自体は前から知っていたが重視しなければならない。韓国の光復節が八月十五日なのはこの日に日本の統治が事実上「死に体」になったからであって、現実に日本の統治が終わったわけではない。占領中は9月2日が重視され、独立回復後は八月十五日が重視されるようになったという経緯も統治者の意図と月遅れ盆の伝統的古層の双方あるという指摘は分かりやすい。

ところでソ連の対日戦勝記念日は9月3日である。これは根拠は明確ではないようだが、著者の推測によると北方領土の占領のめどがついた日だという。歯舞諸島にソ連軍が上陸したのが9月3日、占領したのが5日なのだという。休戦協定が結ばれてからもソ連は軍事行動を続けていたのである。このあたり、歯舞作戦を正当化する理屈もあるかもしれない。しかしこうしたソ連の侵略行為は竹島を侵略した韓国のやり方と似ているところがある。

で、中国も戦勝記念日は9月3日なのだが、これはもともとが8月15日だったのが毛沢東の指示により満州の再征服(原文では東北解放)に成功したのはソ連の出兵のおかげだという感謝の記述とともに変更されたということだから、ソ連にあわせたと考えてよい。今年も「抗日戦」勝利記念式典を馬鹿馬鹿しく盛大にやっていたが、日本側がほとんど参列しなかったのは見識と言ってよいだろう。読売新聞は対日協調のわずかな部分のみを強調しているようだが、ミスリードではないだろうか。(2005.9.4.)

佐藤卓己『八月十五日の神話』も読みかけ。終戦記述に関する教科書の悉皆調査の結果というのは非常に興味深い。高校の日本史が9月2日のミズーリ号休戦協定にその日を求めるのが圧倒的に多いという結果はちょっと驚いた。それが最も客観的だと言うことなのだろう。やはり実際の調査結果には予想と違うことがでてくるなと当然のことながら実感。(9.5.)

『八月十五日の神話』読了。アジア各国の終戦記述についてのところを読んで、韓国が大韓民国臨時政府(李承晩中心)が重慶の国民党政府に身を寄せ、ハワイ海戦(米側の言う真珠湾攻撃)の直後に日本に宣戦布告し、「韓国光復軍」がビルマ戦線に派遣されイギリス軍と共同戦線をはったこともあったという記述を読む。大韓民国臨時政府については以前読んだことはあったがまるで忘れていた。こういう記述を読むとまるでドゴールの自由フランス政府である。フランスの「戦勝」もほとんどフィクションというべきだし、イタリアも最終的には連合国側にたってドイツに宣戦したりしているが、大韓民国臨時政府の場合は八月十五日に韓国内で勝ち名乗りを上げられなかったことが後々の信託統治問題や南北分断にも響いてきているのだろう。亡命政権を正当化し実効支配の総督府を非合法とみなす論理の組み立ては戦後フランスのヴィシー政権否定の論理に似ている。

タイのケースも面白い。日本のポツダム宣言受諾を受け、タイ政府は急遽1942年の対米英宣戦布告の無効を宣言し、アメリカはそれを受け入れた。イギリスとの交渉は1946年に戦争状態の終結が宣言され、1940年の東京条約(初めて知った)で併合した仏領インドシナの一部をフランスに返還することでフランスもタイの国連加盟に反対しなかった、という。綱渡り外交を見事やってのけたという感じである。

日本とドイツはこてんぱんにやられざるを得なかったし、「大東亜共栄圏」内の諸国もさまざまに戦後の有為転変、つまり今韓国で行われているような「親日派狩り」が行われたのだろうが、日本がそうした人々に出来る限りの支援を与えたとは言い難い。台湾の人々の発言などでも、「終戦によって日本に見捨てられた」という発言がよく聞かれるのは、戦後日本が戦前の亡霊を振り払おうとでもするかのようにアジア諸国の「同志」を切り捨てたということを見せ付けられるようで、身を切られるような思いがする。靖国問題も最終的には同じで、切り捨ててはならないものまで切り捨てることによって戦後の日本が何を失ったのかということをもっと自覚しなければならないと思う。平和国家ですとお澄まし顔をすることの欺瞞と偽善は「共に戦った人々、国家」を切り捨てたこと、結局そこに尽きるのではないかと思う。

そのほか丸山真男の「八月十五日革命論」の欺瞞をついている部分も面白かった。高校時代の世界史の教師に丸山が偉い、と言われて以降、偉いらしいが何が偉いのかはよう分からん、と思っていたが、彼が亡くなった時、その追悼記事を読んでいて違和感が相当大きくなってきていた。最近は丸山批判の論調もかなり盛んになってきてはいるが、日本の戦後論壇に対する呪縛力は相当強かったのだなと改めて思わされる。王様は裸だ、と見抜くことは出来てもそれを明示するためにはまだまだ修練が必要だなと改めて思う。(9.7.)

  

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