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吉村萬壱『ハリガネムシ』

ハリガネムシ
吉村 萬壱
文藝春秋

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吉村萬壱『ハリガネムシ』(文藝春秋、2003)を借りる。

現在42ペ−ジ、3割強。主人公が高校教師で、リンチ事件や生徒指導などについて書いているのはちょっと嫌だなと思った。昔のことを思い出して嫌だというより、そういう場面でのものの感じ方のようなものを読むのがなんだか嫌な感じがする。圧倒的に貧しい現実を突きつけられたような感じというか。しかし奇妙なエロティシズムの方へ話が流れているのでわけがわからないというか、意味不明の面白さに惹かれていく部分がある。文学界新人賞受賞作の紹介文に「奇想に次ぐ奇想」と書かれていたのでそうかそういう人かと思う。少しリアルな側面を入れようとしてそういう設定にしたのだろうかと思った。よく考えてみると出てくるのは変な人たちばっかりだ。(2007.7.19.)

吉村萬壱『ハリガネムシ』読了。最初は何だこの小説は、と思いながら読み始めたのだが、面白かった。これはひとえに、サチコというキャラクターの魅力によるところが大きいだろう。

サチコというキャラクターは少なくとも半分以上はフィクショナルな存在だと思うのだが、圧倒的な実在感がある。サチコのいる世界の暴力性と主人公の内なる暴力性が共振して凄いところへ行ってしまう、構造としてはシンプルなのだが、シンプルであるがゆえに強い。

作者は高校教師で、その辺で私自身と変な共振があると嫌だなと思っていたのだが、かなり根本的な部分でうならされるところがあった。教師というのは、当たり前だが教育者で、教育というものは子どものよいところを育てていくべきものだから、教師自身が思い切って倫理的でなければならない。しかしなかなか倫理的であることに思い切るということは難しい。思い切れなければ教師という職業にそぐわない自我は抑圧するしかなくなるわけで、抑圧すればするほど変なところで噴出してしまうのは、三面記事を賑わしているさまざまな現実がよく現している。

最後の方で屋外で暴力的なセックスをしているところを不良集団に襲われ、その集団の中に自分の生徒がいた、というストーリーの奥底には、こういうことを自覚している教師なら絶対に思い当たるところがある、というか潜在的にいつも恐れていて、実はひそかに望んでいるかもしれないような隠微なものがある。教師は醜態を見せられない職業だ。それは警察官や自衛官でもそうだろう。その醜態を夜の町で見せたりすることは普通だが、よりによって生徒に見られてしまうというのは教師としてのアイデンティティ崩壊につながる。そしてその作られたアイデンティティをどこかで壊したいと望んでいることは、そういうことに自覚的であれば気がつかないはずはないと思う。それに気がつかないほど鈍感であるか、あるいはそれを乗り越えられるほど克己心が強ければそれは不可能ではないのだけど、現実の教師は後者ばかりでないのは残念なことだ。

学校現場の深刻さや批判について書いたのだがちょっと筆が強くなりすぎたので一部削除。

暴力性ということにも関連するが、作中で主人公は次々に禁忌を破っていく。そのたびにおぞましさで読みが中断するのだが、小説のストーリー展開において「やってはならないこと」が読むものの心を動揺させる強い力を持つことを今さらながら認識させられる。この「禁忌を破る力」は本来はモラルの側から復讐される危険を考えるべきなのだけど、現代文学においてはそのこと自体よりもその禁忌破りがどのくらいのインパクトを持ちえるのか、その量の見極めを誤ると失敗することになるし、それを描くのに十分な描写力を必要とする。そしてその描写の深さ、粗密、量などもかなり計算しておかないと、「みっともない作品」と見なされる危険性がある。そしてそういうものであればあるほど、作者の持つ本来の「趣味の良し悪し」とか、そういうものもまたそこに関わってくる。つまり、作者の持つ全体的な力量そのものが、一番ぎりぎりの描写において問われることになるということだろう。(7.20.)

  

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