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半田利弘『はじめての天文学』

はじめての天文学

誠文堂新光社

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夕方必要な書物もあり、丸の内の丸善に出かける。ついでに買ったのが半田利弘『はじめての天文学』(誠文堂新興社、2000)とミシェル・リオ『踏みはずし』(白水Uブックス、12001)の二冊。天文学関係の本を何冊かぱらぱら見たが、これが一番興味を引きそうだった。私が一番熱心に天文学の本を読んでいたのは小中学生の頃だから、その頃の最新の研究というものはもう遙か彼方の時代の話になっていて、ずいぶん目新しいものも沢山ある。その後もそれなりに気をつけてきたつもりではあるが、少しは体系的に読んでみると面白いのではないかと思う。(11.13.)

半田利弘『はじめての天文学』。理系の高校生クラスが対象の本のようだが、これはかなり難しいところがある。トップレベルの、天文学に関心のある生徒にとってはきっとかなり面白い本なのだろうと思う。1990年代以降の天文学の研究動向がいろいろと説明されていて、現在の天文学がどのような方法で観測や研究、理論整備が行われているのかということを含め、私が子どものころに知っていたことに比べるとものすごく先のところをいっているということがよくわかった。

彗星の尾にはHCO+という地上には存在しにくいイオンが存在するとか、太陽や太陽のコロナを作っているのは電離しイオンの状態になった電離ガスだとか(これはもっと前から知られているんだろうが中学生の自分には理解できなかったということなのだろう)、以前は散光星雲といわれていた天体系が現在では電離水素領域と呼ばれているとか(なんという散文的な名称か)、へええと思うようなことが多い。天文学の研究も物理だけでなく化学的な知識が相当必要なんだなと再認識したりする。まあしかし観測結果を上手く説明できる理論モデルがなかなか作れないとか、まだまだそういうことが残っている話を読むと、宇宙はロマンがあるなあと詩的な世界に浸ることもできる。(11.16.)

今日は別の用事でまた松本に出かけるが、電車の時間が余りあわなくてかなり時間を潰さなければならなくなりそうだ。『はじめての天文学』を持っていこうと思う。(11.17.)

天文学ファンと鉄道ファンが重なるという話が面白かった。天文学者なみんな鉄道が好きだというのだ。これは子どものころ自分も両方好きだったのでわかる気がする。今では両方から離れてしまったが、おそらくはそういう意味での童心をもちつづけることが出来た人たちが天文学者や鉄道ファンになっているのだろう。

『はじめての天文学』を少しずつ読む。ある意味幸せな研究をしている人たちではあるなあと思いながら読む。天文学の内容についてはもう高校生の頃の知識とは全然かけ離れているが、天文学者のものの考え方とか生活とかは、高校生の頃漠然と想像していたこととあまり違っていない気がした。(11.18.)

特急は空いていて助かった。寝不足だから爆睡するかと思ったがそうでもなく、『はじめての天文学入門』を読み続ける。面白いと思ったことをメモ。

すばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡などの超高性能の望遠鏡は世界中の研究者に共同利用されていて、どういう観測をするかということ自体を世界的に募集しているという話。観測提案というのはいいなあと思う。世界共通の資源というか資産として、そういうものが使われているというのは政治や経済や軍事や諜報などの話ばっかり読むことの多い身としてはほんとうに心温まるものだなあと思う。

「暗黒物質」について。ずいぶん昔(30年以上前)に読んだ本では、暗黒物質とは暗黒星雲を形成する物質のことをさしていた気がするが、少なくとも現在ではそういうことではなく、「光との関係は弱いが質量を持つ物質」が「宇宙の晴れ上がり」(ビッグバン後、電離ガスが冷却されて一斉に分子・原子になり、光を失った時点)の際に濃淡をもって宇宙空間に存在していて、この濃淡にひきつけられて通常の物質が集まり、星や銀河が形成された、その謎の物質のことを「暗黒物質」というのだ、ということを理解した。それはつまり理論上の存在なのだが、それがニュートリノではないかということになっているという話も理解してみると面白いなあと思う。よくそんなことを考えるものだが、そういうことになると、ニュートリノの存在が現在見るような宇宙の成立に非常に大きな影響をもっていたということになり、そんなに大事だったのかと驚かされる。またスーパーカミオカンデの観測で、地上からやってくるニュートリノと地球の反対側からやってくるニュートリノは種類が違っていて、つまり地球を通り抜ける間に種類が変化しているということが発見され、そのことからニュートリノに質量があるとわかったとか、なんだかへええと思うようなことばかりである。現在ではもっと研究が進んでいることなのだろう。

関係ないが、私の知っている時代は銀河といえばわれわれの銀河系だけを指し、アンドロメダとかは「大星雲」であって銀河とは言わなかった。これはおそらくは英語で大文字のGalaxyがわれわれの銀河を指し、小文字のgalaxyがわれわれ以外の銀河系的星系をさすことから、(それは私が知っているときもそうだった)日本語でもアンドロメダのM31などを「アンドロメダ銀河」などと称するようになったのだろう。確かに星雲といえばオリオン座の馬頭星雲などと混同されやすくていけないというのはわかるが、だからといって英語に媚びるような命名もどうも気に入らない。われわれの銀河系を「天の川銀河」などと称するのは馬鹿げた畳語で、銀河というのは天の川を熟語で言っているだけなのだから「頭が痛くて頭痛がする」の類である。もう少し工夫が欲しい気がする。

もうひとつへえ、と思ったのが、現在の携帯電話の普及によって電波天文学が非常にやりにくくなっているということ。いわれてみれば全くそのとおりだろうなあと思う。天文学に都市の光が非常に邪魔で、ハッブルが遠い銀河(まあ慣用に従おう)の赤方偏移を発見したのも第二次世界大戦中で灯火管制が敷かれていたことがプラスした、という話を聞いたことがある。現在では可視光線だけでなくあらゆる波長の観測を行っているわけだから、現在のような人工の強力な電波がそこかしこで発されているような状況は相当困るにちがいない。電波は目に見えないだけに、そういうことは言われてみないと分からないなあと思った。読了。面白かった。(2006.11.22.)

  

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