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佐島直子『誰も知らない防衛庁』

誰も知らない防衛庁―女性キャリアが駆け抜けた、輝ける歯車の日々

角川書店

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今回は佐島直子『誰も知らない防衛庁』(角川Oneテーマ21)と佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書)を持ってきているがそれぞれまだ84ページ、34ページしか読み進めていない。ふと気がついたが佐島氏は昭和30年生まれ、佐藤氏は35年生まれである。私は37年だから、同じ30年代生まれの人の著作を全然何も意識せずに読んでいる。

私が意識するのは著者の「感覚」だが、佐島氏のほうがなんとなく理解しやすい。佐藤氏のほうはちょっとずれがある感じがする。同じ年代に生まれ、同じような戦後史観の中で育ってきても、佐島氏は『坂の上の雲』などを読んで登場人物について弟と論じ合うような家族環境で育ってきたことが書かれているけれども、佐藤氏のほうは戦後史観の中でも客観的な視点に立とうという意識を持った人、という感じである時期自分がいた地点に今でも居続けている人、という感じがする。

私は佐藤氏の視点から離れて佐島氏の視点に近づいているということになる。私の世代にも私のようないわば思想的な変遷を経た人というのはもっといるはずなのだが、まだあまり著書などで見かけることは少ない。幼少から40台まで一貫して同じ「城」の中で育ってきた人、というのはそろそろ花が開くころ、という感じなんだなと思う。ここではない、ここでもない、と思いながらいろいろな場所を探しつづけてきた人は、文学者とかならまだしも、一貫した業績を上げるべき学問の世界ではまだ実りをあげられる時期ではないのだろうなと思う。まあそう思って私なども励むしかないなと思う。(8.25.)

昨日朝帰京。帰りの特急の中で、『八月十五日の神話』を少しと佐島直子『誰も知らない防衛庁』(角川Oneテーマ21)を読む。

『誰も知らない防衛庁』は日本の防衛問題、防衛庁・自衛隊の日常業務の断面、各国の駐在武官との付き合い、一番大きな問題である在日米軍との関係などにおいて、周囲からは知ることの難しい面が色々書かれていて非常に面白い。冷戦構造の崩壊の中で旧東側諸国の駐在武官が身の振り方が難しくなり、北京で亡命し行方が分からなくなったポーランドの武官の話、チャウシェスクが倒れたとたんに西側と同様に扱うことを求めたルーマニアの武官の話など、国家に直接関係するだけに国家が倒れると行き場を失ってうろうろせざるを得ない軍人という職のある種の悲哀のようなものを感じさせれられた。昭和20年には日本にもそういう軍人が膨大にいたのだろうなということに思いをはせる。

在日米軍の防衛庁にかける圧力の強さというものにも驚いた。そうした側面は普段はあまり感じさせられないが、軍事的政治的には日本はアメリカの属国だ、というブレジンスキーだったか誰かの発言は彼らの実感としては確かにあるのだなと痛感させられた。防衛庁主催のパーティーで、招待客を在日米軍司令部に知らせたら、副司令官がその顔ぶれに文句をつけ、副司令官の『命令(Order)』という形で防衛庁に要求を突きつけてきたという話には驚いたし怒りを禁じえなかった。佐島氏は防衛庁の方針を曲げず、その『命令』に添った形であまりに階級の低いものを随員という形で処理したりして出席者をアレンジしたというが、その『命令』を断れない防衛庁というものにも不満を感じる。

また、パウエルが統合参謀本部議長のときに羽田に来日する際もアメリカ側から全く連絡がなく、慌てて担当者に連絡したら「日米地位協定第5条にはアメリカがアメリカの都合で行う運行に関しては日本側への連絡が求められていない」と言われてその対応にかなり苦労した、と言う話も驚いた。横田基地やその他米軍基地への運行に関してはおそらく実質的にそうなっているのだろうが、過密ダイヤが問題になっている羽田への飛来が同じ基準で扱っていいと言う米側担当者の認識もひどいが、そのように定められている日米地位協定というものが根本的に不平等であると言うことも非常に問題であると感じた。

やはり、基本的に外国軍隊が日本に駐留することは将来的には絶対に解消していかなければならないし、そうなったときに中国やロシアの脅威と対抗できるだけの自衛力を持たなければどうにもならない。一線で在日米側と折衝している防衛庁職員が感じているであろう屈辱は、占領時代にGHQから「指令」を受け取ってくる役人たちが感じた屈辱と根本的に同じものなのだと思う。それが一般国民に知らされていないのは、ちょっと問題があるのではないかと思う。

佐島氏は現在専修大学経済学部で教鞭をとっておられるが、この本は一方では娘を抱えて在日二世の婚家を出て26歳で防衛庁に就職し、(娘は3歳)庁内でさまざまな職を経てセクハラや付きまとい、米軍軍人からの言い寄られなど一線で働く女性が経験する可能性のあるさまざまな困難を乗り越えて活躍し、娘さんが19歳で亡くなったのをきっかけに退職された、その個人史でもある。詳しい事情に立ち入ることは出来ないが、おそらくは非常に正義感の強い、まじめで有能な女性であり、であればこそ男社会の少数派として非常に多くの困難に直面してこられたのだろうと思う。娘さんの中学の同級が川口前外務大臣の娘さんで、川口氏はその卒業式でよくここまで育ったと泣き続けていたという話も、川口氏と言う人物を見直すきっかけになった。

私は正直言ってフェミニズムは嫌いだし賛成できないが、私自身がいつもどういうわけか少数派、あるいは孤立した状態になってしまうと言う傾向があるために、男社会の中で孤軍奮闘している女性と言うのには非常に同情するし共感もする。当たり前の権利のような顔をして安住している女性には反感を持つが、孤軍奮闘して自ら道を切り開いてきた女性には何の違和感もない。ただ「正義感が強くまじめで有能」、と言う人間はそれだけで周りの嫉妬を受けやすいし誤解も招きやすい。また、人間の弱い面、醜い面と言うのがよく見えないし理解も出来ないために足をすくわれやすい。そこをタフに乗り切っていくことが求められているわけだが、日本という社会はなかなかそういうことが難しい構造になっていることもまた事実である。

最後の娘さんの事故とも自殺とも知れぬ転落死の描写の場面では、ちょうど列車は国分寺のあたりの緑の多いあたりを走っていたが、涙が出てしかたがなかった。国を思う真のエリートがきちんと待遇されるまともな国家に、日本も早く復帰して欲しいと思う。(8.28.)

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