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海野弘『アール・デコの時代』

アール・デコの時代

中央公論新社

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列車の中で『アール・デコの時代』とElle DECOを読む。

Elle DECOのようなビジュアル系の大判の雑誌が、列車の中で読むものとしてはあっているなと思う。細かい字の文庫本も悪くないが、移動のときに車窓の風景を眺めたりしながら旅をするには、本の世界の中に吸い込まれていくようなものは時に周囲とバッティングする。普段とペースを変え、気分転換するためには、思考よりも視覚に重点がおかれるグラフ誌であるとかこれから行く目的地に関連した小説などがよいかもしれないと思った。

アール・デコという言葉をはじめて聞いたのはいつだったか。

私は大学に入って芝居に関わるようになるまで、美術史に関しては学校でやる程度のことしか知らず、20世紀に関してもシュルレアリスムくらいしかきちんと認識していなかった。考えてみれば81年の入学以来、最初の2年間ほどは展覧会と言ってもマグリットやデ・キリコばかりに行っていたのは、つまりはそれしか知らなかったから、ということなのだ。しかし、自分と美術の関わり合い、といっても主に鑑賞者としてなのだが、を書き始めたら切りがないのでこれはまた別の機会にしたい。

とにかくアール・デコ、あるいはデコという言葉をアートのひとつの運動を指す言葉としてはじめて認識したのは、手元にモノがないので年代ははっきりしないが、山田章弘の『すうべにいる』というイラスト集であったことは鮮烈に記憶している。彼は装飾的な嗜好を持つ漫画家、あるいはイラストレーターなのだが、巻末での対談で自分の作品の特徴をヌーヴォー的なものからデコ的なものに変わりつつある、というようなことをいっていたように思う。そのあたりの会話内容がそのときの自分にはちんぷんかんぷんであったのだが、デコとかヌーヴォーという言葉にはなぜかしら惹かれるところがあり、そうしたものに無意識に関心を持つようになったことを覚えている。

しかし、80年代初めの当時はそうしたものに関する関心は今に比べると驚くほど低かった。簡単に言うと、それを調べようにも美術史や工芸史に暗い人間にとっては調べる本がほとんど見当たらなかったのである。だから85年にこの本が出たとき、飛びついて買ったのだと思う。

しかし、それから20年間読まなかったのはなぜなのだろう。今読み始めて思うのは、アール・デコという様式、あるいは運動が1920年代という時代と密接に関係しているということにあるのかもしれないと思う。1920年代という時代、つまりは戦間期の前半について、私があまり立体的に把握していなかった、ということが大きいのだと思う。やはり自分にとっての時代理解と言うのは政治史があり経済史があり、その後で社会史があり文化史がある、というようになっているので、政治の動きがかなり深くまで理解できないと、時代についての理解が非常にピンぼけになってしまい、またこの本はある程度のその時代についての理解を前提として書いているので、その程度の理解にかけていた当時は読むのが難しかったということなのだろう。

逆にいえば、20年待って読んで正解だった、とも思う。この本では盛んにデコについての研究が日本ではほとんどされていない、ということを強調しているけれども、この20年間の研究の進展は目覚しいものがあると思う。それはようやく、戦間期をひとつの時代として客観的に見ることが可能になった時代の流れと言うこともある。また装飾や、あるいは都市的生活様式についての関心が格段に深まったということもある。そうした状況にあってこの本を読んでみると、まだそれらが萌芽の状態にあった80年代初頭というものに対して懐かしさのようなものも感じるのである。

この本は、特に都市的生活様式という点でさまざまな知見が示されている。20年代は、アメリカ人が酒を飲むためにヨーロッパに渡った時代だ、と言われるとなるほどと思う。まあもちろん、この時代について関心が深い人々にとっては周知のことなのだろうけど、パリのアメリカ人が主題になったり、パリにおけるアメリカ文化の大規模な浸透の裏には、「アメリカにないもの」、「文化や芸術とアルコール」を求めてパリに渡った多くのアメリカ人があった、ということは強調されるべきだろう。

今読むと、個々の事柄の描写や論説には食い足りないところもいろいろあるのだけど、それが逆に80年代初頭の研究の進展具合が伺われて興味深い。

個人的に関心を持ったことをあげれば、デコのイラストレーションによるポスターには女性を主題にしたものと機械(船舶、汽車など)を主題にしたものの二つの傾向がある、ということである。女性を主題にしたものはファッション誌などでもよく見かけるからそれほどどうと言うこともなかったのだが、カッサンドルの「北極星号」(1927)は直線と曲線で表された「地平線に収斂する線路と、その彼方にある星によって、人々を鉄道旅行に誘っている」ものだし、「ノルマンディー号」(1935)は巨大豪華客船を真正面の下から見上げたものを描いていて、その圧倒的な質量感をグラフィック的に表現している。私の芝居をやっていたころの友人で、絵を書いたり舞台美術を制作する一方で絵やポスターを収集していた人がいて、その人のアパートの一室に大きな蒸気機関車のイラストレーションのポスターがあったが、今考えてみるとあれはカッサンドルの作品である気がする。その当時は何がよいのかあまりよくわからなかったが、そうした理解をした上で思い出してみると見ごたえのあるものであった。物を知らないと、特に美術品と言うものは、その真価を知ることができないのだと再確認する。

もうひとつはイサドラ・ダンカンのかなり詳細な伝記的記述である。この27ページに渡る記述で、彼女の人となりは一通り知ることができた。イサドラ・ダンカンという人についてはあまりよく知らなかったのだが、実は名前とダンサーであることだけはよく知っていて、それは82年の正月に紀伊国屋ホールで見た「夢の遊眠社」の「怪盗乱魔」という芝居の主要人物として取り上げられていたからである。しかしこの芝居のほかの登場人物は吉田松陰と沖田総司、アガサ・クリスティーと新宿の母、と言うものであるからもちろんダンカンの伝記的なことなどは何も分からなかった。赤いマフラーが自転車のタイヤに巻き付いて窒息死した、ということはそのときのパンフレットに野田秀樹が書いていたのを記憶しているが、この本によると赤いショールが乗っていたスポーツカーの車輪に巻き込まれて首をしめられて死んだ、ということで、思っていたのとだいぶイメージが違った。「怪盗乱魔」のパンフレットもまだ持っているから東京に戻ればことの真相が明らかになるが、恐らくは私の記憶違いなのだろうと思う。

話はだいぶ脱線したが、ダンカンがディアギレフやパブロワ以前に新しいダンスをサンフランシスコで踊り始めた人だった、と言うのははじめて知った。彼女がメジャーになったのは日本で言えば明治時代の後期であり、ディアギレフらと出会いまた革命ロシアに渡ったりする大正時代にはもう違うステージに入っていたということを考えると、まさに先駆者と言うにふさわしく、また必ずしもデコの時代の人と言いきれない面もあるが、20年代がいわゆる女性の社会進出(何かこの気色悪い言い方に代わるいい表現はないものか)の時代であることは明らかであり、ダンカンが主張する女性の先駆者であるという意味から言うと関連はないことはない、ということのようである。これを読むと神話とは違う「超保守的なアメリカ」の存在を思い知らされるが、それは現在もなおまだ相当強力に存在しているわけである。その保守性は原理主義的であるためにかえってラジカルな力があり、20世紀初頭のアメリカがいかに矛盾と生命力に満ちていたかということもまた感じられる。

この本は4部構成だが、いまのところ前半の2部を読了した。上諏訪で列車を降りると信州もまた暑かった。しかしこれを書いている水曜日の朝は雨が降っていてむしろ肌寒いくらいである。今日は夏至。信州は梅雨空である。(6.22.)

「何か」を求めて読みまくる。『アール・デコの時代』は読了した。自分のファッション(というほどのものではないが)やインテリアのセンスはかなりデコに影響されているものがある、ということはよくわかったが、この時代全体の雰囲気が好きなわけではない。エンパイアステートビルは嫌いではないが、クライスラービルは最悪だ。私にとっては全く玉石混淆の時代。建築家ではフランク・ロイド・ライト、写真ではマン・レイ。いいものははっきりしている。嫌いなものも。(6.27.)

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