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福田和也『悪の読書術』

悪の読書術

講談社

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ついでにまだないかと本屋の方を探すとまた福田和也に行き当たってしまい、『悪の読書術』(講談社現代新書)を買ってしまった。またこれが面白く、今までかかってつい読了してしまった。おもな主張は「戦略的に、特に社交戦略を重視して本を読め」という話に尽きるのだが、それに付随してさまざまにいまを観察しているところが面白かった。

彼は慶応の藤沢校舎の助教授で、そのゼミにはオタクも多いけれども、彼らには好意を持っているという。彼らは自分たちがある意味で反社会的な存在であるということを自覚している、ということにその好意の源泉があるようだが、それは逆にいえば彼らより始末の悪い集団が社会的に発生してきた、ということをいうための枕でもあって、それはつまり「90年代後半の歴史認識問題が浮上してきたころ」から顕著になってきた、「一般に通じない特殊な議論や仲間うちに向けられた対話を拒否した言説」で国家を語ろうとしている集団が現れてきた、ということをいっているのである。まあウェブの用語で言えば「厨房」ということになるか。もう死語か。しかしこの言葉以上にこういう集団をうまく説明する言葉はない気がする。厨房がオタクと違うのは自らの嗜好を反社会的なものと思わずむしろ正義であると考えている点でそこに始末の終えなさがある、と福田は言うわけである。

なるほどこの人は社会を見ているのだなと妙に感心する。まあ私は、90年ころにはアイヌを支援する集会などにでたりしてそこにある種の厨房的な発言をする人もおり、90年代後半の現象も別にそう目新しいものでもないと思っていたのだけど、左から右にその重心が移ってその数が増殖しているということはあるかもしれない。まあ私などはそういう言説の中にも未熟ながらいわずにはいられないものがあっていっていると好意的に受け止める方だし、自分自身感情的に書き始めるとちょっとまずいぞと思う世界に突入してしまうところもあるのでそういうものに対する批判が自分に帰ってくるというか、天に唾するような感じのところもあるのだが、福田の批判は確かに真っ当であると思う。

ただ何というか、やはり私はそういう主張が未熟である、というところに重点を置いて、なるべく好意的に解釈したいという気持ちが強い。つまり年齢と経験と勉強を重ねてその言説が成熟してくれば声の届く距離の長い堂々とした論客に成長していく人も多いのではないかと期待したい気持ちである。まあそんなことを行ってる前にまず自分がそうあらなければ話にならないが。

もうひとつ感心したのはファッショナブルなものの「引きこもり」化、もともとファッションというものは気の聞いた服を着て見せびらかすもの、であったのが最近では洋服ではなく気に入った家具を買って自分の部屋を飾るということに重点が移ってきたという話である。なるほどそんなことはあまり考えたことはなかったが確かに最近その傾向はかなり強いように思う。まあ昔に比べて銀座を歩く人の服装も格段に気がきいているし(渋谷などは行かないのでよく分からないが)、それがインテリアにまで波及してきたのかと思っていたが、むしろそこに重点が置かれるようになったとなると確かに大きい変化だろう。自分自身、衣食住の中で最近は衣と住に重心があるなあと(ただ食が貧しいだけかもしれないが)思っていたので、無意識のうちにそういう傾向にはまっていたのかもしれないと思った。それに対して福田は余り肯定的な評価をしていないように思われるが、そういうことについての批評もあったら読んでみたい気がした。(2004.3.8.)

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