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塩野七生『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち』

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1)

新潮社

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昨日は午後丸の内の丸善に出かけ、大河原遁『王様の仕立て屋』1・2巻(集英社)を買う。そのままお茶でもして帰ろうと思っていたら、一階で塩野七生『ローマ人の物語17〜20 悪名高き皇帝たち』(新潮文庫)が発売されているのを見つけてしまった。一括で買おうかとも思ったが、買ってしまうと読み耽ってしばらく身動きが取れなくなる可能性もあるので17・18巻の2冊だけ買った。果たして勘は的中した。

『悪名高き皇帝たち』はアウグストゥスのあと、ユリウス=クラウディウス朝のティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4人の皇帝の物語である。今回読んでいて思ったが、『ローマ人の物語』は歴史学者の言う歴史でもなく、かといって小説とも言いにくい。文字通り、『物語』というのが一番良く当てはまる作品である。解釈や想像はふんだんに加えているが、史実には忠実である。語り手や敵役として史実に登場しない人物を出したりはしない。そういう意味で司馬遼太郎の『燃えよ剣』的な歴史小説ではないのである。しかし、解釈や想像は人間観察に基づく部分がほとんどであるから、歴史家がこだわる実証的な証拠とはいえない根拠が多く、歴史書、とは言いにくい。やはり一番ふさわしいのは「物語」という言葉ではないかと思う。

ちょっと驚いたのが、クラウディウスの話がいきなりナポリ湾の景勝地、カプリ島の皇帝別荘地の話から始まったことだ。ナポリの仕立て屋の話なんてものを読んでいること自体が私には珍しいのに、カプリ島に隠遁しそこから元老院に指令を出して帝国を統治した老皇帝の話を読むとは思わなかった。ユングが共時性(シンクロニシティ)ということを言うが、こういう偶然は私にもよくあるので、非常にそういうものを意識させられる。

今のところ読んだのはティベリウスとカリグラの部分だけ(17・18巻)であるが、ティベリウスという皇帝の有能さと暗さというようなことは印象的だ。ティベリウスは人嫌いで晩年はカプリの別荘にこもりきりになっていたため異常な性的嗜好に耽っていたという憶測が生まれ、ナポリ人は現在でもそれを信じているらしく、『王様の仕立て屋』の中にもティベリウスが青の洞窟の中で裸の美女を泳がせ品定めをしたという話が出てくるが、塩野はティベリウスについてそういうことをいっているのはイェロウペーパー的な歴史家であったスヴェトニウスだけだとしてその話の信憑性を否定している。

で、カリグラのほうは頭は悪くなかったが自分の思いつきでショウ的な政治を行い、ついにローマの国家財政を破壊して暗殺された皇帝として描かれている。パフォーマンス(のみの)政治の元祖という感じである。次々にサプライズを繰り出して国民の支持を得ようとしたりするところ、また自らを神格化させようとするところなど、つい小泉首相を思い出して笑えて来る。この単行本が出たのは1999年のことだから小泉首相の登場前なのだが、彼に対する皮肉として書かれていると思っても読めるところが面白い。

考えようによっては小泉首相は「郵政民営化という政策」を「神」のようにあがめる「司祭」と見えなくもない。物神化された政策というのも珍しいが、金正日の核の脅し政策や盧武鉉の親日派あぶりだし政策のようにあまり現実的とは思えないが国民をめらめらと枯葉のように燃えさせる物神化された政策を取る東アジアの「指導者」たちとある意味にているかもしれない。イギリスなどと違い、思い込みの強い政治家が人気を得る土壌がどうしても東アジアにはあるのかもしれない。

カリグラを暗殺した「刺客」は彼が幼少のころから彼に付き従ってきた近衛兵の大隊長だったというが、小泉首相はさて、どうなるか。(2005.8.29.)

  

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