人文学の再興と保守の再興/「新しい歴史教科書をつくる会」の再評価と歴史をどう描くかという現代日本保守の原点

Posted at 25/04/16

4月16日(水)晴れ

今朝は夜中に腹具合がおかしくなり手洗いに何度も立った。入浴したり脚湯をしたりしてだいぶマシにはなったがいいかなと思っているとまたおかしくなったり。日曜もそんな感じはあったが、油断して食べ過ぎたり変わったものを食べたりするとお腹が反応する感じがする。少し抑え目にしたほうがいいか。

昨日は特に体調が悪いということはなかったが、午前中は銀行に行ったり買い物をしたり。午後は会計の件で打ち合わせに行って、帰ってきて少し休んだ後仕事。一番忙しい時よりはマシなはずなのだが、忙しいことはずっと忙しい。考えることが多いのも体調に影響しているのだろうとは思う。

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6年前の私のnoteが「いいね」されていたので久しぶりに読み返してみた。

https://note.com/kous37/n/ndda91583887e

2019年だからコロナ前である。このころの私は今よりずっと理想主義者だったのだなと思った。しかし改めて教養教育の強化の必要性は感じた。今の教育はというか教育もそうだが社会風潮自体が「技術」重視に走りすぎていると思う。

「技術」というのは読み書きや数学の解法など、「人間が世界を扱う技術」という意味もあるし、AIやIT機器という意味での「(科学)技術」という意味もある。いずれにしても「技術」というのは「理性・悟性・感性」で言えば「悟性」レベルでの話であり、重要なものではあるがヒューマニティ(人間性・精神性)の部分をそれだけで担えるものではない。AIなどはそもそも人間ではないのでヒューマニティを担うべき存在ですらないのだが、それに何ができるかを今は試している段階だということだろうか。しかしやや入れ込みすぎている人たちも多いのが現状であるような気がする。

そうなっているのは、人文学自体が衰退しているということが大きいだろうなと思う。本来、人文学の学問分野の話で言えば「AIに負ける」という概念自体が全く意味のない話だと思う。

人文学自体がwokeに侵食され、彼らの自動的に倫理的善悪を決める「悪しき悟性」の影響で、その価値も評価も地に落ちてしまっているのが根本的な問題なのだと思う。

そういう意味では人文学の真の復興が本当は今必要だと思うし、教養の再興ももっと真剣に取り組まれるべきだろう。最近「保守」というものが溶解してきているのも、そうした本来の重厚な人文学に蓄積された人間観や思想に基づかない軽薄でけたたましい人々によって保守という言葉が振り回されているからだろうと思う。保守思想というものは進歩主義や左翼の設計主義を批判するものであり、自らに教養の歴史的重みがなければ成立しえないもののはずだからだ。

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https://note.com/kakio_ja/n/naef513995732

保守ということで関連するが、昨日は柿生隠者さんの上記のnoteも読み、「保守」の流れを作った「新しい歴史教科書をつくる会」について、再評価が必要なのではないか、という話に頷くものがあった。

今も気を吐いているのは田中英道さんくらいのものだ、ということなのだが私はほぼ読んだことがないのでよく知らないのだけど、今でも創造的に活動されているとのことなので、それはすごいと思った。

ただ、「つくる会」の再評価が必要ということについてはなるほどとは思うもののかなり批判的再評価が必要な気もする。「つくる会」も最初っから内輪もめしすぎだったし、左翼じゃあるまいし内ゲバばかりしていては話にならない。「保守」派って本来は小異を捨てて大同につく、大同団結的なものが必要なんじゃないかと思う。まあそれを体現しているのが自民党なのだが、政党だから多数を取るために集合しているという意味合いが強すぎ、中身はかなり分裂してきている感じはする。これは日本の特殊性というか、「保守」と言っても戦後民主主義を肯定するかどうかで分裂してしまう部分があるからだとは思う。

欧米の保守の根本にあるのは基本的にキリスト教であるわけだけど、それに当てはまるものは日本では普通に考えれば「天皇存在」とそれを中心に形成された歴史複合体みたいなものになると思うのだけど、そこに収斂させるのも難しい部分がある。

それは、現代の天皇制というのは明治政府が作ったものであり、この「近代天皇制」というのはありうべき天皇制の一つのバリエーションに過ぎなかったようにも思われるからだ。現代に至る近代天皇制の背後には、基本的に尊攘志士の世界観が反映されすぎている部分があるようには思う。

つまり天皇制というのは歴史的な複合体であるのだけど、その起源は神話から始まる曖昧性があり、長い歴史の中で常に状況に合わせるように変化してきた部分もあって、政治的権力に直接関与しない(これを明治憲法では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と表現したのだろう)という考え方もあった。また「王政復古の大号令」では「神武創業」の始まりに帰る、という表現が採用されたことにより、結果的に古代中世近世の長い日本の歴史は一応カッコの中に入れて、つまり歴史は捨象して近代国家の建設が行われることになったということもある。

日本の保守思想はこのような多様な歴史的要素をいかに調和させるかというのが課題なのだと思うが、なかなかそういうふうには話は進んでいなくて、政治活動家たちも思い思いに「ぼくのかんがえたさいきょうの保守」を振り回している感が否めない。

そういう意味で言えば「つくる会」というのはつまり「新しい歴史教科書」をつくるというが目的の集まりであり、「歴史」をどう描くかという保守にとっての原点がそこにあるわけで、そこを再評価するというのは大変意味があることだと思う。保守党の百田党首が「日本国紀」を書いたのもそういう目的はあったと思うが、内容的にはなかなか難しいものがあったようである。その辺りも原点に帰って見直してみるのが良い気はする。

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