「男の生き方」が描かれにくい時代/「ふつうの軽音部」:鳩野ちひろのオリジンとライジング(8):藤井彩目の加入/三越に院展を見にいく/家路

Posted at 25/04/01

4月1日(火)雨時々曇り

昨日は朝は東京。もう桜が咲いているのに気温が低く、朝はそれでもスエードのジャケットでマンガを買いにコンビニに行ったが、午前中に出かけた時はロングコートを着て行った。ブログを書いてから、10時過ぎに日本橋に出かける。日本画を描いている高校時代の友人が日本美術院の院展に出品したのでそれをみに行こうと出かけたのだ。三越前で降りて三越本店に行ったが一番浅草寄りで降りてしまったので少し歩いた。

MIカード+を持っているので入場は無料。そのまま入って一通り全部見たのだが、今の日本画の傾向みたいなものがわかって面白かった。伝統的な題材を描く人ももちろんいるが、基本的には日本画の画材を使って現代的なものを描く、基本は写実だがミュシャのようなデザインと組み合わせた感じのものが多かった。

私が日常にふっと「いいな」とか「きれいだな」と感じるような風景の切り取られた一角みたいなものを描いている作品がいくつかあって、それがいいなと思った。私はそういう時は写真を撮るのだが、なかなかそのままその良さが写るわけではない。絵はその良さを自分の技術で捉えることができるので良いなと思うが、撮影自由だったので何枚か写真を撮ったけど、写真に撮るとその良さは大概消えてしまうのが残念なところだなと思った。

友人の作品は少女の祈りの場面なのだが、衣服が宇宙になっていたり、写真で撮ってもその切り取り方でいろいろな見え方ができる、みたいな感じだった。昔とは傾向が違う気がするが、いろいろ思うところもあるのだろうと思う。

友人の作品もそうなのだが、今回の院展全体を通して人物を取り上げている作品ではほとんどが少女、少なくとも若い女性を描いているものばかりだ。これは前回彼の作品が出品された院展を見に行った時にも感じたことだが、今回の方が少女率がもっと上がっていた感じがする。これは見られる対象としての女性、みたいなフェミニストが批判しそうな文脈でもそうだが、意思あるものとして描かれる場合もほぼ少女になっていて、これは現代少年マンガでも主人公が少女や若い女性であることが増えていることとも関係してくるような気がする。

つまり、「男の生き方」が描かれにくい時代になっているのだと思う。

https://x.com/petty_bonitas/status/1906437787416715403

bonitaさんのこのツイートが心に残っていたのだけど、フィリピンだけでなく外国ではやはりまだまだ男性中心社会で、男が責任を持って何かをしないと動かない、というのはあると思う。フィリピンはそれでも大家族の社会で一族の優秀な子供がいるとみんなで進学を後押しして成功すると一族が皆その人に頼る(女性の場合も多い)という話を聞いたけれども、政治家はやはり男性が多いわけで、男の生き方、みたいなロールモデルには事欠かないということはあるだろう。

もともと日本は母系的な部分が社会にあり、その上に父系的な男性上位制度(いわゆる家父長制)が乗っかっていた感じがするが、その家父長制が解体されてくると母系的な本質みたいなものが露わになってきて、フェミニズムと悪魔合体して非常に男性差別的な部分が立ち現れてきたのが現代の「弱者男性」問題だと思うのだが、「家父長制でない男子のロールモデル」みたいなものが構築できなくて(もともと無理な気はする)、頭の良い男子はみんな状況に対してハスに構えるようになり、国家のためにという気概も育てられず、東大でが大挙してコンサルに就職し、うまくやってFIREだ、みたいな屈折した人生観になっているのだろうなあと思う。つまり男子の人生に理想が持てなくなっている、という現実があるのだろうと思う。

少し前なら男の子の何かを見つめる真摯な瞳、みたいなものがこうした展覧会でも描かれていたような気がするが、今回は全くそれがなかった。一般の絵を描く人たちにとってもそういうものがもう関心の埒外になっているのかもしれないし、院展の審査員の方が「女性の時代だから」みたいなアナクロなことを考えてそういう絵を選ばなかったのかもしれないが、それにしてもある種惨状ではあるなと思った。

プーチンやトランプ、習近平やネタニヤフ、エルドアンなどが跋扈する時代において、日本の代表的な政治家は彼らに比べて柔軟かつ物腰も柔らかく、雄弁でもあった安倍元首相がいたわけだけど、日本での評価は低すぎる。少し前の時代の石原慎太郎のようなマッチョ的な政治家は、というかああいう男性像自体がもう枯渇してしまっていると思うのだが、これからの荒っぽい時代を乗り切るのに牙を抜かれたような男子たちばかりで大丈夫かという気はしなくはない。

保守という思想は、そういう時代にあって社会の活力というか、そういうものを復活させていく部分が必要なわけで、変な内輪揉めをやったり冷笑的な視線ばかりが目立つようなことでは良くないと思う。男の生き方のモデルを示せるような、そういう思想を再構築していくことももっと考えていくべきなのだと思う。

***

日本橋丸善まで歩き、本を少し見て、地元の駅で降りて弁当を買ってお昼過ぎに帰宅。ご飯を食べて部屋の中を片付け、洗濯をしたり。寒くてあまり出歩く気もしなかったせいもあり、とりあえず院展に行けたのはよかった。結局24時間滞在せずに3時半ごろに出発。昨日は首都高が割と混んでいて、やはりもう少し早く出ないとダメかとは思ったが、石川PAには4時45分くらいについて、ラーメンを食べるか迷ったが家で夕食を取ることにして、おにぎりとお茶だけ買った。

明るいうちになるべく家に近づきたいと思っていたが、笹子トンネルの手前でもうライトをつけたほうがいいなという感じになり、しばらくそのまま走っていたが、国中平野を走っている時は割と明るくて、ライトを消したりした。途中でPAに入ったが、大型トラックが前の車に使えて出られなくなっていたりしていた。トイレに行って帰ってきたらいなくなっていたので大丈夫だったようだが。そこからまっすぐ休憩なしで地元のインターでおり、スーパーについたのは7時を過ぎていた。夕食を買い、隣のホムセンで靴べらを買い、本を少し見てサンデー毎日の学校別東大合格者数が掲載された号を買って帰った。770円というのは少し高いが、今まで週刊朝日と二誌合同でやっていたのが単独になったから取材費もかかったのかな、と思ったり。まあ買う人がいるから値を釣り上げたのだとは思うが。

夜は妹たちが残して行ったものなどを適当に調理したりご飯を炊いて食べたのだが、豆腐と野菜の味噌汁を作っていたのに鍋にかけっぱなしにしてひどく焦がしたりした。どうもそういう疲れ方をしていたようで、夜は早く寝た。

朝は4時前に目が覚めて、二度寝もできないのでいろいろ片付けなどしながら5時前に家を出てセブンでカフェラテを買ってきたり。東京で大量の花粉を浴びたのか、昨日から咳と洟が大量に出て困っている。特に、寒いので移動するときに温度変化がどうしても避けられない(古い家なので廊下やトイレが寒い)ので、特にそういう時には咳き込んでしまう。

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「ふつうの軽音部」鳩野ちひろのオリジンとライジング、彩目の加入(8)。3巻までの最大の山場はここだろう。

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地下鉄に乗っている彩目。どこに向かっているのかはわからない。大道に説得されて永井公園に向かっているのだろうとは思うが、内心では「行くわけないやろ。もう家帰るし」と思う。しかしそこに回想が挟まる。鳩野が誰とバンドを組めばいいのか途方に暮れていた新入生最初の仮入部の説明会で、彩目は小学校の時に憧れていた内田桃が軽音に入ろうとしているのを知る。そして下を向いて公園の横の道を歩く彩目のカット。「バンドなんかもうやらんしもう全部終わったんやから」と思う。また説明会の場面、勇気を出して桃に声をかけようとした時、サウンドスリープの可愛い3人組として一緒にいる桃に気がつく。そして甦る中学の記憶。「彩目ってさあ、自分のこと一軍女子の一員やと思ってる雰囲気ない?」「それな〜普通にブスやのにどこからその自信来るんやろ」

彩目は涙を流し、「なんでこんなこと今更思い出してんねん。もう全部終わったのに」と思うが、ここで彩目の思いがとても浄化されたことがわかる。この作品屈指の名場面である。

泣き止んだ彩目は鳩野のいる場所に向かう。弾き語りをしようとしていた鳩野の周りにはいつメンの観衆がおり、彩目は驚くが、鳩野に幾つか質問をする。桃と一緒にバンドを組めそうだということ、また自分の辛かった記憶に向かい合って思いは浄化されたが、まだ鳩野たちとバンドを組むことの「懸念」は残っているわけである。

質問の一つ目は、なぜ自分を誘ったのかということ。鳩野の最大の挫折である新入生顔見せライブで鳩野の失敗を思い切り笑ったことが、彩目は自分の中でも引っかかっていたのだろう。しかし鳩野の彩目のギターに憧れていたこと、「みんな仲良しのバンドよりかっこいいバンドが組みたいんだ」というセリフでそれは納得する。そして二つ目として、なぜ鷹見と喧嘩して自分を庇ったのか、と尋ねるのだが、鳩野の答えは「なんか・・・鷹見くんって無性にむかつくんだよね・・・」という、読者も割と意外な一言で(20話で伏線は張られているのだが)、彩目も思わず笑ってしまう。この辺りの展開は上手いし、今読み直してみるとかなりロックな回答である。地味女子としか思っていなかった鳩野の意外な側面に触れた、ということはあるのだろう。

そして「鳩野は何のために軽音やってるん?」という質問が出るのだが、これには答えられない。おそらくはその答えがこれから作品の中で出てくるのだろう。こういう最大の山場にこの質問を挟むことで、これが重要な問いだということを示唆しているわけで、鬼展開だなと思った。

鳩野の弾き語りを聞き始めた彩目は、最初はただただ驚く。その声質と声量、そしてギターの技術。夏休み中毎日弾き語りをしていたということを水尾の祖母に聞き、「何でそこまで」とさらに驚く。

しかし最初の驚きはだんだん相対化され、前よりは上手いけれどもまだまだだし、変わった声質やルックスは受け入れられないだろう、と否定的な気持ちも出てくる。しかし、それを鳩野の「ふざけんじゃねえ!」という曲中のセリフでもう一度揺り動かされ、「みんなには好かれんかもしれんけどかっこいいわこいつ」と思う。思いだけでなく、鳩野の技術や魅力、可能性を客観的に見られるところが彩目のいいところなのだが、今まではどす黒い面ばかりが描かれていて、そういう良い面がここで初めて示されて、さらに「それでもかっこいい」と思って心を動かされる。そこからアクシデントが起こってあらあらまあまあになるのだけど、そこで笑う彩目の顔は本当に全てが浄化された可愛い顔で、今もなかなか見られない。

次の日、鳩野たちと立ち話をしているところを大道に目撃されて「暇やから一時的にやるだけやから」と照れ隠しをするのが彩目らしいし怖い顔をして照れて歯を見せるのがとても彩目らしいのだが、大道の「よかった」という笑顔と共に、大変感動する場面である。

鳩野やバンドメンバーの魅力はここまででもオリジンとして十分に描かれてはきているのだが、ついに「はーとぶれいく」が結成され、飛び立っていくライジングがここから始まる、という感じである。

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by Luke Peterson

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