ジャンプコミックスを16冊買う/連載作家の初期作が単行本に:「FIRE BALL」「氷の城壁」「タタラシドー」/AI?による予防検閲の問題/アメリカの「大関税政策」の歴史

Posted at 25/04/07

4月7日(月)晴れ

土曜日の仕事で年度始めの大きな仕事をある程度片付けたので昨日は比較的ゆっくり過ごせた。久しぶりにギターも弾いてみたしiPhoneのミュージックでも新しいリストを作ってヘビロテできるようにしたり。「ふつうの軽音部」ハロウィンライブの「覚悟を決めろ」「ジターバグ」「IGGY POP FAN CLUB」「閃光少女」の4曲である。実際かけてみると14分しかなく、ライブの30分枠に収まるのだろうかと思ったが割と大丈夫なんだなとは思った。もちろん準備と片付け、MCもあるから曲の枠はそんなものなのだろうとは思うのだけど。

昨日はブログを書いた後、本来は金曜に買うはずだったジャンプコミックスの新刊を買いに蔦屋に行った。「ふつうの軽音部」と「あかね噺」は先に買ってあったので、残りは14冊。新規に買ったのは「サネカの嫁入り」と「セイレーンは君に歌わない」のに作品で、両方ともジャンププラス連載のもの。「FIRE BALL」2巻もジャンププラスに掲載されているが「ダンダダン」の龍幸伸さんの旧作で2013年に月刊マガジンに掲載されたもの。版権を集英社が買い取ったということか。

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ジャンププラスでヒットを飛ばした作家さんの旧作をジャンプコミックスとして出版するというのは「正反対な君と僕」の阿賀沢紅茶さんの「氷の城壁」でも例があったが、このように初期作品が単行本化するというのは作家性の理解に資するので私のような読者にはありがたい。

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その意味では「あかね噺」16巻に原作の末永さん、作画の馬上さんのコンビの旧作、2021年に本誌に掲載された「タタラシドー」が掲載されたのも良かった。この作品は本誌で読んだことをよく覚えていたのだが、とても面白くて、漫才漫画として連載してくれないかなと思っていたのだけど、2022年の末に女子高生落語漫画である「あかね噺」の連載が始まったのだが、同じ作者だとは全然気が付かなかった。というか、今改めて読んでみても作風がかなり違う。よく読むと主人公の「多々良」と「あかね」には共通する性格や描写があるのだけど、やはり男の主人公と女の主人公とでは根本的に違うと感じさせるところはあり、今読み直しても「へー同じ作者なんだ!」という感は未だにある。

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そのほかに買ったのは本誌連載が「アンデッドアンラック」26・27巻、「WITCH WATCH」21巻、「鵺の陰陽師」9巻、「キルアオ」9巻。アンデラも読切の時から読んでいたが、まあ割とやばい描写もあったので連載化するんだろうかと思ったのがアニメ化までしたわけで、すごい作品になったなと思う。

ジャンププラスでは「忘却バッテリー」21巻、「チェンソーマン」20巻、「ダンダダン」19巻、「株式会社マジルミエ」16巻、「幼稚園WARS」14巻、「エクソシストを堕とせない」11巻。どれも中身のある作品なので題名しか示す余裕がないのは残念だが、そのうち一つ一つレビューできればいいなと思う。

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noteで「年間読書人」さんの以下の記事を読んだ。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n227a38ffeb01

リュック・ベッソン監督の「レオン」についての批評なのだが、大変面白かった。この作品は実はカットされている部分があり、そこでは監督のロリコン的な性向が反映されているらしく、最近ではポリコレ的に批判的にみられるようになってしまっていて、そのこと自体を批判するのが年間読書人さんの狙いであって、内容的にもとても感動するものがあった。

しかしこの文章に使われている言葉が原因なのか、noteのAI(?)によってこの文章は「18禁」に指定されてしまい、ランキング等にも掲載されなくなってしまったのだという。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n43cd1eeef4b7

そのことに対する批判が上記の文章なのだが、私が「レオン」についての文章を読んだ段階ではすでにそうした措置は解除されていたようで、18禁表示は出なかった。しかし年間読書人さんの今までの文章については自称映画批評家を批判した文章が表示されなくなるなどnoteとの間で悶着があり、今回もまたnoteの言論に対する姿勢が問われた件であることは確かだろう。

AIの使用はこれからも広がっていくだろうとは思うのだけど、このように問題のありそうな文章を予防的に排除するといういわば「予防検閲」をAIにやらせるというのは、Twitterなどでもおそらくやっていることなのだと思うけれども、省力化の名のもとに「人間が心理的にやりにくいことをAIにやらせる」、つまり「検閲による排除という「人間性に対する暴力」行為を「機械」にやらせて「人間」は逃げる」ということであり、つまりはロシアがやっている非人間的な「ドローン」による民間施設への攻撃に通じるものがあって、科学技術の最も悪魔的な面を表しているように思った。

noteも大きくなって政治的にもいろいろな立場が生じてきているだろうけれども、言論のプラットフォームとしての性質もある以上、「文章の排除」というセンシティブな行為については人間が責任を持ってやってもらいたいと思った。

もちろん検閲などしなくて済めばそのほうがいいが、爆弾の作り方や麻薬の入手方法などもヘタをすれば書く人間が現れかねない現在では、検閲を全くしないというわけにもいかないだろう。そうした犯罪行為は排除すべきだが、ある種の「危険な」言論、本質をついた言論は常に政治的には危険性を持ったものであるわけで、その掲載を擁護してこそ言論や思想が発展するということについてもまたプラットフォームとして矜持を持ってもらいたいと思う。

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Twitterでこういう投稿を読んだ。

https://x.com/Cathcath2424093/status/1908717331699925428

アメリカ史上3回の「大関税政策」のうち、2025年のトランプ関税は現在進行中であるから置いておくとして、1930年のフーヴァー関税、「スムート・ホーリー関税法」については大恐慌を悪化させただけでなく「世界のブロック経済化を進行させた」という意義があるだろう。つまりは「独伊日」の「持たざる国」を排除してブロック内(アメリカは自国の領域内ということになるが)で経済をまわし自国の産業を保護するという考え方である。結果としては、第二次世界大戦の戦争特需が起こるまで、ニューディール政策にもかかわらずアメリカの経済を完全には復活させることができなかったという結果を招いたというのが妥当な判断だろう。

それでは1828年の最初の関税政策はどうだったのか。ここがまだちゃんと調べられていないのだが、これを実施した第6代大統領J・Q・アダムズは第5代モンロー政権において国務長官で、「モンロー宣言」を起草した人物である。だからトランプが今やっていることはこういうアメリカ合衆国初期の政策を復活させるということでもあるのだろうと思う。

J・Q・アダムズは1824年・28年とアンドルー・ジャクソンと激しく政権を争い、ジャクソンが政権を握ってジャクソニアン・デモクラシーと言われるポピュリズム政策を実施することで初期アメリカのフェデラリストたちは息の根を止められることになる。

ジャクソンは高関税政策で南部サウスカロライナと対立したが結局引き下げられることになった。これが南北戦争に影響したかはまだ調べられていない。また南北戦争後は共和党主導で北部の産業(工業)を保護するために高関税政策になったようである。その政策は北部で「金ぴか時代」と言われる繁栄をもたらし、共和党が強かった。20世紀初めにかけてオハイオ州から7人の共和党大統領が出ている。今そこがラストベルトと言われる状態になっているのとは隔世の感がある。

2025年現在の状況に高関税政策が適している、という意見はあまりないようだが、先日書いたキャスのようなトランプ政権のブレインたちの中には支持している人たちもいる。理論的にはともかく、トランプがなぜ高関税政策を取ることを考えたのかは、歴史の中に答えがあるようにも思う。

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