雪/現代世界と日本を考える:民主主義の理想と明白な運命:正義と悪の二元論もウザいが生存圏的多元主義もヤバい/歳をとってから親しい人に会うことの良さ

Posted at 25/03/29

3月29日(土)雪/雨

昨日は妹が来て母を家に連れて帰り、母と親しい方たちをお茶にお呼びして久しぶりに話をしてもらったり。まあ歳をとってから親しい人に会うというのはいいものだなと見ていて思う。母は89歳、お呼びしたご夫婦もお二人とも80代。この歳で元気なことは本当にありがたいことだと思う。

仕事の方はあれしたりこれしたり、あれしなかったりこれしなかったり。まあいろいろ調整はあるが、思ったより良い結果も出たりした感じはある。まあ山あり谷ありではあるのだが。

夜は妹と話をしていたら12時ごろになってしまったのだが、目が覚めたら4時で、まあちょっと考え事をしてしまって二度寝ができず寝床の中であーでもないこうでもないと思念の運動。こういう時というのは割と時間が早く過ぎるのですぐ5時になって起き出した。風呂に入って着替えて準備して車で出かけて隣町にガソリンを入れにいく。寒いなと思ったら雪が降ってきた。今日は雨の予報だったが、思ったより気温が下がったということか。流石にジャケットでは寒いなと思って薄めのダウンを着て出たが、ガソリンを入れながらこれならロングコートでも良かったなと思ったり。併設のコンビニの人がしきりに外を伺っているので「雪が降ってきましたね」と言ったら「そう、びっくりしました」と。まあびっくりだよね。

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昨日は篠田英朗さんのニュースレターを読んでいて、いろいろと面白かった。

https://shinodahideaki.theletter.jp

https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/3b59c3b0-0bad-11f0-948e-2324123d9a30

https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/a2a802c0-020d-11f0-a009-e1047b0ab78c

モンロー・ドクトリンの特徴として「相互錯綜関係回避原則」、「大陸主義」、「明白な運命論」、があげられていて、そうかなるほど、と思う。特に「明白な運命=manufest destiny」論というのがモンロー主義と結び付けて考えていなかったので、その思想がアメリカ建国以来のワシントンが言い残しモンローが体系化した考え方、つまりアメリカ自身の国家的な性質、いわば「国体」の一部であるという考えはなかったのだけど、「今でも明白な運命論はアメリカ国家思想の基調にある」と考えるとトランプ政権だけでなくいろいろな歴史的現象が理解できるなと思ったわけである。

また「大陸主義」は北アメリカー南アメリカを「新世界」とし、ヨーロッパの介入を謝絶するという考え方だから、プーチンの「旧ソ連=ロシアの勢力圏思想」、つまり「ウクライナはロシアの勢力圏でありヨーロッパやアメリカは不介入であるべき」という考え方と重なるところもある。

またヒトラーの「「(ドイツの)生存圏」思想」にも類似するところはあり、また付け焼き刃的な「大東亜共栄圏」論にも共通してくるものがあるだろう。

私などは「地政学」というと「ランドパワー」と「シーパワー」みたいなマハン的なものがぱっと思いつくわけだけどドイツの地政学は生存圏思想みたいなものにつながるから、だから基本的に戦後日本では拒絶されてきたわけで、マハン的な思想もアメリカ帝国主義みたいに(というかそのものとも言えるが)みなされて否定的に見られてきたわけである。

プーチンの「勢力圏」思想はトランプの「大陸主義」、つまりMAGAがアメリカを復活強化させるためのもので、そのためにカナダやグリーンランド、パナマ運河を要求するという考え方と折り合いがいい、というのはまあそうなんだろうなと思う。これはまあ、モンロー主義からドイツ的な生存圏思想、またある種古典的な帝国的な思想にもつながるように思われる。

一方でバイデンの時代は世界を「自由主義圏」と「権威主義圏」に分ける考え方に立っていた、と言われるとそういうことなのか、と思うしバイデンのドクトリンだと言われるとそうだったのかと思うが、つまりウクライナの西欧世界への参入はバイデン・ドクトリンがあってはじめて成立するともいえると。だからゼレンスキーもバイデンを信頼し、逆にトランプと折り合いが悪い、と考えてみるとなるほどと思う。

バイデンの世界の捉え方はいわば反モンロー的な考え方で、これは孤立主義的なモンロー主義国家だったアメリカが世紀転換期の頃から積極的に世界に進出し、門戸開放を唱え、キューバだけでなくフィリピンを支配下にしていく明らかに孤立主義というより世界志向、当時のヨーロッパスタンダードの帝国主義・植民地主義ということになる。特にウィルソンより後には「アメリカの民主主義を世界に広める」という伝道師的な性格を持つようになるわけだが、これも「明白な運命」論の「大陸を文明化する白人の使命」が「フロンティアの消滅」とともに「世界を民主主義化する」という思想にアウフヘーベンし、「清浄で正義に満ちた新世界」と「遅れたしがらみの旧世界」みたいな「世界の二分化思想」につながって、それが第二次世界大戦の「民主主義とファシズム」、冷戦期の「自由主義と共産主義」、バイデンの「自由主義と権威主義」、みたいな二元論に繋がる、と考えてみると大変わかりやすい。

「シーパワー」と「ランドパワー」という二元論は私自身は単に物理的なものだと思っていたのだけど、こうしたに言論的思想と重なる実は価値観に基づくものなんだということが篠田さんの指摘で理解できたところがある。アメリカ的なシンプルな正邪の思想をもとにした世界観なわけである。つまり、シーパワーは明るい正義の勢力であり、ランドパワーは遅れた邪悪な勢力なわけである。日本で「アングロサクソンについていけばいい」という手の保守派がいるけれども、これもなんだか「金魚のフン」主義みたいでみっともないなと思っていたけど、「英米のシーパワーこそ正義」という隠れコマンドがそれを肯定していると考えるとこういう人たちの動機もなるほどと思うところはある。

つまり、日本は大東亜共栄圏思想に走って敗れ、「ファシズム陣営」の一員として「処罰」されたから、「日本の正義を回復するためにはアメリカについていくしかない」という考え方というのは、私は賛成はしないけれどもある種のいじらしさがなくはない。反英米の例えば恒久平和論・全面講和論は日本国憲法前文的な「平和を希求する国際社会」を「英米だけでなくソ連や中国を含んだ連合国全体」と考えたわけで、それが「反米としての親ソ親中」につながっていくわけである。アメリカ民主党的な二元論を受け入れるか受け入れないかの対立、みたいに考えることもできる。

スターリンとヒトラーが手を握ったのはドイツの生存圏とソ連の勢力圏の思想の利害が一致したからで、だから戦争がはじまったらあっという間にポーランドは分割されバルト三国はソ連に併合された。日本が大東亜共栄圏とか言い出したのもドイツやソ連の影響を受けた考え方だったんだと考えると、このかなり唐突な世界観が理解しやすいなと思った。満蒙は日本の生命線とかも含め。多くの人はそこにとどまったが、それをさらにアメリカ的な二元論と合体させて石原莞爾が「最終戦争論」に仕立てたのかなと思ったりした。もちろん石原にとっては正義の側が日本で滅びるべき旧勢力の代表がアメリカなわけだけど。

まあだから年長者の多くは冷戦下で育っているから二元論的な思想の影響が強いわけである。長い間二元論的な考え方の担い手であったアメリカが急に割拠主義的な、生存圏的なことを言い出したから多くの人は戸惑っているが、モンロー主義の大陸主義に先祖返りしたと考えればまあ実にアメリカ的な現象の一つだと思えるわけである。

だから日本人にとってはトランプのいうことは「大東亜共栄圏」的なものを思い出してある種の郷愁を感じさせるわけだが、ロシアにしてもアメリカにしてもそういう割拠的な(二元的でない)地政学を唱える人は東アジアは中国に任せておけばいい、みたいになりがちなので今日本が最も警戒すべきはそこなのだと思う。宣教師的なアメリカにも辟易するが、現代の中国的な世界に巻き込まれてもろくなことにはならない。

モンロー主義について考えると、一番ヤバいのは「明白な運命論」だなと思う。アメリカの保守には根本にこれがある人たちも多いと言われるとなるほど反DEIというのは「明白な運命」への回帰なのかと納得できる。もしそういう世界体制にこれから世界秩序が再編成されていくのだとしたら、日本が中国に巻き込まれないためには日本独自の世界観が重要になるわけで、それを考えると我々の皇国思想はまだまだ弱いなと思わざるを得ない。縄文ナショナリズムなどの得体のしれないものが出てくる。これは和辻的な風土思想のある種の焼き直しなのだと思うが、風土だけで国家を考えるのは難しい。

まあヨーロッパやアメリカの保守というのも多様であるように、日本の保守が多様であること自体はまあそんなものかとは思うが、保守を標榜する公党を見ていると、もう少し頭のいいことを言ってほしいとは思う。

19世紀のモンロー主義的孤立が20世紀のウィルソン主義的世界進出に代わったのは門戸開放主義的な資本の要請もあったわけだが白人支配の「明白な運命」論が宣教師的な「理想の押し付け」に代わりカーター的「人権外交」の方向に行ったと考えるとアメリカはいつの時代も結局同じことをやってるということなんだろうとも思う。

それが一番強烈に押し付けられたのが敗戦後の日本なんだろう。日本は敗戦後強烈な「アメリカ民主主義こそ世界の未来」というウィルソニズムの洗礼を受け続けすぎてしまったためにトランプみたいにモンロー主義に先祖返りした人が出てきても上手く対応できなくなってる。このウィルソニズムを相対化することこそが「戦後レジームからの脱却」の本旨なんだよなと思う。日本の戦後はいわば現代でいう「wokeがレジーム化した世界」だともいえるわけで、「戦後民主主義も一つの考え方に過ぎないという形での相対化ができない人」がめちゃ多いのだと思う。アメリカはもっと多様だからトランプに呆れてはいてもまあまあ対応してるんだろう。

日本の戦前は「アジアに割拠する」という勢力圏的な地政学思想の方向性と「英米のシーパワーの一員になる」というマハン的な地政学思想の方向性の方向性のせめぎあいであったと考えられるなと思う。前者が陸軍、後者が海軍のスタンダードだったのだと思うが、第一次世界大戦後、英米と微妙になると海軍も割拠主義的に近づく方向になり、アメリカとの決定的な対立の素地が作られたということかなと思う。

現代の「メディア、法曹、アカデミアのwoke三位一体」みたいなものも戦後のアメリカのニューディーラー左派思想に強烈に洗脳された戦後民主主義の帰結みたいなものだけど、この考え方が一つのレジームに過ぎないと認識できない人が多いのは、ある意味アメリカ的な「明白な運命論」に呪縛されているということなんだと思う。日本の現代の左派思想がどこまで深く「アメリカ」に汚染されていることか。まあ右派も多分そうなのだけど。まあいろいろ複雑だが、より囚われない姿勢で世界を見て、日本の明日を作っていきたいものである。


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