蔡河ケイ「英雄機関」「滅国の宦官」と弐瓶勉作品:人間ミステリーと神話/「ふつうの軽音部」:「傍若無人の師」としての巽レイハ(5)/春の乾燥

Posted at 25/03/25

3月25日(火)晴れ

今朝の最低気温は今のところ5.2度、最高気温の予想は20度。だいぶ春らしい気候になってきた。天気図を見ても移動性高気圧と低気圧が追いかけっこしている春の天気図。予想では花粉も飛ぶらしい。桜の開花の便りも各地で聞こえてきた。春の黄砂もだいぶ飛ぶようだ。出ている注意報は融雪・霜・乾燥。山間部では朝夕まだ冷え込んでいるのだろうし日中との温度差もかなりあるのだろう。乾燥注意報は大船渡から瀬戸内の山火事のニュースを聞いていると他人事ではないが、春先は野焼きの季節でもある。少し風のある日もあるから気をつけたいものだと思う。

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ジャンププラス月曜更新の「滅国は宦官」の原作者である蔡河ケイさんは日曜日更新の「英雄機関」の原作者でもあるのだが、歴史ミステリーロマンと近未来SFの両方の原作をやっておられるというのはすごいと思う。「英雄機関」は最初出てきた時のイメージが宇宙空間における巨大ロボット戦闘の描写が「シドニアの騎士」に似ていたので弐瓶勉さんの路線がジャンプ系でも登場したかという感想を持ったのだが、始まってみると主人公だと思っていた人物はすぐ命を落としてしまい、その真相を知った息子がその黒幕である「英雄機関」に復讐を誓う、という復讐ミステリードラマになっていた。

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「滅国の宦官」も行方不明の妹を探す主人公の少年が宦官にされ、トルコ帝国と思われる宮廷の後宮(ハーレム)で美女たちに翻弄されながら二重スパイの役を担っていくというやはりミステリー系の人間ドラマであり、むしろこういう大きな背景を持つ人間ドラマがジャンプ系で描かれていることに意義がある、という感じになってきている。

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弐瓶勉さんの作品は基本的に人間ドラマというよりはもっと神話的で、それも未来と思われる無限に続く人工の構造物の中で愚直な主人公が神話的怪物に潰されそうな人間たちを救っていくといういわばヤマタノオロチみたいな話で、「シドニアの騎士」以降は主人公に三の線が入ってきて愚直なあまり失敗をして女性たちに嘲笑されたり好かれたりする、という要素が入ってきて、ドラマ自体が明るくなった。シドニアの前半までは画面自体が真っ黒であったが、シドニアの後半以降は割と白目の画面になり、ファンの間では「黒弐瓶」「白弐瓶」などと言われている。

主人公の性格が愚直でクールな間は外国映画みたいな登場人物が多かったが、シドニアでは両性具有であるとか光合成による自給自足の行える人間とか、主人公以外にも神話性を持った人間たちが出てきて、それ以降の「人形の国」などとの転換期にあたる作品だと思うのだが、やはりこの作品が弐瓶さんにとっても今の所の代表作になっているかなと思う。黒弐瓶時代の「BLAME!」や「バイオメガ」も好きなのだが、三の線の主人公が英雄になっていき、地球滅亡後にたどり着いた惑星で安住する、みたいな展開はなんだかとても好きだ。

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現在連載中の「タワーダンジョン」は主人公の三枚目的な性格を保ちつつ黒弐瓶的な描写も入ってきていて面白いが、相変わらず神話的な登場人物が多く、その辺が面白い。シドニアでは神話的な設定と昭和的な描写が入り混じる落差が面白かったが、そういう日常性はシドニア以外の作品ではいわば排除されていて、ああいうものもまた読んでみたいなと思った。

全体的に言えば、蔡河ケイさんの作品は人間ドラマ、ミステリー的な人間ドラマを描こうとしている、そういう意味である種古典的であるのに対し、弐瓶勉さんの作品は人間と人間以外のもの、宇宙ないし世界との関係、人間が生み出してしまったけど人間の手にはもう負えなくなってしまったもの、そのほかのより存在の深淵というかそういうものに踏み込んで、その世界で共感性のある人物たちを描くというある種の離れ技をやっているような感じがある。私はシドニアが好きだけどそういう新しい世界に踏み込んでいく作品もまた胸をワクワクするものがあるなと思う。

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「ふつうの軽音部」鳩野ちひろのオリジンとライジング、みたいな話の続き(5)。公園での弾き語りと中華屋バイトという二つの「修行」の夏休みになったちひろだが、一つの転機が訪れる。それが18話の終わりで出てきて19話でメインになる中学の同級生「巽玲羽(たつみ・れいは)」の登場である。レイハは中学の同級生で生徒会長、大阪有数の進学校である「七道高校」に進んでいて、モデルもやっている。後半の情報はこの話では出てこないが、「頭もよく、社会的役割もこなし、顔もスタイルも抜群で、人を惹きつける魅力を持っていて、派手」という「これでもか」という感じのキャラである。この「これでもか」感がある意味大阪的である。

彼女は鳩野が「ライブで失敗したから弾き語り武者修行」というのを聞いて「修行!?」と驚く。鳩野が「頑張ってる」ということにいたく感銘を受けているわけである。で、それを聞いていきなり鳩野のギターを借りて歌いたいと言い出してその「やばいメンタル」に鳩野は衝撃を受けるのだが、彼女が歌い出したのはVaundyの「怪獣の花唄」で、その画面の華やかさには読んでいるこちらも衝撃を受けた。

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見開きの大迫力で歌が描写されているのはここまで鳩野以外ではたまき先輩くらいのもので、protocolの鷹見が歌う描写でも見開きでも歌う場面はロングだったり目が隠れたりしている。最近ではヨンスが「死ぬまでに俺がやりたいこと」を歌う58話がわずかな例外だが、ハロウィンライブはみんなに見せ場を作る感じなので、まあその中でも人気キャラのヨンスが特別扱いを受けるのもまあわかるという感じではある。

ただ、19話時点ではやはりレイハの扱いは特別だと思う。この場面ではすぐに周りに人が集まってきて、鳩野は「歌が上手いだけでなく人を惹きつける華がある」と感じ、「私とはレベルが違いすぎる」と落ち込みかけるが、すぐに「いや待てそうじゃない」と思い、「そもそもの実力以前に私はまだ歌う時に恥じらいを残していたんじゃないか?もっと自由にわがままに歌っていいんじゃないか?」と気づく。「私の憧れたロックバンドのボーカルはそうだったはずなんだ」と。

これが弾き語り修行の中での最大の転機だと言えるだろう。だから鳩野は素直に「こちらこそありがとうレイハさん。勉強になりました。」と礼をいう。しかし話はそれだけでは終わらない。

別れた後のレイハの独白で「ああいうできない子が頑張ってるのってなんだか感動しちゃうんだよね」と不穏なことを言うが、「鳩野=できない子」という中学時代の印象が「できない子が頑張っている」とアップデートはされたが、まだ「頑張ってるできない子」と言う認識に過ぎないわけである。

鳩野もそれは敏感に感じていて、「ロックバンドのボーカルとして傍若無人に厚顔無恥に歌う」ことの素晴らしさを再認識させてくれたことには素直に礼をいうが、「レイハさんは私を舐めている。もしいつかまた会うことがあったらその時は目にもの見せてやるぜ」と決意を新たにするわけである。

この話の副題は「大海を知る」になっていて、今まで「軽音部の初心者のギターボーカル」と言う「井の中の蛙」状態であったのが、「同級生であったボーカリストとしても先に行っているレイハ」と言う存在に邂逅することで「明確に乗り越えるべき目標の一人」ができたわけである。

レイハはすでに2度目の登場を果たしていて4巻38話から5巻の最初の40話にかけて文化祭に現れ、この時の思いを思い出した鳩野はレイハと鷹見と水尾の前で「暴走」するわけだが、これはまだ未掲載の部分に発展しそうなので現時点では触れておくだけにする。

私自身、レイハはエピソードの一つくらいに思っていたし、また今回発表された人気投票の順位も低い(58人中29位。毎日投票できたが、私も彼女に投票したかどうか覚えていない)のであまり注目されてないと思うのだけど、盛り盛りのキャラ設定や2度目に出てきた時の不審な挙動、また何より19話の「大海を知る」と言う意味のありすぎる副題から、どう考えてもレイハは重要キャラだなと思うようになった。

この後鳩野はボーカルとして明確に評価されるようになるので、レイハとの再会は明らかに重要な転機であると考えるべきだと思ったのだった。

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by Luke Peterson

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