アサクリ弥助問題が日本では重罪である歴史的理由/「ふつうの軽音部」:ファーストステージの挫折の深い意味と内的必然性(3)/ホメオスタシスとしての「忘却」と「二度手間」

Posted at 25/03/22

3月22日(土)晴れ

9時10分現在の気温が10度を超えているというのをアプリで見て驚いたのだが、家の中にいると全然そんな感じがしない。毎日忙しくて俺に暇な時間をくれよという感じなのだが、サッシを開けてみると確かに外は明るいし少し風はあるけど寒くはなさそう。暇があれば外作業も少しはしたいなと思うのだが、全然できないうちに毎年のように出遅れていくのだろうなと思う。困ったことである。

朝、職場に行ってこれとこれをやり、ガソリンを入れてパンを買って帰ってこようと思って出かけて、信号待ちのところでふとカバンを探ったらスマホが入っていないのに気づき、何をやっているのかと思う。アプリで7円引きでガソリンを入れるという算段をしていたから、とりあえず職場に出て一つ仕事をやって家に戻ろうと思い、家に帰りかけたところでもう一つの仕事を忘れていることに気づいた。仕方ないのでスマホを撮りに家に戻り、もう一度出直して職場に行ってもう一つの仕事をして、ようやくガソリンを入れに隣町に向かうことになる。

複数の仕事があるとどちらか忘れてしまうことが最近多いのだが、まあ多分記憶容量とかそれを意識する負荷を体が自動的に解除して、負担がある程度以上重くならないようにホメオスタシスが働いているんじゃないかという気がする。時間も体力の二度手間になるのは大変なのだが、頭の機能的には一つのことを終わらせてから次のことをやったほうが楽だという感じはある。母も歳をとってからは銀行に行っても一つの仕事をやったら一度家に帰ってもう一度同じ銀行に出かけて別の仕事をする、みたいなことを言っていたけど、マルチタスクが頭にかける負担というのは若い頃は考えなかったけれども想像以上に重いのではないかと最近思っている。

とりあえずガソリンを入れに隣町のスタンドまで行って、アプリで7円引きのQRコードを出そうとしたら10円引きのコードもあることに気づき、それを使ってリットル177円で入れた。当地で170円台というのは久しぶり(長野県は全国で一番ガソリンが高い)なのだが、本当に暫定税率を廃止してほしいと給油のたびに思う。その声を反映してくれるのは国民民主党だと思っていたのだが、玉木代表がエロ規制をツイートして、みたいなことは昨日も書いたので今日はやめておこう。

今朝は比較的時間があるかと思っていたのだが木曜日が休みだったので今日が資源ごみの日になり、それをやってたりしたら時間が変に潰れてブログに取り掛かるのが遅くなった。

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「ふつうの軽音部」鳩野ちひろのオリジンとライジング、という話。今日は(3)。一昨日は最初にちひろに声をかけてきた厘と、二つのバンドの解散後にドラムとして桃が加わることになったことを書いた。

作品として読んでいるときにはあまり意識していなかったが、実ははとっちのバンドが組み上がっていく過程で厘が実に大きな働きをしていることに改めて気付かされた。最初は厘は鳩野が「何か違うものを持っている」という印象のみで一緒にバンドを組もうとしていたのが、視聴覚室のandymoriの熱唱を聞いて改めてエンジンがかかり、二つのバンドを解散を促して桃をメンバーに加える。もちろん厘の策略的な動きは嫌われるのだが、そこは鳩野のボーカルの力で桃をその気にさせるわけで、この二つの力のどちらが欠けてもこのストーリーは成り立たないわけである。

そして桃が加わることによってバンド自体に社会性が生まれるというか、陽キャで人付き合いがいい彼女はふつうの意味でグループを引っ張る力がある。まず鳩野のボーカルを皆の前で聴かせたいと思う二人は、ちひろの憧れの玉木先輩をサポートギターに迎え、夏休み前の一年生お披露目ライブに出ることになる。

しかし、これは大きな挫折の体験になるわけである。元々の実力(特にギター)がないのに加え、たまきが忙しいこともあり練習不足で、たまきが加わるということで気分的に盛り上がって主観的には幸せな時間を過ごすのだが、練習の時にすでにたまきも厘も桃もどうもあまり良くないなという感じではあったのがそのまま、鳩野自身としては中途半端な気持ちのままライブに突入してしまうことになる。

ライブが今日という実感、今からという実感もないままステージに立ってしまい、それでも根拠のない楽観で自分を支えていたのが、いざステージに立つということになって極度の緊張のあまりギターを弾くのも忘れていたり、はっと気づいたらもうライブが始まっているという状態で、もう歌だと思って歌い始めるが全然声も出ない。頭の中も真っ白で、ライブが終わっても同情的な拍手がちらほらあるだけという、「最初のステージ」を失敗した、という経験がある人にとってはあまりに刺さりすぎる失敗がそのまま描かれている。

このあたり、私もあまり読みたくないので、「ふつうの軽音部」の単行本自体は5巻とも何度も読み返しているが、この辺りは飛ばすことが多かった。今読み直してみて、実に「ステージの失敗あるある」が手厳しく書かれていて、ステージに立つということがどういうことなのかわかってない状態でステージに立つこと、特にボーカルとして、つまり「主役として」ステージに立つことの悲惨さみたいなことがこれでもかと表現されている感じだった。

「ラ・チッタ・デッラ」の失敗は初心者のギターとしての失敗だからまだあまり意識されていなかったけれども、今回はいわば皆に期待されてのギターボーカルとしてのステージだから、それを担うということがどういうことなのか、どういう気持ちでステージに臨むべきなのかが全然わかってなかった、ということなわけで、責任の重さが段違いなわけである。

こうして書いてみることで鳩野の挫折の意味が自分でもより明らかになったのだが、この挫折体験が鳩野に「夏休み期間中ずっと公園で弾き語りの練習をする」という修行に走らせる。最初読んだ時はこれぞ少年漫画の主人公、という感じだと思ったけれども、まあ唐突にこれだけのことをやるというのがちょっとすごいなと思ってしまったが、「ギターボーカルとしての失敗」という「挫折の意味」を考えてみると、鳩野にしてみたらこれくらいのことはやらないと申しわけが立たないという切羽詰まった、必死の思いであったことが改めて理解できた。

この作品は本当に理解すればするほどその意味の深さにうーんと思わされることが多いのだけど、この「挫折→弾き語り修行」の展開については実はちょっと唐突だなと思っていたところがあった。それが改めて考察してみると圧倒的な内的必然性が感じられて、改めてすごいなと思ってしまった。

鳩野の人生を「幸福な幼年時代」→「両親の離婚という自分に責任のないことをきっかけにした辛い中学生時代という挫折」→「軽音部に入るという決意」という筋で捉えると、幸福な幼年時代に例えるべきラチッタデッラの時代からたまき先輩と一緒にバンドをやるという幸福な時期からギターボーカルとしての最初のステージの大失敗というもう自分にしか責任がない挫折を経て、「ボーカルになるための修行」を始めるというのが並列関係に感じられるけれども、これはより高次な展開をしているある種の螺旋階段として似たようなシーンが繰り返されている、ということなのかもしれないとも思った。

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アサクリの弥助問題について、納得できる指摘があったので少し書いておくと、日本人はもともと日本の歴史を改変するトンデモフィクションみたいなのは結構好きで、それが歴史理解に変に影響して歴史学者が怒っている、みたいなことはよくあるのだけど、それ自体には基本的に寛容なのだが、しかしそれを「史実だ」とか「史実を理解するのに役にたつ」と言われると絶許になる、ということなのだ、というふうに主張されていて、本当にその通りだなと思った。

司馬遼太郎の描く幕末とかの人物たちを史実だと思ってしまうおじさんたちの「司馬史観」みたいなことが問題になったりはしたが、しかし「これはフィクションなんだ」という前提があるから許せる、みたいなことになっていた。逆に塩野七生「ローマ人の物語」は半分は歴史の人物に対する人物批評みたいなものなので、最新の研究では少し違う解釈になっていても塩野さんの見方が強く現れているから、「史実だと勘違いする」割合がやや上がってそれで非難する人たちが出てきた、という感じがあった。あれは私は「塩野さんの言ってることは言ってること、ローマ史をちゃんと学びたいなら歴史学者の書いたものを読むべき」と思っていたけど「ローマ史を学ぶために塩野さんを読む」という横着が高齢世代を中心にかなり強かったために塩野さんが非難されるというとばっちりを受けたのだと思う。

UBIソフトがアサクリについて「歴史を学べる」みたいな感じで売ろうとした(しかもDEIの主張も強力に抉じ入れて)ことがそういう意味では日本人にとっては最悪なのであって、「聖徳太子を知るために「日出処の天子」を読む」みたいなフィクションと歴史をごっちゃにする「重罪」を公式がやろうとしていることに日本人は強く反発したということなので、日本における「歴史をネタにしたフィクション」と「歴史学」の相当な緊張関係がフランス人や他の国の人たちには理解できていない、ということもまた双方の隔たりの原因にはあるのかなとは思った。

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ウクライナやガザのことについても書きたいことはあるが時間がないので今日はここまでで。

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