マンガ考察:「ふつうの軽音部」:鳩野ちひろの師は誰か/「鳩野ちひろの「オリジン」と「ライジング」(仮)」/iPhoneを無くしかけた(日常雑記)

Posted at 25/03/18

3月18日(火)晴れ

今朝は久しぶりに晴れていて、放射冷却でかなり冷え込んだ。最低気温マイナス3度、久しぶりの冷え込み。三寒四温というのは本当にそうだなと思う。ところによってはもう花冷えの季節ということだろうか。

月曜日は本来休日なのでなるべく大変な用事は入れないようにしているのだが、日程が他に取れなかった関係で母を病院に連れて行った。金曜日に連れて行った時はいろいろトラブルがあったのでそこを警戒して行ったのだが、とりあえず大丈夫だった。眼科の治療を受け、そのあと皮膚科に行って黒子を見てもらったが、どちらも無事に済んだ。前者はかなり高額なのだが、高額医療の恩恵を受けて多少は戻ってきているのでありがたい。上限額が引き上げられるとその分大変になることはウチに関しても確かである。

まあなんとか無事に終わったほでほっとして、母を施設に送り、いろいろ伝達してさてお昼ご飯でも買うかとセブンで買い物をした後、音楽を聴きたいなと思い(日曜日からずっと「ふつうの軽音部」に出てきたサバシスター「覚悟を決めろ」にはまっている)iPhoneをカバンから取り出そうとしたら、ない。

げげっと思い、セブンをぐるぐる見て、その前に行ったファミマとドラッグストア(施設に届けるためにトイレットペーパーとかマスクとか買う機会が多い)で聴いてみても、ない。病院に戻って受付に聞いて、落とし物係に聞いて、最後にスマホをいじった皮膚科の待合室(と言っても廊下だが)をみて、母を入れた身障者用トイレをのぞいて、皮膚科の受付に聞いても、ない。

落としたのでなければ、ひょっとして母の荷物の中に、例えばバッグの中に間違えて入れてしまった(母の簡単スマホがしょっちゅう着信音が鳴らない設定に変わっていたりするのでバッグの中は見ることが多い)のではないかと思って施設に行って事務の人に聞いてもらったが、ない。これはやばいと思い、自宅に戻ってMacBookAirかiPadで「iPhoneを探す」を発動してある場所をまず特定しなければ、と思って自宅に急いでいたら、信号待ちの時に母から電話がかかってきて、「私のバッグの中にあった」と言われたので喜んで施設に戻ると、先ほど「無いですね」と言ってた事務の人が走ってきて渡してくれた。母が着ていたダウンジャケットの中にあったというのだが、まあ荷物が多かったからiPhoneをいじった後つい変なところにしまってしまったのだろう。まあとりあえず出てきたからいいのだが、久々に本気で焦った。

病院行きを無事終えられたので安心しすぎたんだろうなと思った。今後は施設に送り届ける前に自分の持ち物チェックをしないといけないなと思うなど。まあ出てきて本当に良かった。

午後はちょっと安心してしまってお昼を食べた後寝てしまった。動き出そうとした時にはもう暗くなりかけていた。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17106567264132036203

3月16日更新の「ふつうの軽音部」第60話「機先を制する」はいろいろな意味でエポックというか、この作品の一つの大きな山場であることは確かなので、日曜日からまたこの作品についていろいろ考えている。

主人公の鳩野ちひろの師匠はだれか、ということをふと思って、永井公園で弾き語りをしてるときにレイハさんと再会し、その歌い方のあまりの傍若無人さに呆気に取られ、そして「自分が歌うとにまだ恥じらいを残している」ことに気がつき、「もっと自由に、もっとわがままに歌ってもいいんじゃないか」「レイハさんみたいにもっと傍若無人に、もっと厚顔無恥に」「私が憧れたロックバンドのボーカルはそうだったはずなんだ」と気がつく場面を思い出したわけである。

これは鳩野のボーカル観において重要な転機であったことは間違いなく、これより前にもすでに固定客はつき始めていたのだが、その11日後に弾き語りに行く際に「そろそろ掴めそうなんだよな 弾き語りの核心」と厨二病的なことを言ってたらたまき先輩が現れ、事情を告白することになる。そして歌を聴いたたまきが自分の過去を思い出す。鳩野の歌を聴いて自分が一緒に演奏する姿を幻視するというのは桃が「拝啓少年よ」をカラオケで聴いた場面でもあったが、鳩野のうたで自分の過去を思い出す場面はこのたまきの場面が初めてだ。それが「ボーカルの核心」であるかはともかく、鳩野の歌が強い印象を与え、驚かせて褒められたのも初めてである。

かと言ってレイハは中学で生徒会長を務め大阪有数の進学校に進みモデルもやっているいわば「全てを持っている」女であり、鳩野に対する接し方自体に「ああいう「出来ない子」が頑張っている」のってなんか感動しちゃうんだよね」と放言(口に出さないが)する女であって、鳩野もそれを感じているから「多分レイハさんは私のことを完全にナメている。もしいつかまた会うことがあったらその時は目に物を見せてやるぜ」と密かに誓うわけである。(第2巻18-19話)

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だからこれはレイハから強い影響を受けたことは確かであるが、(これはもっと穏やかだが56話「憧憬を強める」での夏帆との出会いで「ギターかっこよく弾ける人になりたい」という思いを再確認することとも共通する。夏帆との出会いも永井公園での弾き語りである)「師匠」というよりは「影響を受けた人」というべきだろう。レイハに対する対抗心は文化祭での「リンダリンダ」アカペラ熱唱(第4巻39話ー第5巻40話)という今(60話のカキフライエフェクトなどを巡って)焦点になりつつある行動に繋がり、鳩野自身は「やっちまった」と思っているが、周りの評価は違う、パンクというかロックの精神を直接表現した、みたいなある種の「神話」につながる。もちろんレイハがこれをストレートに評価することはないのでまだ先があるわけだが、周りの人に確実に爪痕を残して行っているのがいい。

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ということで、「ふつうの軽音部」主人公鳩野ちひろをめぐる「物語」についてより深く考察していきたいと思い、「鳩野ちひろの「オリジン」と「ライジング」」というテーマでプロットを書き始めたらかなり壮大なものになり始めたので、いろいろまとめながら少しずつ書いていきたいと思う。

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思えば昨年(2024年)の初頭にこの作品にハマり、ふつうなら他の作品もふつうに感動しながら読むことが多いのだけど、昨年はほぼこの作品に入れ上げていた感じで、今年に入ってからも基本的にその熱は取れていないから、この作品に費やした時間を一つの批評作品にまとめるのは自分にとっては多分必然なんだろうと思う。ただ称賛し感心するだけでなく、今まであまり指摘されていない部分についても書いて行けたらと思っている。

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