アベノミクスの金融観FedViewと悪夢の民主党政権下のBISView/「ふつうの軽音部」と「ガッチャマン」と「狂気の愛」(フランス映画)

Posted at 25/03/09

3月9日(日)曇り

昨日は出かける前に外の灯油タンクから赤いポリタンクに灯油を移していたのだが、玄関に戻るときにバランスを失って前につんのめって転び、両膝を強打した。左は土のところだったが右は敷石の上だったのでズボンをめくっても状態が違う。ただどちらもすごいアザになっているというほどではないから大丈夫だとは思うのだが、痛いことは痛い。

https://amzn.to/3DmDhLp

昨日は夕方まで仕事。終わった後スーパーで買い物して帰宅。斎藤ジン「世界秩序が変わるとき」第2章まで(p116まで)読んだ。かなり面白い、というかかなり線を引きながら読んでいる。ヘッジファンドに助言した際に住専処理の時の梶山官房長官の公的資金導入発言や、アベノミクスになる直前の日銀の白川総裁の抵抗など、「なぜその判断をしたか」が理論的根拠をもって説明されていて、なるほどなあと思うところが多かった。

財政政策については有効需要喚起のケインズ政策と財政規律維持の新古典主義政策があることは有名だが、金融政策についてもBIS viewとFed viewという二つの考え方があるということはなるほどと思った。BIS viewというのは第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレの教訓から、金融政策は物価安定に限定されるべきだという禁欲的な政策であり、それを実行していたのが民主党政権下の白川元総裁だと。

Fed viewというのはリーマンショックの時にFRB(アメリカ連邦準備制度理事会、Fedとも略される)のバーナンキ議長が実行した景気浮揚のためにも金融緩和は用いて良い、という考え方で、アメリカがこれをやったために日本は極度の円高と株安が進んだが、民主党政権時代は白川総裁が頑固にBIS viewを守り続けたために極度の不況状態になり、「悪夢のような民主党政権」の時代になってしまったというわけである。

2012年に自民党が総選挙で勝利してアベノミクスが始まると2013年初頭に白川総裁が辞任して黒田総裁となり、大規模な金融緩和を実行して景気を浮揚させ、安倍内閣の長期政権に結びつけたわけである。

この辺りもFed viewとBIS viewという用語を用いて説明されるとわかりやすく、この30年に何があったのか、そして日本はいかにして不況状態を脱したのか、ということがよく理解できた。

確かにアベノミクスの前後に私などは金融緩和や財政出動は当然だという意見だったのだけど、自分の周りでも意外な人たちがハイパーインフレを懸念していて反対していて、こんなデフレ状況からいきなりインフレになるはずないだろ、と私などは思っていたのだが、なぜそんな説を信奉し続けるのだろうと不思議だったのだけど、日本ではエスタブリッシュメント方面にかなり強固な力を持っていたことがこの本では説明されていて、なんというか昭和5年の世界恐慌の嵐の中であえて金輸出解禁をやって極度の不況、いわゆる昭和恐慌を招いた濱口雄幸首相・井上準之助蔵相のコンビを思い出した。

彼らは二人とも暗殺されて、その辺りは城山三郎の「男子の本懐」という小説に描かれているが、彼らは不況をもたらしたのだからともかく、令和では好景気をもたらした安倍首相が暗殺されるという納得いかない事態になったわけで、「アベシネ」の狂った嵐を改めて思い出して悔しい思いになった。世の中に不況をもたらして暗殺された例はあったにしても、好景気をもたらして暗殺された例は他にあっただろうか。

もちろん、金融政策においてBISVewが絶対的に間違っていてFedViewが正しいとかそういうことはなくて、その状況に応じて積極財政と緊縮財政を使い分けるように使い分ければいいだけのことだと思うのだが、どうも日本の経済学者や経済関係の人というのは博打を打つときに「丁」に賭けるのが正しくて「半」にかけるのは間違っている、みたいな議論をする人が多くて閉口する。ケインズ政策を馬鹿にする人は今でも多いしいまだにリフレ政策を非難する人もいるわけで、もうちょっと頭を柔軟にしろよと思う。チェスタトンがニーチェを評した言葉だと記憶しているが、「軟らかい思考を持たぬものは軟らかい脳を持つに至る」のである。

こういうのを読んでいると、金融や財政に対するエスタブリッシュメント方面の「思い込み」を改めるのは相当難しいのだなと改めて思う。安倍さんでさえ財務省方面の圧力で消費税率引き上げをやらざるを得なかったわけで、財務省解体が叫ばれるのも実際理由がないことではないと思う。少なくとも財務省設置法の「財政規律を守ること」を使命とする条文は削除すべきだと思う。日本のような官僚の強い政治機構・社会で「自分たちは頭がいい」と思ってる人の思い込みほど害悪はないわけで、トランプ的な官僚機構の破壊はなかなか難しいにしても、権限を一つの省庁に集中させず、本来の議会制民主主義の状態を実現して衆議院で全ての予算を審議し直したり、財務省の意に反する形での減税を決めたり、改めて新たな予算をプラスさせたりするような状況に持っていくべきではないかと思う。

***

昨日は10時前にはソファで寝落ちしてしまい、なかなか起き上がれなくて2時ごろなんとか寝床に入ったのだが、今度は寝付けなくなって仕方なくまた居間に戻って「ふつうの軽音部」59話「はーとぶれいく今日も行く」の更新を読んだ。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567263957918388

各所で話題になっていたバンド「カキフライエフェクト」がとうとう公開されたわけだが、Green DayのAmerican Idiotを歌うパンクバンドだった。リーダーの野呂あたるがはとっちの「中庭でのリンダリンダアカペラ熱唱」の噂に動揺するというエピソードがおかしかったが、そのほかも色々と面白かったのだが一番インパクトがあったのはやはり「はーとぶれいく」の仮装衣装だろう。

ドラムの桃は着ぐるみにゴリラのマスクをかぶる式だが、後の3人はジャージパーカー式でフードがオオアオムチヘビ・カラカル・イワトビペンギンになっているわけである。動物好きの桃が「テレビの制作会社に勤めるおじさん」という設定上無敵の存在から借りてきたというから子供番組かバラエティで使われたものだということかもしれない。

この設定はどこかで見たことあるぞ、と考えていたのだが、一つはコメント欄で読んでなるほど、と思った「ガッチャマン」だった。オオワシのケン、コンドルのジョー、白鳥のジュン、ツバクロのジンペイ、ミミズクの竜、のあれである。

https://natalie.mu/eiga/gallery/news/233064/708522


まあこんなにカッコよくなくてバラエティ系ではあるのだが。

もう一つ思い出したのがポーランドからフランスに移住した映画監督・アンジェイ・ズラウスキ「狂気の愛」の冒頭シーンだった。彼は今はウクライナ領になっているソ連占領下だったリヴォフ(リヴィウ)の出身で、フランスで過激な映像を多く撮影したことで知られているが、私はソフィー・マルソー初主演のこの「狂気の愛」が一番ケレンだらけの彼の作品の中でも最もケレンを使いこなしていると思う。

これはドストエフスキーの「白痴」を下敷きにしていて、映画の冒頭で不穏な音楽が流れる中、ミッキーマウスのお面をつけた強盗団が銀行を襲う場面から始まる。その冒頭のシーンを思い出したのである。

https://www.youtube.com/watch?v=BAQDA9UBfnU

この映画は若い頃友人の家で管を巻いていたときに映画に行こうよと言われてなんかやってる?とぴあを見てシネヴィヴァン六本木でこれをやってるのを知り、「ダルい題名だな」と思いながら見に行ってめちゃくちゃ盛り上がったのだが、帰りのエレベーターの中で他の観客の女性が「こんなひどい映画初めて見た!」とプンスカしていて、「面白かったよね」「面白かった」と友人と顔を見合わせたことを思い出す。その頃演劇をやっていた仲間から夜電話がかかってきたのでこの映画のことを興奮して話したらその人は翌日見に行って、「この映画を嫌いだという人とは友達になれない」と言っていたので、まあ私の仲間内では大評判だった作品である。今見ると荒削りなところは結構あるのだけど、身体性の扱いが独特だなと今見ても思う。そういうところがズラウスキの他の作品はどうももう一つで、今でも自分の中で歴代ベスト5に入る作品になっている。

まあつまり、こういう一見可愛い系の着ぐるみとかお面というものは反転させて迫力系やホラー系に使われることが多いわけだけど、あの着ぐるみでもはとっちの全力ボーカルが見え方を180度変えてしまうのではないかと期待が高まったわけである。

まあ今回の更新では可愛い系だろうとは思っていたけれども、もっとフェミナンなものと予想していたのだけど、「桃はどうぶつ系」というのがこれで確立したなという感じではあった。

最近、というか去年からずっとこのマンガに入れ込んでいるわけだけど、そういう時というのは勝手に展開を結構予想していて、ほぼ予想通りにはならないわけだが、大体そういう頭で1回目は読むのでまずあれっ?と思ってしまって中身が頭に入って来ず、何度も読んだりコメント欄を読んだりしているうちにああそうかこういう話か、と思うことが多くなっている。

あまりに予想と明後日すぎる展開で読み続ける気を失うこともあるのでそういう入れ込み方は気をつけないといけないなと思うのだが、まあ【推しの子】最終回の前後の読者の暴走みたいなものもそういうことが起因しているのだろうなとは思う。物語は読者にコントロールできないし、読者がどう感じるかは作者にはコントロールできない。「新世紀エヴァンゲリオン」のオンエア版最終回など、一体どういう世界が展開したのか、リアルタイムでは知らないが相当なことが起こったに違いないとは思う。

読み終わったがやはり寝付けないので入浴し、寝床に入ったのは4時を過ぎていた。強打した膝は風呂に入ったり階段を降りたりするとまだ痛い。


月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday