日米首脳会談と石破首相の着こなし/「化ける受験生7つの特徴」:「勉強法」というものについて思うところを書いてみた

Posted at 25/02/08

2月8日(土)雪のち晴れ

昨日の夕方から降り始めた雪だが、そんなに積もることはなくて5センチくらい。道はそんなに雪かきをしなくても通れるくらい。最低気温もマイナス6度くらいだが凍結して危ないということもなくて、全体の印象としてはもっと気温が高いのでは?と感じたのだが部屋の中にいるとストーブを二つつけていても寒い感じがあり、そういう意味ではやはり寒いのだろうなと思う、という感じである。

日米首脳会談は思ったより石破さんがよくやった感じで割と無難にまとめてきた感じがある。「USスチール買収」を「投資」と言い換えたことで落とし所が見えてきたのは良かったと思うし、トランプにしてもバイデンの決定をひっくり返せてメリットがあると感じられたのではないかと思う。

ただまた例によって石破首相の着こなしがみっともないということが話題になっていて、例えば椅子に座って話しているときはスーツの前のボタンは外すべきなのに外してないから写真写りがカッコ悪くなっているとか、あとズボンの裾が無意味にダブダブだとか簡単に改善できるところはいくつもあると思うのだけどそれができてないのはどういうことかなと相変わらず思わされる。

石破首相はその見かけからは想像しにくいが慶應ボーイであり、日本で一番そういうことにカッコつけてそうな種族なのにあの着こなしというのは希望なのか絶望なのか、みたいなことを考えたりした。周りの人も何か言ってやればいいのにとは思った。

***

「化ける受験生7つの特徴」というツイートを読んで、なるほどと思いつついろいろ思うことがあった。

https://x.com/tatakiage_todai/status/1887415936094798006

・基礎をやりこんでる
・志望校を周りにいう
・勉強中の集中力が高い
・自分でルールを決めれる
・わからないを放置しない
・納得するまで次に進まない
・アドバイスを素直に受け入れる
・このポストを見たら一旦スマホを置く

これは全部その通りだと思えるというか、受験勉強をする中でそういうことに気付いたりあるいはアドバイスされて受け入れたりしなければなかなか難関校には合格できないだろうなということばかりだなと思った。

順不同に、思ったことを書いていくと、「志望校を周りに言う」というのは大事だと思う。私は高2の時に志望校を決めて周りにもそれを言っていた。そのことの意味を考えてみると、受験校をいうことで自分が後に引けない立場になる、というようなこともあるかもしれないけど、それよりも周りの反応から自分に対する評価がわかる、ということがあったのではないかと今では思う。

例えば「東大志望」ということは誰でも自由にできるわけで、それに対する周りの反応を見れば自分が「受かりそう」に見えてるか「無理じゃんww」と思われてるかはわかる。高二の時に剣道と保健の先生に「このクラスには東大行きそうな奴はいないな」と授業中に言われてちょっとふざけるな、と思ったのとかも思い出す。良くも悪くも志望校に合格するぞ、という意識づけができるという意味で、これは結構コスパがいい行いだと思う。

「勉強の集中力が高い」というのも大事なことだが、勉強の集中力が高い時にはあっという間に時間が経ってしまうので逆にあまり勉強した気持ちが残らなくてかえって不安になったりする、みたいなこともある。逆にそういう意識を持っていると謙虚でいられるからプラスになる、ということもあるかなと思った。

「自分でルールを決めれる」というのも大事だ。まずは自分でスケジュールを組み立てられること。それからスケジュールというのは「絶対に」予定通りにはいかないのでその時にどうするか、というルールを決めておくこと。とにかく迷いをなくすことが集中力を生む、ということもあるから、最低限こうするとか、うまくいけばこれもやる、みたいに付随するルールを決めておくことも大事だろう。

私の場合は勉強の一つの中心はZ会の添削で、これがめちゃくちゃ難しかった。また現在では提出は月に2回だが当時は月に3回、結果が良ければ旬報に載る、という仕組みだったから、まあモタモタしていたらすぐ提出期限に遅れる。だから私の勉強ルールの一つは絶対に添削の提出期限に間に合わせる、ということだった。英数国世界史の4教科やっていて、国語と世界史はまあなんとか間に合うのだが、英語が苦手でなかなか点数が伸びず、数学も難しくて結構提出はギリギリになったが、最後までそれはやり抜けた。やれたということは自信になるし、とにかく「ルールは守れるように変える」ことが大事で、それに答えられる自分であることも大事だと思う。

「わからないを放置しない」「納得するまで次に進まない」これは指導してくれる人がいればやれることだと思う。逆にいえば、「わからないところをわかるまで、納得できるまで教えてくれる指導者」がいるならばそれを使い倒すといえば語弊があるが、徹底的に質問できる子は絶対に伸びることは確かだろう。私はそういう人がいなかったので逆に「わからないところはどこがわからないのかを確認した上で中断する」「どこまでは分かったかを確かめ自覚した上で他のことをやる」という選択が重要だった。まあそれでも結果的には現役で合格してしまったので合格したあと英語力の不足で悩まされることになったが、つまりは「有能な指導者は常に求められる」ということでもあるのだと思う。ただ、我々の時代に比べて今は優れたわかりやすい参考書がたくさん出てきているので、それを使って自学自習でも相当なレベルに達することは可能だと思う。変なものに引っかからないようにすれば、YouTube動画でも同様な効果は期待できるだろう。

「アドバイスを素直に受け入れる」というのも大事だと思う、というかそういうタイプは伸びる。私は受験生の当時は人の言うことをあまり聞かない方だったので、自分で計画を立ててその通りに自分で実行すると言う感じだったけど、どちらかといえばアドバイスというのは自分の主体性がはっきりしているときに、そのアドバイスを聞ける余裕があったら試しにやってみる、というくらいに考えておいた方がいいと思う。

もちろん、何か根本的に勉強がうまくいっていないのに解決方法が見つからない、という時には人のアドバイスは聞きやすくなるけど、考え方の基礎から考え直さなければならない時はアドバイスする側、指導側の個性やクセのようなものに結構左右されてしまうのが危ないといえば危ない。私も英語については最終的には中学の最初から文法をやり直して初めて理解できたようなことがたくさんあり(既に修士課程を終えたあとだったが)、今ではそれなりには英語は読めるけれども、こんなことは中高生の時にちゃんとマスターしていればあとの苦労がだいぶ減ったのに、とは思う。ただいま考えてもこちらのタイプを考えてちゃんと有効なアドバイスをしてくれる優れた指導者には会えていなかったなとは思う。まあその分、自分が教える時には何につまづきがちかということがわかっているので経験が役に立っている面はあるのだが。

「このポストを見たら一旦スマホを置く」というのも全くその通りで、まあ私の受験当時はそんなものはなかったけれども、やはり「東大合格作戦」とかその手の本を読んでこの参考書がいいらしい、とかこの勉強法をやってみよう、みたいなことはあったから、なるほどと思ったら即実行してみる、というのは大事だと思う。「なるほどこうやったらうまくいきそうだ。じゃあその前にまずゲームをして」みたいになってしまうとせっかくのアドバイスも役に立たない、ということはある。言われたことをまずやってみる、ということができるかどうかというのも力を伸ばすには大事なことだと思う。

そして、一番大事なのが一番最初の「基礎をやり込んでいる」ということなのだと思う。これは特に、上位校を受ける受験生にはなかなか言葉が届きにくいことではあると思う。

私自身、中学生の頃などは基礎問題というのは「わかりきったことをやらなければならない」と考えてとても苦痛だったから、説明を聞いて確認問題をやってこうやればできる、というのを確認したらどんどん応用問題をやる、みたいなタイプだった。数学とかはそれでもできたが英語はその辺の態度が結局最後まで響いたところはあるんじゃないかと思う。一つには当時から英語には文法軽視の考え方が強くて、そういうのを魔に受けてしまった、というところがある。実直な指導よりも逆張りみたいな言葉の方がかっこよく聴こえてしまう時期だということもあったのだろう。そういう意味では自分も厨二だったのだなと思う。

ただ実際に東大の受験をしてみてわかったのは、いかに基礎をちゃんと理解しているかが問われるか、ということだった。数学に関してはやり方を覚えることよりも(受験前になるとそちらの方に考えが傾きがちで、それで力の伸びが弱くなった感じがあったが)原理を徹底的に理解する、疑問点を放置しない、という姿勢でないと、基礎的だが根本的なことを問うてくることが多い東大の問題には太刀打ちできない、ということだった。

多くの大学が難しい問題でしかもいろいろなやり方を知らないと解けないような問題を出してくる一方、東大の場合は最低限のやり方を知っていればできるが、発想の転換ができないと解けないような問題を出してきていて、そういうところが東大受験の魅力的なところでもあった。ただ解法を覚えてそれを短時間で解いていく技術をあげる、みたいな学習法にある程度以上傾かなくて済んだのは良かったと思う。ただ物理などはそういう力も必要だと後でわかってはきたのだが、文系なのでそこまで徹底はしないまま受験は終わってしまった。

また英語の力が身に付かなかったのは基礎的な文法が徹底的には身につけられなかったことが大きいと後でやってみて自覚したので、本当に今は基礎重視論者になっている。一円を笑うものは一円に泣く、というが、基礎を笑うものは基礎に泣く、というものだなと思う。

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たまにはこんな内容を書いてみてもいいのだが、役に立つ人がいるだろうか。役に立てば嬉しいと思うのだが。

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