新宿で思い出したことなど:ロールキャベツと立憲民主党結成時の熱気/ハザール帝国と突厥と新羅僧と敦煌文書

Posted at 25/01/27

1月27日(月)晴れ

昨日は9時台の特急で東京に帰る。東京駅直通なので12時過ぎにはついて、構内で弁当を買ってまっすぐ帰宅。昼食を済ませて一息入れてから出かけて、九段下で乗り換えて新宿に行った。都営新宿線で出て南口のタワレコに行ったのだが、構内を歩く距離が長かった。もっと近い行き方はあっただろうか。

そして今更ながら認識したのだが、甲州街道は駅の構内をまたぐために立体交差になっているから南口は橋上で、地上に降りるには階段を下らなければならない。下をのぞくと広場があるのだが、この広場では2017年、希望の党から排除された旧民進党議員たちを拾い集めて結成された立憲民主党の枝野代表らの選挙演説を聞いたことを思い出した。あの当時はある種の希望の星だったのだよなとちょっと遠い目になった。その後の展開は福島デマを流す候補者を支援したり、ろくでもない党になってしまったこともあるのだが、こうやって政治への希望みたいなものが失われていくのだろうなと思ったり。

タワレコのあるフラッグスビルは南口直結で、つまり地上に降りないで行けるのだが最初場所が分からず、9階と10階がタワレコなのだということを表示を見て知った。渋谷の店舗が単館すべてがタワレコだからそういうものを想像していたので最初気が付かなかった。

エスカレーターで10階までのぼり、「ふつうの軽音部」のポップアップショップに行ったのだが、その途中に中古CDのコーナーなどあり、魅かれるものがあった。ポップアップショップの態様は渋谷店より新宿店の方がいい感じだった。コーナー的独立性としては渋谷店の方が高いが、新宿店の方が近づきやすい感じがした。直前にクワハリさんのサイン会があったはずだが、その気配はもうなかった。そのかわり9階のイベントスペースではよく知らないアイドルグループのインストアライブが行われていて、ドルオタたちの野太い声が響き渡っていたが。結局「ジターバグ」演奏シーンのアクキーを一つと、モダンジャズのアンソロCDを一枚(二枚組だが)買った。

店を出て甲州街道の歩道を坂道が着地するところまで歩いて、久しぶりに東口の紀伊国屋書店に行ってみた。以前は地下にカポネというロールキャベツを出す店があって、紀伊国屋に行く必要がなくても時々新宿に行ってロールキャベツを食べた後、本を見るというパターンがあったのだが、地下街の改修で昔からの店が追い出された後は紀伊国屋自体に行かなくなった。今は東京の東側に住んでいるので神保町の三省堂や東京駅の八重洲ブックセンター、日本橋の丸善などに行っていたのだが、三省堂もブックセンターも工事中で閉店してしまったのでレパートリーが減っている。先日は三省堂の小川町の仮店舗に行ったが、やはり丸の内の丸善とは本の配置が違う。また紀伊国屋でも少し本を見たがやはりもう自分のセンスからみて好ましい並べ方ではなくなっていて、結局何も買わなかった。

新宿三丁目でモバイルスイカ(ガラケーなのですでにモバイル機能は失われている)のチャージをしようと駅員に聞いたら「この先にセブン銀行のATMがあるからそこでやってくれ」とのこと。東陽町駅にはモバイルでもチャージできる切符の販売機があるのだが、まあそういうことかと思った。新都心線と千代田線を乗り継いで表参道に行き、しばらく付近を散策したが、やはり40年前とは様変わりしていた。当時は少し裏道に入ると道行く人もあまりなかったのに、今では用があるのかないのかわからない人たちがうろうろしていて、昔は住宅地だったけどもう住環境としては悪化してしまったのだなと思う。

まあ少し歩いただけでまた駅に戻り、半蔵門線で神保町に出た。やはり頻繁に行っているせいもあるが、東京ではこの町が地元以外では一番落ち着くかもしれないなと思った。東京堂で先日見た『昭和天皇の敗北』を買い、喫茶店なども行ってみたが混んでいたので、書泉グランデのマンガフロアを少し見て、そのまま千代田線新御茶ノ水まで歩いて地下鉄で帰った。帰りに西友でかつ丼弁当と牛乳を買って帰った。だいぶ歩いたせいか疲れたので夜は早めに寝た。

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しばらく前に借りた『ハザール 幻のユダヤ教騎馬民族国家』だが、最初の方がロシア史とのかかわりよりもハザールが突厥の一部族であったということを証明する記述が長く、ちょっと今読みたいものでもないなと思ってしまったので期限も来たことだし返そうと思ったのだが、少し読んでいたら新羅僧の慧超という人の話が出てきた。彼はまず海路インドに渡り、帰路は中央アジアを経て長安に戻ったのだが、彼の旅行記が「往五天竺国伝」として残っているのだという。しかしこれは玄奘三蔵の「大唐西域記」のように後世に伝来したものではなく、敦煌の莫高窟で1900年に発見されたもので、最初は作者もわからなかったのだという。

この文書の中に突厥がビザンツと戦った記述が出てくるそうで、それは歴史的事実に反するわけだが、この突厥をハザールと解釈すると筋が通る、という分けである。そうした感じの論証が結構あったのだが、とりあえずまたの機会にじっくり読むことにした。それにしても中央アジア史の研究というのは語学の天才でないと無理だなと改めて思った。若いころはシルクロードに憧れて研究してみたいと思った頃もあったのだが。

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トランプのウクライナ政策など、気になるところはあるが、まだはっきりしないことが多いのでまた改めて。

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