トランプ大統領二期目の就任演説:「常識の革命」は私たちに何を問いかけるか/「精神分析」は現代思想を批判するより長い射程を持つか

Posted at 25/01/21

1月21日(火)曇り

昨日帰郷。今朝の最低気温はマイナス0.1度。かなり暖かい。昨日は東京もかなり暖かかった。

昨日は午前中家でいろいろやっていたが、特に時間がかかったのが「ギャラリーフェイク」の単行本探し。10巻と11巻はあったのだがあとはどうしたのか。実家の方に持って来たのではないか、という気はするのだが、作業場についてはまだ探していない。戻って来たら戻って来たでやることが多い。

昨日は早めに頑張ってブログ/noteを更新し、午前中に出かけて区役所に書類を出しに行って、帰りに銀行でいくつか記帳し、何か弁当を買って帰ろうかと思って牛丼を検索したがよくわからなかったので天ぷらにしようかなと思っててんやに行ったら店が無くなっていた。仕方ないので結局イキイキに行ってカルビ弁当を買って帰った。

日曜日によく歩いたのと夜中に足をどこかにぶつけたののどちらの理由かよくわからないが左足の小指が痛く、歩き方が変になった。帰ってみてみると小指の爪の外側が血豆みたいになっていて、思ったより重傷?だった。何もしていない時はとりあえず痛くはないのだが、靴を履いたりスリッパを履いたりしたら痛い、という感じ。とりあえず傷バンを巻きつけて痛みは少しマシになったが、最近正座がしにくくなっているし、足腰が弱っている感じなので、ちゃんと足にも注意を払えという身体からの警告かなと受け取っている。何もしていなければ特に痛みはないが、つっかけで外に出ようとするとちょうど傷に当たるのでかなり痛い。

午後は適当に片付けて、2時ごろ出発。バスで駅に出て地下鉄で東京駅に出る。特急に乗るときはえきネットでチケットレスの特急券を取るのだが、乗車券も一緒に取ると乗車券をゲットしてしまうともう変更ができなくなるという弱点があり、考えた結果乗車券は駅で買うようにした。これなら乗車券の有効はその日のうちで、ゲットしてからも事情に合わせて特急券の方は時間を変更できるから、より使いやすい。先週は東京駅で無駄に時間を潰すことになってしまったから、少し懲りた。

丸善に戻ってチャンピオンREDと「モブ子の恋」21巻を買う。なんだかんだ言って結局東京に帰るといろいろ買ってしまう。まあこの2冊は田舎にいても買っていたものではあるのだが。少し時間が残ったので三階のカフェでコーヒーと小倉サンド。少し量が多かった。3時20分過ぎに出て、東京駅から中央線で新宿へ。4時の特急はなかなか乗車口が開かず外で結構待たされたが、ホームの売店でコーヒーだけ買って乗車した。一番早い特急なので6時過ぎに地元につき、職場の駐車場まで歩いて車を取ってスーパーで夕食の買い物をして帰った。

その日のうちにいろいろ片付ければいいのについネットを見たり録画予約を確認したりしていたらご飯をかけるのを忘れてしまい、夕食は9時ごろに。計画してのことではないが3週連続で自宅に帰るとペースみたいなものが出てきてあまり疲れなくなった感じはする。

今朝は起きたら5時過ぎだったが少し片付けてから車で出かけ、午後ティーのキャラメルティーラテを買って帰ってきた。

***

日本時間の今日未明、トランプ政権の2期目の大統領就任式があり、そこで色々な内容の演説が行われたようだ。

https://www.pbs.org/newshour/politics/transcript-read-trumps-full-second-inaugural-address

総じて読みやすい内容なので、聞いた人も理解しやすいものだったのではないかと思う。個人的には

With these actions, we will begin the complete restoration of America and the revolution of common sense.

というところが印象に残った。2期目のトランプ政権は「常識の革命」がキーワードになるかな、という気はする。「コモンセンス」はいうまでもなくアメリカ独立の際にトマス・ペインが出した有名な文書だが、大きな意味としてはwoke(やワシントン政治やウォール街や移民や外国勢力)によるアメリカへの侵略を止める、そのための戦いを始める、というような意味だろう。MAGA=Make America Great Again とはその意味ではアメリカを再び「独立」させる、その独立戦争を始める、というような雰囲気かなという気がする。あれよあれよという間に大統領になってしまった一期目に比べてかなりトランプ自身がやりたいことが明確になって来た感じがあるのではないかと思う。


トランプが意図する「常識の革命」とはどういうことなのか。これはアメリカ国内においてはwokeの行き過ぎたマイノリティの権利主張やジェンダーを数十に分けようとする方向性、不法移民の正当化などに歯止めをかけ、ウォール街の行き過ぎた資本主義に待ったをかけてアメリカの産業と労働者の活力を取り戻し、未開拓の大地を開拓して自らの国を作り上げた独立当時のアメリカ人の「常識」を取り戻そう、ということであると思う。

また同盟国に対しては「アメリカに頼りすぎるな、頼るなら正当に金を出せ」とこれもまたある意味常識的なことを言う。つまり我々が「超大国アメリカ中心の世界」と言うものを否応なく見てきたのに対し、トランプは「それは非常識だ」と言っていると言うことだろう。アメリカは偉大な国であるが世界の中の一国に過ぎず、アメリカ一国で世界秩序を維持する義務はない、と言う「常識的」な発想だろう。

そしてアメリカを「世界一の開かれた市場」とみなす国々に対しても、アメリカは世界一ではあるが一つの国であり、その市場と経済、産業を守る権利があるから、アメリカ市場を利用したいならそれなりのコストを払え、という「常識」を主張しているのだろう。もちろん関税は最終的にアメリカの消費者が負担するものであり、外国が払うものではないのだが、そのあたりの考えは意図的なレトリックなのか理解が足りないのかわからないところが少しある。しかしアメリカ国内市場においてアメリカの生産業が有利になること自体は確かだし、競争に敗れて撤退していった多くの産業や新しい産業が再びアメリカで勃興する可能性はなくはない。と言うかそう言う期待をしているのだろうと思うが。この辺もつまり比較優位説のような経済学という学問による発想ではなく、「常識」の発想だということになるのだろう。

日本においても、wokeとの戦いの中で苦戦してきた右派勢力にとって、安倍元首相亡き後、トランプの大統領復帰に期待が大きいのはわからなくはない。

しかしトランプに期待するのはわかるのだが、トランプを「解放者!」みたいに讃えるのもまた大丈夫か、と言う気はする。彼はアメリカの大統領であって日本は同盟国に過ぎない。前回はトランプに信頼されていた安倍さんがいたから割と大船に乗った気分だったけど、今回はそれなりに警戒心がある。

基本的にトランプとうまくやり、彼の政治から日本の利益、国益に沿ったものを引き出そうとするには、トランプと協調姿勢をとることが最低限必要だと思うが、石破さんはどうも理詰めで考えていて、一緒になって自由主義世界を繁栄させていこう、みたいな姿勢に欠けているように思う。日本にとって中国やロシアとどう付き合っていくかが重要であるのは確かだけど、石破さんに中国やロシアがどういう国として映っているのか、あまり見当がつかないところがある。敵であるからこそ是々非々で付き合っていく、という安倍・岸田外交の要諦を受け継いでくれればいいのだが、どうも雰囲気として米・中・露等距離外交みたいな夢想を持っている感じがして、かなり危なっかしい。

こういう考え方は昔も自分もあったからセンスとしてわからないことはないのだけど、結局そのどこが問題かというと、図式の捉え方がスタティックだということなのだと思う。確かに平面図を書いてそれぞれの外国をプロットし、その真ん中に等距離になるように日本をおいたら独立性が保たれるように見えてしまうが、侵略を行うロシア、そこに派兵して実践経験を積ませようとしている北朝鮮、周辺諸国に強い軍事的圧力をかけ続けている中国、混乱する韓国というような状況の中で、アメリカの力を抜きにして彼らの軍事的圧力をかわせるほどの力が今日本にあるわけではない。

おそらくは石破さんはトランプの右派的な姿勢に強い批判のようなものを持っていて、彼の反woke的な姿勢が日本に影響する前に左派的な政策(夫婦別姓など)を実現してしまおうと思っているのだろうけど、そこは十分耐えて廃案に追い込んでいく必要があるだろう。

右派の側にしてもトランプはアメリカが第一だ、ということはわかっていると思うけれども、その姿勢を日本に有利なように持っていく達人だった安倍元首相はすでに殺されているわけで、トランプに不信感を持った指導者をいただいてしまっているという日本の不幸がどういう形で訪れるかは警戒しておいた方が良いだろうと思う。岸田政権以来wokeに靡かされてきた日本の政権が、与し易しとみたアメリカ民主党勢力の避難地とみなされ、大学というwokeに染まった土地に進出してくる可能性は十分警戒した方が良いと思われる。

***

woke批判に関連して、雁琳さんが「精神分析」について述べているところになるほどと思った。

https://x.com/ganrim_/status/1881356064735760542

https://x.com/ganrim_/status/1881358107143819471

「私は精神分析がマルクス主義よりもずっと鋭く、射程が長いと考えるが、その理由は、精神分析の場合はマルクス主義のように階級などの社会的属性の正当化に帰着させず、「何かによって別の何かを無意識的に隠して正当化する」(ことで自我が成立する)という、この問題構造自体を指摘出来ているから。」

というのはなるほどと思う。精神分析は心理学という「科学の」分野において、その科学的有効性を否定されつつあるが、これはむしろ「人間とはどのようなものであるのか」についての深い洞察と考えるべきで、「科学的でない」ということで有効性を失うものではなく、むしろ「思想」「哲学の一方法」として捉えるべきではないか、ということは私も無意識には思っていたので、この主張には膝を打つものがあった。

「「何かを主張することによって別の何かを無意識的に(!)隠して正当化してしまっている」ことを指摘することがイデオロギー批判」であるというのはその通りだと思うが、これは従来は「新しく考え出された別の大義によって従来の言説を批判する」のが通り相場だったと思うし、自分自身もそういう認識だった。

だから、wokeの行き過ぎや社会主義の失敗、リベラリズムの失敗に対してそれを批判するには別の思想を確立しなければならないと思っていたし、だからこそ「保守主義」というものを体系的に考え確立していかなければならない、と思っていたわけである。

しかし、哲学的な意味でのイデオロギー批判、つまり「イデオロギーというものそのもの」を批判するためにはそれをするのに別のイデオロギーを持って批判するのでは「イデオロギーというもの自体の問題性」を批判することはできないわけで、いつまで経ってもイデオロギーというものそのものの危険性は放置され、より強力なイデオロギーが他者を駆逐するだけになってしまい、自体を悪化させるだけになるということが読んでいて了解できた。これはその意味では自分にとっては新しい地平だなと思った。

実際のところ、白け世代と言われてのちの一般人にとってイデオロギーというものは怖いものであり、近づきたくないもので、だからこそ面白主義とか血の出るような軽佻浮薄に身をやつす人々が出てきたわけだが、その人たちが歳をとってwoke的なイデオロギーに結局囚われて老醜を晒す例が実に多く、その辺りは痛ましい思いで見てきたことも事実である。

私はそこまでイデオロギーを相対化するつもりがなかった(というかその発想はどこかで消えた、多分イデオロギーというものの「強さ」に幻惑されたところはあったのだろうと思う)ので「保守主義」という思想をいわば自ら選び取り、ある意味「信仰を確立する」ためにいろいろ読んできたりはしたが、自分なりの保守主義というものはだいたい形になってきてはいるのだが、その一般性についてはちょっとまだ厳しいかなという感じではある。

しかし、保守主義というのは最もイデオロギー的でないイデオロギーで、それは神道、或いは神祇信仰・先祖崇拝というものがもっとも宗教らしくない宗教であるのと共通するところはあるのではないかと思う。

だから雁琳さんのいうイデオロギー批判と保守主義といういわば不定形なイデオロギーを持つことは十分両立し得る、というふうには思う。

イデオロギー批判は、あるイデオロギーのイデオロギー性も攻撃対象にすることは多いが、逆に自らのイデオロギーのイデオロギー性には無批判になりがちなので、そこはみっともない。これは呉智英が「吉本隆明の論争の強さ」を評したことと似ていて、「吉本は他の論者と違ってマルクス主義を信じていない」から無双できる、ということではあったわけである。

精神分析、特にフロイト主義の思想というのはフェミニズムを否定する契機が含まれているという指摘はその通りだと思うし、精神分析の諸概念や考えの進め方を用いることでより原初的なフェミニズム批判ができる可能性は確かにあると思う。私はユングには結構関心があったので河合隼雄経由ではあるがそれなりに読んではいたが、フロイトはほとんど関心を持ったことがないので少しは勉強しなければなあとは思った。

カントにはじまる近代哲学は人間の理性や判断力しか問題にできなかったわけだけど、フロイトの無意識下の研究はより広く「人間性」を批判できるものだ、という判断はあり得ると思うし、「大衆」とか「ポピュリズム」と言う問題テーマに対しても、改めて光を当てる可能性はあるなと思った。

「精神分析」が21世紀前半の現代において新たな思想的批判力を持って復活することは新しい思想の活力につながり得ることかもしれないとは思った。雁琳さんが指摘していると言うことはおそらくはそう言う思想的試みも出てきていると言うことだと思うから、そう言うものもまた読んで行けたらいいかなと思った。


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