文章に課金するということ/現代世界をどうみるか:「近代」と「現代」の内面化/「ふつうの軽音部」52話:「できるようになったと思っていたことも気がついたらまた何故かできなくなっている」

Posted at 25/01/05

1月5日(日)晴れ

昨日は初仕事。のせいかかなり終わり頃には疲れが出ていて、ちょっともたもたした。気がついたら時計が止まっていた、というか遅れていて、それを指摘されて電池を入れ直したり。思ったより仕事は忙しかった。終了後、西友に車を走らせて夕食を買ったが、帰ってきたら半分くらいあると思っていたご飯がまるまる新規に炊いてあって(自分で炊いたのだが)ちょっと調整が狂った。夜はうたた寝をしてしまったが11時半くらいに床に入った。

朝起きて時計を見たら1時半で、いや、もっと寝たはずだとiPhoneを見たら5時半。自分の身体感覚では結構寝た感じだったのでおかしいと思ったらやはり時計が止まっていた。昨日は時計が止まる日だったのだろうか。チックとタックには頑張ってもらいたい。いや彼らへのエネルギー補給が足りないのか。

昨日は有料記事というものを設定してみたが、購入してくださった方がいてありがたかった。まだ試行錯誤なのでどういう内容が有料記事に合っているのか、一応これは世の中に出ていない新規のアイデアだろうと思うものを設定していきたいと思う。今までもそういうものは逆になかなか評価してもらえなかったりもするので難しいのだが、そこから始まるものもあるかなと思う。

また、無料記事に対しても「チップ」をいただいて、これもありがたかった。有料記事の設定は今のところ「門戸を広く」という考えで100円に設定しているが、「チップ」の方は今までも500円とか1000円とか何度かいただいている。よろしければそちらの方もご協力いただけると、資料購入等に有効に使わせていただくので大変ありがたいです。

Amazonのアフィリエイトのリンクは一時期かなりいただいたことがあるのだが、これも今では年間で数千円程度。個人サイトの方ではGoogleの広告リンクも以前は万円単位の年もあったが最近はほとんどゼロで、なかなかウェブで収益を上げるというのは難しいなと思う。ただ以前の広告モデルから課金モデル、カンパモデルになってきて、より計画的に収益を上げられるようになってきた人が多いのはいいことだと思う。「note乞食」などと心ない陰口を叩く人もいるが、それこそ職業に貴賎なしであり、払う人ともらう人がお互いに納得していればいいのだと思う。まあサブスクは読まなくなっても解除を忘れがちだから、それである程度収益を上げている人もいる感じはしなくはないけれども。

現在の課金・広告収入を目指したコンテンツはもちろんYouTubeやTikTokなどの動画系がメインだと思うが、動画で稼ぐには必要な技術がそれなりにいる。もちろん文章ではある意味それ以上にいるのだけど、私自身の今の一つの目標は書籍を出版することなので、少しnoteを中心に文章で頑張ってみるのがいいかなとは思っている。

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自分は基本的にその時書きたい文章、書くべきだと思った文章を書いているのだけど、それがどのように受け入れられているかはまた違って、読んでいただける文章と、Google検索に引っかかって大量のアクセスをいただける文章、また課金する気になっていただける文章とはまたそれぞれ違うなと思う。なかなか書くのに時間的に精一杯で読み直している暇がないのは良くないが、そのあたりも自分も編集者目線を持ってちゃんと読んで行ったほうがいいなと今書いていて思った。

編集者目線というのは売れるとかそういうこともあるが、文章としてこれは書くべきだとか、よりここを深めていくべきだということも含まれる。それはもちろん作者も考えるべきことではあるし実際考えているのだが、書いているときの視点と読んでいるときの視点はもともと違うので、そこで見えてくることもあるなと思う。今のところ編集者さんがついてくれているわけではないので、そこも自分でやるということなんだろうと思う。

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文章の書いている内容については、それこそ読み直さないと思い出せないことが多いのだが、日常雑記的な内容、日本や世界で起こっている事件や傾向についての観察や考察、思想についての内容、マンガや小説、その他書籍等についての感想や見解、が中心だろうか。私はもともと歴史学が専攻なので、本来の西洋近代史だけでなく日本史や東洋史についてもいろいろ関心はあるから、そういう内容もよく書いている。

また、地域的に特に注目すべきだと思っているのはアフリカで、アフリカの記事は積極的に読むようにしているし、また理解したことなど書いていきたいと思っている。中南米や太平洋地域についても関心はあるのだが、まだ理解が追いついていない感じがある。

というか、アフリカは「パンアフリカ主義」という思想運動があるのでそれを軸に「アフリカ世界」というものを考えやすいのだが、太平洋地域や中南米というのはやや考えにくい。また、アフリカは基本的にアフリカ人の世界だけれども、中南米は白人と先住民と黒人、それぞれのルーツを持つ人たちとその混血、メスティーソやムラートという人たちがあって、その多層的な社会の捉え方が難しいということもあるだろう。

これはアメリカ合衆国もそうなのだが、移民集団自体が多様なルーツを持ってそれぞれの社会を形成している社会というのは考えている以上に難しいなと思う。ヨーロッパもそういう社会になりつつあるから、大枠で捉えることとミクロにみていくことの難しさがある。逆にシリアなどは様々な民族・宗教集団がいてもそれは数百年単位でいる人たちの間の関係なので、むしろ捉えやすいように思う。

つまりは結局はその社会集団がどれだけ「近代」や「啓蒙」というものを内面的に取り込んでいるか、ということの違いによって我々にとっての見え方が変わってくるところがある。そこにさらに現代的な「リベラル」や「マイノリティ」「フェミニズム」などの思想・概念が絡んでくると余計に見えにくい。実際のところ、現代的なものが跳梁跋扈しているのは先進国社会に過ぎなくて、欧米や日本、韓国、あるいは中国などもその影響を受けつつあるけれども、世界的にはどうかということがあって、だからこそそれらに対する反発もまた世界的には大きいということではある。

意識をアップデートといっても新しい思想が必ずしも正しいわけではないので、少なくとも批判的にみていく視線は必要なのだが、それをアカデミズムやジャーナリズムが正当にやっていないことが現代の混乱をさらに深めているのだと思う。

というような世界観的な問題も割と書くときはある。なかなかすぐあっちこっちに話は飛ぶが、そういう文体で申し訳ないけれども読んでいただいていることは本当にありがたいことだと思っています。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17106567262008971813

「ふつうの軽音部」52話「一歩ずつ進む」読んだ。不器用な主人公(鳩野)がそれでもボーカルもギターも頑張る中で、励ましてくれる友達もいれば「練習せえ。いつかはうまくなる」と檄を飛ばしてくれる友達(彩目)もいる。また、彼女を神のように崇拝する友達(厘)がいるかと思えば「全てをぶっ壊す」ことを期待する策略家の先輩(鶴)もいる。そしてチャラく見える「ライバル(鷹見)」は家では鬼のように練習していて、主人公は一歩ずつ進んでいる、という内容。

しかしそこに様々な思惑が渦巻くわけだが、その火付け役は策略家の先輩(鶴)。今まであまり目立たなかったライバルバンドのドラム(遠野)が饒舌に「上を目指す」ことを主張する。この辺りの温度感、空気感が冷えたり、あるいは氷の炎のように冷たいまま燃え上がったりする背景が今回はあった。寒熱地獄の橋の上を何も気づかずにひたすらに一歩ずつ進んでいく主人公は、いつも周りには無頓着で何か起こると常に「寝耳に水!」であるのが面白い。

主人公の進み方が本当に一歩一歩なのが魅力的だし、「できるようになったと思っていたことも気がついたらまた何故かできなくなっている」という(彩目の)言葉が本当に不器用に一生懸命やっている人には起こりがちなことだから、そういう人たちにとっても励ましになるなと思った。

このマンガは本当に毎回面白い。今話ももうすでに3周以上している。


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by Luke Peterson

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