「雑念」と「思考のストーリー性」について考えてみた

Posted at 24/12/30

12月30日(月)晴れ

「雑念」というものについて考えていたのだが、雑念というのは物事をやろうとした時に余計なことを考えてそれが物事の実行に邪魔になる、というものだが、何かをやることを考えていてもネガティブな思念が浮かんできてやはりやめようか、となったり、あるいは寝る時、休むときに思考が止まらなくなっていて寝付けない、というようなものをとりあえず「雑念」として考えておく。

で、考えてみた結論としては、「雑念というものはなくなるということはない」ということである。割とニュートラルな時でも色々な思考は浮かんでくるわけだし、それが「気づき」に繋がったりするわけだから、そういう意味での思考はプラスなものだと考えられる。その思考がネガティブな方向に影響する時にそれは「雑念」と呼ばれるわけだから、それだけを止めるということは難しい。

そういう「思考の断片」みたいなものはいつでも湧いては消え、忘れてしまうものがほとんどだが、特に影響を残さないことの方がずっと多いのだろうと思う。ただ、自分が置かれている状況に対して思うことがあったり、やろうとしていることに対してポジティブにしろネガティブにしろ思いがあると、その「思考の断片」がストーリー性を持ってくる、ということなのだと思う。

この「ストーリー性を持った思考」はそのまま「事実」や「客観的に蓋然性の高い予想」ではないのだけど、そのストーリー性は自分自身にとっては「説得力」を持っているわけで、そこに「ネガティブなストーリー性」が生まれてしまうと、特に自分の意思がはっきりしていない場合は影響を受けやすい、ということなのだと思う。

逆に「ポジティブなストーリー性」が生まれると、「これは絶対うまくいくんじゃないか」という気持ちになる。もちろんそれは「事実」でも「客観的に蓋然性の高い予想」でもないので、それだけに動かされてうまくいく場合もないとは言えないが、そうでない場合もあるわけである。

そうするとそこでまたネガティブに学習してしまうのでネガティブなストーリー性が生まれやすくなる、ということもある。

そうした雑念が生まれにくくなるにはどうしたらいいかと言えば、要は目の前のこと、あるいは一つのこと、要は物事にしっかり集中して取り組む、ということだろう。雑念が物事の実行を妨げるということは、その時の物事の実行に直接関係ないことを考えてしまうからで、そこは思考をある意味強制的にその物事に向かわせる必要があるわけで、それは「思考によって思考を制御する」ということが必要になる。

こういうことが得意かどうかというのは人によって違いがあるし、精神的な特性によってあまりそういうことが得意でないという人はいるだろうと思うので一般論で書くしかないのだが、例えば「集中!」と自分に声をかけてほっぺたをピシャッとやるとか、まあスポーツ漫画の一場面みたいなこともそういう時の一つのやり方ではあるわけである。

実際そういう「自分自身の思考が良くない方向に行ってる」な、ということを感じ取れるかどうか、ということもまたその人の持つ特性によって得意不得意はあるとは思うのだが、人間関係を考えていてAさんとBさんが仲良くなると今まで仲良かったAさんが自分から離れていくのではないか、みたいなことを考えて「そんなこと考えたらあかん!」と思考を中断する、みたいなことも思考のセンサーみたいなものの働きだろう。

何かある日の前日の夜はいろいろ考えてしまって眠れなくなる、ということはあるだろうと思うが、基本的に人間の体は疲れていたら寝てしまうようにはできているので、そういう日の前日でも体をしっかり使って動かしておけば、何もしていない時に比べればあまり雑念が浮かんでくる余裕はない。眠れないというのは逆に言えばしっかり体を使って働いていない、ということが多いのだろうと思う。現代では体を使わない、頭と目と手先だけの仕事が多くなっているから、倒れるほど仕事をしたのに眠れない、というようなことが起こるのだろうと思う。

日中に十分に体を動かしたら眠りやすくなる、というのは明らかにあると思うが、自分が一番体を動かしたと実感するのは今は裏山の草を刈ったり木を切ったりして少しでも整備しようとする作業かなと思う。斜面での作業が多いから体は常にバランスを取っていないといけないし、植物=生き物が相手だからこちらの予想しないようなことが起こってそれに対応する方に頭を使うから、雑念が湧きにくい。

ジョギングとか筋トレなどのより単純な運動よりはそういう作業の方が眠りにはいいような気がするが、この辺りも人によるかもしれないとは思う。

雑念を無くす、つまり思考自体の活性を落とす、というのも若い頃は比較的できていた時期がある気がする。これはスッキリした気持ちで過ごせるからいいのだが、逆にある意味「浮世離れした」感覚にも結びつきやすい。ある種の出家者の感覚なんだろうと思う。そういうのが悟りの境地か、みたいに思っていた時期もあるのだが、これは「十牛図」みたいなもので、「人牛倶忘」の境地に至ってもその後で現実の世界に戻ってこなければならないわけで、「三昧」の境地に至れるかどうかということと現実にしっかり対応して生きられるかどうかというのはまた別の問題であり、お釈迦様も悟りを開いてからの人生の方が長くまた大変だっただろうなという感じであって、雑念のない状況に安住する、ということもまたどうなのという感じはあるが、それもまたそれなりに健康な状態であるだろうとは思う。

まあ雑念というのはそういう意味である意味生きるエネルギーみたいなところもあるので、そう無下にするものでもないよな、という部分もある。

そういう意味では思考のコントロールというのも重要になってくるわけだけど、「目的意識」とか「価値観」みたいなものはそういう時に使われる、つまり思考があらぬ方向に行ってしまいそうになるときにブレーキをかけたり「やばい」という感覚をもったりして、進もうとしていた方向に戻すために一つの大きな止める力になるし、あまり良くない意味で思考が止まりかけた時に自分を励まして動かすために働かせられるものでもある。

こういう思考の枠組に全くハマらない人、というのもいるわけで、そういう人はある意味天才なんだろうと思う。ただそういう「自由な思考」というのは誰にでもある程度はあるもので、日常で生活していても小説を読んだり普段と違う刺激を受けて自分がこんなことを考えるんだ、と驚くような思考が出てきたりすることは珍しくないと思う。

日常生活というのは継続性が重要なので思考があまり変な方向に外れると戻すのが大変だから、ある程度の休みというか「羽を伸ばせる」時間がある時にそういう思考にじっくりハマってみるのも良いと思うのだが、最近は忙しいしそういう継続的な時間がなかなか取れないので思考の自由度が枯渇しているなと思う時もある。

ただ、ここ何年かあまりに忙しくて、また対処しなければならない物事がいくつもの面にわたり出てきていて、やるべきことについても考え方にしても整理してまとめる、みたいな指向性が強くあって、そういうこともあって「思考自体」についての考察がしやすくなっている、ということもあるのかな、という気はした。ノートを何十冊も作ってそれぞれのことについて書いて整理しようとしているのだが、たくさんあるとそのノート自体がどこにあるのかとか、またこの内容はどこに書くべきなのか迷ったり、みたいなことも多い。

ただ「整理する」というのは結局は「思考を整理する」ということであるわけだし、整理する材料はほとんどは現実の世界にあるのでそれらについて「これはつまりなんだろう」「これはどういうことなんだろう」みたいに考えるようになってきていて、要はそういう思考が思考自体に及んできたからこういうことを書いているんだな、ということに気がついた。

まあだから結局は雑念対策というのは「思考を制御する」ことと「思考がヤバい方向に行ってるということを感知する」ということが重要になるんだろうと思うし、思考自体で思考を制御できないことというのは良くあるので、気分転換して思考を切り替える仕方とか、判断に迷った時にどういう道を選択するかの決め方を持っておくとか、あとは自分の思考をより鳥瞰的に見る「もう一人の自分」を持つとか、まあそういうことになるのかなと思う。

***

ウクライナ戦争からジョージアの政変、またシリアの政変(というか事実上「革命」か)、アゼルバイジャン機のロシアによる誤爆と大きなニュースが続いていたが、昨日は韓国でバードストライクによるとみられる大きな航空機事故があったり、北海道でトンネル事故があったりと世の中はいろいろ大変で、昨夜車を走らせていたら地元の駅にたくさんの車が停まっていて、おそらくは帰省客を迎えにきたのだと思うが、もうあっという間にそういうシーズンになったのだなと思う。

うち(実家)にも今日は妹と姪の夫婦が来ることになっていて、明日は母を含めかなりの人数になるしお正月の準備も進める必要はあるのだが、自分のやりたいことを見失わないようにしてそれはそれでやっていきながらお正月の交流もする、みたいなことを考えていたので思考の整理の仕方、みたいなことをなんとなく考えていた。

現実と触れるから思考が進む、というところは明らかにあるから、そういうものと対処していくことが自分の思考や執筆を進める面もある、ということは理解しておきたいところだなとは思う。

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