自分がやりたいことと気分転換は別のこと/表に出る立場と裏で支える立場、どちらをやりたいか

Posted at 24/12/29

12月29日(日)晴れ

12月もついに最終週。といっても三日しかなくて、水曜日には2025年の第1週。曜日の並びで今年は休みが連続し、今日から金曜日まで6日間は仕事がないのだが、実家で一人暮らしという状況なので母や兄弟、甥姪タチが来ると言うことで長期の休みだからといって羽を伸ばせる、と言う感じでもない。まあだから自分のやりたいことをやるとか気分転換をするというのはあえて人の都合を考えないでやらないとできないなと思うわけだが、最近は迎える方も大変なんだぞ、ということをあえてアピールするようにしている。あまりいいすぎるのもなんだなとは思うが、まあバランスだなと。

気をつけなければいけないのは、「自分がやりたいこと」と「気分転換」は別のことだ、ということ。これはわかってる人には当たり前のことなんだけど、普段「やらなければならないこと」をやっていると、というかやっている人にとっては、「自分がやりたいことをやること」が「気分転換」に感じられるのでついそこで根を詰めてしまって返って疲れる、ということもよくある気がする。「やらなければならないこと」をやっていても、「自分のやりたいことをやる時間」は必ず取って、それとは別に「気分転換」もやったほうがいい。

「気分転換」はむしろ体を使うこと、つまりいつもじっとしている人は運動とか体を動かして何かをやることがいいだろうし、いつも忙しい人は体を休めるのもいい。あるいは普段やってないことをするとか、行ってない場所に行く、新鮮な気持ちで何かに出会えるようにする、みたいなことがいいのだろうと思う。そうやって身体・精神系を活性化したり静めたりして「整える」のが気分転換としては一番いい気がする。私はサウナは行かないけど、「整う」とよく言われるのはそういう気分転換的な意味が大きいのではないかという気がする。

あと、「自分のやりたいこと」が何かよくわからない、自分がどういう人間かよくわからない、ということが起こる最大の理由、みたいなことを考えていたのだけど、それは自分が「やりたいことをどんどん、あるいはがむしゃらにやって自分自身が光り輝く人になる」ことをしたいか、そうではなく「その光り輝く人を支えて、あるいは演出したり売り出したりすること」の方がしたいか、つまりサブ的・軍師的・応援的なことをしたいか、という二つの狭間で迷う、ということがあるのではないかという気がする。

単純にリーダーとフォロワー、というのともまた違って、つまりは「表に出る人」と「裏で支える人」ということになるだろうか。

本来表に出たい人が裏に回ると不満が溜まりやすいし、本当にやりたいことはこれじゃないんじゃないか、と思いやすい感じがする。本来裏で支えたい人が表に出されてしまう、という例はあまり思い付かないがなくはないだろうけれども、それは「やりたいことがわからない」という形の悩みにはなりにくい気はする。

前者の方は、例えば漫画家と編集者の関係で、自分が漫画家になりたかった編集者は漫画家と話し合う際に「作品に自分の爪痕を残そうとする」からよくない、という漫画家の人の話を読んで、なるほどそうなんだろうなと思った。吾妻ひでおさんがチャンピオンで「二人と五人」を連載していたとき、「先輩」の哲学的セリフが面白いと私などは思っていたのだが、それは実は編集さんが勝手に書いていた、というのを知って驚いたことがあった。そんなことをやりたいなら自分が漫画家か小説家などになれば良いと思うのだが、裏方の方でチャンスを伺う、みたいな発想になったりするとそういうことが起こったりするのかなとは思った。

ただもちろん、「表に立つ」には表に立つなりの才能や覚悟みたいなものは必要なわけで、そういうものがない人に限って裏でぐちぐちいいがち、みたいなことはよくある。石破首相が毎日新聞のインタビューで「総理大臣は大臣の5倍・10倍はしんどい」と言っていて、何を今更、と思ってしまったわけだが、そういうしんどい総理大臣を裏で批判したり足を引っ張ったりしてきたのは誰なんだ、そして何故なんだ、と思ってしまうからだろう。

https://mainichi.jp/articles/20241228/k00/00m/010/149000c

そういう感想を正直だ、と肯定的に捉える向きもあるかもしれないが、トップに立つならそういう弱音は吐かないのも嗜みのうちの一つだ、ということもあるわけで、やはり常にポジティブな姿勢を見せる安倍さんが長期政権を担えたのも偶然ではないのだよなと改めて思うのだった。安倍さんも難病指定の持病を抱えていたし、常に政敵に攻撃されていて、最後には暗殺されてしまったわけだが、もちろん大変だったと思うがそれを感じさせないところが偉大さだったのだなと改めて思う。

まあ世の中の仕組みというのは当然ながら自分のしたいことが必ずできるようにはなってないから不満は常にあることは仕方がないと言えば仕方がないわけだけど、個人もまたより良い選択ができるようになることは必要だし、また社会の側もなるべく多くの適材適所が成り立つことが必要なわけで、その辺りがうまくできていけると良いなとは思うのだが。

まあこの辺のところはそんなに単純なものでもないので、また考えたら書いてみたいとは思う。


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