歴史を学ぶことの意味は、現代が特権的な特別な時代ではないことを知ることにある/雪と路面凍結
Posted at 24/12/14
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12月14日(土)雪のち晴れ
昨日は朝から作業場のあるアパートに植木の人が入り、お茶の用意などしたり。一方で午前中に母を病院に連れて行き、その際に年賀状の差し出しリストから母に一言書いてもらうものを待ち時間に確認したりなどしていた。まさに年末進行。植木が終わったら後は年賀状とお歳暮配りで大体例年の年末の仕事は終わるが、畑や林の草刈りや道を通れるようにしたりなどにも手をつけたいと思っているので、そういう仕事がなくなるわけでもない。
来週は大体の雑誌がそれこそ年末進行で合併号になり、発売されるのはジャンプとヤンジャンと週刊漫画Times、それに月刊誌のチャンピオンREDくらいかなと思うので、読めないまま溜まっている単行本やみないまま溜まっているアニメなども見られるといいなと思っている。
今朝は雪の予報、気温が低いかと思ったがそうでもなくて、昨夜寝る時に電気毛布のスイッチを入れて暖まったら消そうと思っていたのだが朝までそれで爆睡し、起きたら5時半だった。まあ疲れが出ているのだろうなとは思うが、やはり暖かい方がよく眠れるということはあるんだなと思う。
今朝は6時ごろ出かけて隣町にガソリンを入れに行ったが、スタンドは比較的空いていた。エネオスのアプリで7円引きのクーポンが出ていたのでそれを使ったのだが単価が174円でえ?と思ったのだが、割引なしだと181円だった。ガソリン高いなあ。まあ長野県は全国で一番高いことが多いにしても、この値段はちょっと。その後山の上まで走ってデイリーで塩パンを買ったのだが、外に出ると空が綺麗で、周りの家にも雪が積もっていた。実家のある街でそれは見なかったから、やはりこちらの方が標高が高いのだなと思う。
路面が濡れているところが水なのか氷なのかが分かりにくく、なるべくゆっくりとカーブを切ったが時々ABSが作動している時があり、スリップ仕掛かりが何回かあった。その時間はこちらでは路面温度が0度以上だったが隣町では0度以下という微妙な状況だったのだろう。国道に戻ったら大体大丈夫な感じになったが、こういうことでも冬を実感する。スタッドレスに替えてもこういう状況はどうにもならないことが多い。
***
歴史を学ぶのに現代から振り返って遡っていく方がいい、という意見についての議論があって、そういうことを言う人が時々いるけれどもなぜそんなことを思うのだろうなと言うことで少し気がついたことがあった。
私は、過去の時代から現代まで順番に学習することで現代という時代を相対的に見ることができるのが歴史学習の意味だと思う。現代という時代は特別の時代、特権的な時代ではない。人類が生きてきた中でたまたま現状こういう状態になっているのであって、将来はまた変わっていく。そういうことが通史を学ぶことで実感できる面はある。
また、私が最初に歴史に触れた小学生の頃は1970年代だったから、そこから50年経って歴史はさらに50年分積み重ねられ、過去の研究もそれだけ進んでいるから、歴史は少しずつ書き換えられているし、歴史の年表などは「自由主義圏と社会主義圏の平和共存」がラストのテーマだったりしたので、それが「特権的な現代」みたいな雰囲気だったけど、今では歴史過程の中の一部に過ぎなかったことが自明になっているわけで、現代であってもまたそれも変わっていく時代の一コマに過ぎない、というのが事実だと理解できているわけである。
ところが、現代から遡って過去を見ていくということは、まず現代の状況の評価から始まるわけで、それは現代の思想、特に左派的なポリコレ的な視点が絶対化されていることが往々にある。それも世界的な欧米諸国やアジア諸国、アフリカ諸国などにおける現状認識を踏まえてのものだったらまだいいが、特殊日本の左翼言論状況による現状評価が基準になって「歴史を見ていこう」などと考える視点になっている人が多いように思った。
つまり、左前になった会社がインチキコンサルの「現状の問題点を見て行きましょう!過去にある原因を探りましょう!それを替えたらOKですね!」みたいないい加減なものの見方を歴史にも適用しようとしているわけで、自分たちの都合の良い、自分たちの視点に関係のあることしか見えていないから、過去が極悪に見えたり全ての問題は家父長制だみたいな馬鹿馬鹿しいまでに短絡的なイデオロギーに縛られたものの見方しかできなくなるわけである。
そういうコンサルの会社再建が往々にして失敗するように、そうした歴史の見方で歴史を正しく認識できると思っている傲慢さはすぐに報いを受ける。アサド政権は無政府状態よりまし、みたいに言ってた人がアサド政権の想像を超えた非道さが明らかになったことに混乱し、現状を何も語れなくなるのと同じである。そんなことは北朝鮮による日本人拉致事件以来何度もあったことなのに、今判明している現状だけを絶対基準にして過去を見ようとするからおかしくなるのであって、物事の初めから見ていかなければ全然歴史など理解できないのである。
通史を学ぶということは、自分が理解できない時代のことを最初から理解していかなければならないということでもあるから、負担の大きいことであることは間違いない。しかしそれが学べなければ歴史を通じての理解などできない。だから最初は朧げながら歴史の全体像を掴むくらいに止まるし、より面白い時代には詳しくなってもより平穏な時代にはあまり関心が持てず、その時代について理解することが難しかったりなど、歴史理解についてムラが生じることはしかたがないことだろうと思う。
私自身にしても現代史だけでなく過去からずっとその時々に関心を何度も持ち直して歴史全体を少しでもより深くより立体的に理解して行きたいと思っているが、まだまだ道半ばだなと思うばかりである。50年学んでもなかなか全体像は掴めないしその間に状況も変化し新たな歴史が加わり、また歴史研究が深化して新たな学説が生まれ、また歴史全体を語る歴史理論も新たなものが出てきたり古い見方が捨てられて行ったりするのは、この50年の間だけでもずいぶんたくさんのことがあった。それらは同時代史学史的な関心も生み出すわけで、歴史の語り方、新たに加わった歴史理解などを見ていくだけでもある意味かなり面白い。
日本の史学界では毎年5月ごろ出る「史学雑誌」の「回顧と展望」を読んでいくだけでも国史・西洋史・東洋史の各分野別の研究動向は理解できるし、研究状況の問題点もまた見えてくるところはあるようには思う。
家族制度の問題にしても現状の各国によってその成り立ちの仕方が違うことはエマニュエル・トッドの研究などを読めば明らかで、まあ彼の研究の全てが正しいかどうかは別としてフェミニズムが教義的に悪魔化してきた家父長制にしても、各国において、また日本国内においてすらその成り立ちは様々なのだが、それらをまとめて悪魔化することで個々の問題点を見えなくするようなところがある。
現状理解というもの自体が過去の歴史的な経緯を知らなければ理解できないところもある以上、現代から遡って原因を探るというやり方だけでは限界があるのは明らかで、それを少しでも有効なものにするためにはインチキコンサルの原因探りのやり方とは別に会社の成り立ちの経緯やその時の経済状況やそれに適応していく過程、そして経済状況や国際状況の変化によって状況に適応できなくなっていった過程などを明らかにして初めてその会社の問題点の核心に少しは迫れるということだろうと思う。通史の重要性もそこにある。
現代の価値観から遡って過去を糾弾するのは歴史を学ぶことの意味を取り違えていて、単なる蛸壺的なイデオロギーにより染まるだけになりがちであり、そういう歴史の学び方は間違っていると思う、というのが今のところ、歴史研究に携わり歴史教育を生業にしてきた時代が長い私としての考え方だなと思う。
***
ついでにどういう歴史の学びかたが良いかを私なりにもう少し書いておくと、たとえば日本の起源を学ぶときに、旧石器時代から縄文時代、弥生時代と考古学的なところから古墳時代、飛鳥時代と学んでいく学校教育的なやり方の一方で、古事記・日本書紀の記述など過去の日本人が日本の歴史を考えたものをも並行して学んでいくのが良いと思う。歴史は現代の日本人たちだけのものだけではなく、過去の日本人も共有していたものだから、過去の日本人が日本の歴史をどういうものと考えていたかを知ることも日本を知ることだと思う。
これは聖書に書かれている歴史や二十四史などの内容が彼ら自身の歴史として捉えられてきたということを意味している。日本史では戦後古事記や日本書紀の記述は軽く扱われるようになってきたが、中国においては伝説的なものとされていた「夏」の歴史を再現しようという試みがなされていたり、また伝説に過ぎないとされていたトロイヤの遺跡を発掘したシュリーマンの例を挙げるまでもなく、古代を描いた史書に探索の根拠を求める試みは意味がないことではない。
そういうものをどれだけ読んでいるかが歴史理解において重みを持つことでもあるのだが、現代を絶対化するものの見方しかできないとそういうものを読む価値が理解できないし、結果軽薄な歴史観をのみ持つことになる。
まあ各時代についての歴史の見方についての自分なりの意見というものはまだいろいろあるし、また自分も永遠の勉強中ではあるので学ぶべきこともいくらでもあるのだが、まあそんな考えでいるということをとりあえず書いておきたいと思う。
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