左翼思想の一番悪いところ/学校教育の諸問題:角を矯めて牛を殺してきた戦後史/保守の立脚点とトランプ改革への期待/「日本の保守 源流から現代まで」の構想を得る

Posted at 24/12/12

12月12日(木)晴れ

今日は冷え込むという予想だったのでかなり気温が下がることを覚悟していたのだが、まあ実際に寒いのだが測候所のアメダスの気温を見ると4時50分でマイナス1.7度。天気.jpの最低気温予想はマイナス6度なのでまだこれから下がるということか、それともそれほどではないのか。と思っていたら予想がマイナス5度に変わっていた。他の予想ではマイナス4度というのもあるし、まあ1度単位での予想は難しいのだなと思う。最近は結構な精度で予報・予想が当たるのでどうも過剰に期待してしまうところはあるのだろう。実際、1度違うとかなり違う印象があるが、測候所の気温と自分のいる場所の気温も同じわけではないので、目安程度に考えておかないといけないなと思う。

昨日はネットで評価されていた「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をちゃんと読み始めたのだが、歴史的な記述が粗すぎて読んでいてちょっとこれはダメだと思った。それでも何か知見が得られるかと思って後ろの方を読んでみたが、著者たち・先人に対して上から目線の批判ばかりで、フェミニズムというかその元の左翼思想の一番悪い部分が出ている感じだった。本当に体調が悪くなってきたので読むのを中止したが、こういうものが売れているのはどういうことなんだろうと思う。

Twitterで部活の問題が取り上げられていたので部活の意義について常識的なことを書いていたら著名な人を含めてお二方にかなり食い下がられる議論になったので、この問題は夫婦別姓問題などと同じようにかなり感情的な議論の対象になっている、いわゆる地雷なのだなということにようやく気がついた。部活に様々な問題があるのは確かだが、日本の学校教育の中でそれなりの位置を占め、学校教育の維持に働くプラスの面もかなりあることは事実だと思っているので、中学や高校の部活を一律に廃止することになるとそのマイナスの影響も相当大きいだろうと思う。いわゆる「角を矯めて牛を殺す」ことになると思うのだが、いずれにしても議論は進行しているとともに緩やかに「地域化」の方向に進んでいるようではある。生徒の自発的な活動の可能性を損なわないような、より妥当な着地点に到達できると良いのだがと思う。

「無駄な公共事業!利権の温床!」みたいに叫んで建築・土木業が成り立たないように弱体化させてから災害が頻発し、「復興が遅い!能登は見捨てられてる!」みたいに言ってももう遅いというのと同様、10年も経てば「部活があればこんなことにはならなかったのに」と10代の荒れ方を嘆く声がもう今から聞こえてくる感じはする。薬物の更なる蔓延など、そういう面でも「先進国並み」になる可能性は十分にあるだろう。

まあ日大の運動部に見られるように運動部自体がそういう温床になっている学校があるせいで余計部活が自分自身の首を絞めているところもある。関係者も生徒・学生もよほど自覚を持たないと、部活は潰されていくばかりになるだろう。

***

結局いずれにしても、自分はやはり思想的にも体質的にも保守なんだなと思った。保守というものの基盤は常識的な理解や経験に基づく知見なので、フェミニズムとかポストモダンとか自分が関心のないこと、間違っていると思うことには全然関心がない。しかし実際のところ、世の中の特に左派インテリの人たちの頭の中はいまだに結構そういうものに占領されているということなのだろうとは思う。

そしてそれが学校教育や大学教育を通じてそれなりに再生産されているから、自分としては理解しにくい、受け入れにくい議論も大手を振ってまかり通っているのだろうなと思う。

自分としては学校教育・公教育体制というのは国民国家体制の基盤であるし、日本と日本人の安全と幸福のためには重要なものだと思っているから、自民党政権をはじめ教育を蔑ろにしてきたツケがいろいろな形で出ているということ自体は事実だと思う。問題意識の持ち方は左翼の人とおそらく逆方向なのだが、現状の学校教育に問題があること自体は否定できない。

稚内市の市職員募集が定員を満たさず再募集になっているということだが、稚内において市役所の職員というのはトップクラスの収入を得られる仕事なのだそうで、それでもなり手がないということは公務員いじめの行き着く先が今そういう形で現れているのだろうと思った。

教員採用の充足率の低さ、或いは倍率の低さも同じ部分がある問題だと思うのだけど、国民民主党の勢力慎重にみられるように、結局【現役世代】の味方をする政党がようやく現れたか、という感じなのだが自民公明がいまだに彼らの要求を値切ろう、現役世代の負担を増やそうと術策を弄しているように、なかなか前途多難である。同様に教育現場を担う教員たちや災害時には一線に立って働く地方公務員たちの味方になって動く政党がなく、それらがどんどん先細りしているのが実態なのだろうと思う。

教員の部活の負担軽減というのは重要なことではあるが、現状の教員の負担の中では一つのファクターに過ぎない。学校教育というものに対する国民の見方の変化というもの自体がモンスターペアレント問題などの形で教員に降りかかってきている面も大きい。ここにもまた格差拡大の問題が含まれていて、上位層・富裕層に自分たちの都合を押し付けて顧みないし、下位層は学校教育自体に期待を持たなくなって勉強させることに否定的になりつつある。

これは教育が個人の利益の問題だと考えられるようになってしまったからで、近代国家における教育というのは本来そういうものではなく、社会の中で個人が生きられる能力を身につけるとともに、教育と教養に基づく国民による安定した社会を作り出し、またその社会を維持し発展させる有為な人材を育てることが目的であるから、個人や家庭の利益にのみ焦点が充てられている現状の教育論議は非常に歪だと思う。

学校教育における部活動というものは戦後盛んになったもので、ある意味教育におけるビルトインスタビライザーみたいなところがあり、学習に関心が持ちにくい層にも学校に通う意思を持てるようにするための仕組みの一つとして働いているところはある。そこに教員にのみ責任を持たせるようにしたことが問題の焦点だったのだが、これは学校に教員以外の人を配置することに強く反対してきた左派系の教員組合の問題が大きいと思う。

学校の問題というのは日本において基本的にすべての人々が関係しているものだから誰でも意見を言いやすいものでもあり、そういうこともまた現場の教員を疲弊させる原因の一つであるのだけど、誰も彼も自分の観点からの問題を指摘してその解決がなされれば万々歳、みたいに考えている人が多くてどうにかならないものかと思う。部活問題もどうもそういう方向に行きそうであまり面白い結果にならなそうで困るのだが、こういうのも日本人の個人主義志向がもたらした一つの帰結ではあるのだろうなとは思う。

日本人は現場主義でそれでなんとかしてきた面があり、それこそが源氏物語や大和物語でも出てきた「漢才」に対する「やまとごころ」「やまとだましい」であったのだけど、現代の病理の一つはそうした「現場に立脚した問題解決の力が衰えてきていること」で、フェミニズムにしろ何にしろデカルト的な設計主義が猖獗を極めていて、しかもその設計がいい加減なコンサルの手によって現場を改悪して潰していくパターンが自治体にも会社にもよくみられる。

もちろん学校教育のような人為による制度は当初の設計思想はあるわけで、それ自体を見直していくことは必要なのだけど、その見直しの思想が左派的なものに占拠されていることが日本の弱体化の大きな原因にはなっているだろう。まあこれは日本に限ったことではないのだけど。

トランプ改革というものはそこに根本的な見直しを迫るものであり、特に副大統領にヴァンスを起用したことで製造業や農業など国を支える根幹の産業への梃入れ、またヴァンス自身が底辺の白人保守層、ヒルビリーとかレッドネックと言われる人たちの中から出てきた人であるので、強い問題意識を持って様々な改革に取り組んでくれるだろうという期待はある。

その中で韓国の大統領選をめぐる混乱や、日本の中道左翼的な方向性への転換は、東アジアの不安定化に対して大きな懸念材料ではある。日本人は自信を持て、というのはここ数十年言われ続けてきたことであるけれども、まだまともな自己肯定感がなく、劣等感に由来する優越感、なんというか不健全な状態にまた落ち込んできているのは残念なことだなと思う。

昨日あったいろいろなことを通じて、やはりしっかりした保守思想を構築し啓蒙していかないと本当に危ないなと改めて思ったし、左翼思想の社会のかなりの層への食い込み方にも改めて脅威を感じた。それに対抗する思想を作っていくことは自分のやりたいことでは必ずしもないのだが、やるべきことではある、とは改めて思った。

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上は6時前に書いたのだが、車を運転して資源物を出しに行くついでにセブンイレブンまで車を走らせてヤングジャンプとブルーマウンテンを買った。車の中で保守というものについてどう書くかという構想を考えていて、「日本の保守 源流から現代まで」というタイトルを思いつき、内容を少しずつ詰めて行った。

基本的に、右翼と保守を分けて論述するところがポイントになるかと思う。日本の保守思想は右翼思想とはまた違う、これはもちろんイギリスの保守主義も右翼とは違うし、アメリカのコンサバティブも宗教右翼や人種主義の右翼とはまた違う。そこを意図的に混同するのが左翼の議論なので、そこを分けて記述していくことがポイントではないかと思った。また日本の保守の弱さ、西部邁さんや福田和也さんの思想の弱さは、ヨーロッパ思想に立脚して日本の独自の保守思想についての研究がないところにあるのではないかと思ったので、その辺についても書きたいと思う。

まあこういう構想を得られただけでも議論した価値はあったのだろうと思う。

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