トルコからシリアへ難民帰国の車列が続く/シリアの明るい明日を祈念したい/身体を整える

Posted at 24/12/09

12月9日(月)晴れ

今朝は冷え込んだ。最低気温はマイナス4.7度なので予想として出ていた気温の最も低いものよりは高いのだけど、やはりそれなりに寒く、寝室や寝床の状況も起き抜けはかなり寒かった。少し暖かくする工夫はしてみたのだが、さて今夜はどうなるか。

昨日は基本的にゆっくり過ごして、だいぶ疲れは取れたとは思うのだが、今朝起きた時に気がついたのは息を深くしないと、ということだった。いろいろと身体の不都合が来るのはどうも上半身の力が抜けない感じになってるからで、なんでも頭で考えて済ませようというもともとある自分の傾向がそういうものをもたらしがちなのだよなと思う。身体を整えつついろいろなことをやっていかないとなと思う。

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https://x.com/LeilaShami/status/1865806625950281886

トルコから帰国するシリア難民の人たちの車列を見ていると、本当にアサド独裁政権は終わったのだなと思う。まだまだ大変なことは多いと思うが、苦労した人たちが安定した暮らしを取り戻せると良いなと思う。

アサド政権にとって変わったHTSはアルカイダ系の組織と考えられてきたが、いろいろ読んでいるとシリアでアサド政権を打倒するために戦ってきた組織であり、イスラム国と距離を置くためにアルカイダの下部組織という形を取ったが、現在では関係がなくなっている、という見解が一番打倒なのではないかと思う。

ダマスカスのイラン大使館が襲撃されたらしく、それはある意味仕方のないことなのだろうとは思うが、なるべく穏便に話が進むと良いなと思う。

https://x.com/mintelworld/status/1865693049952534700

アサド政権を倒した後、HTSはシリア東部のクルド人勢力との戦いに入る感じだが、これはアメリカが支援しているということもあり、どこかで妥協することになるのではないかと観測しているが、シリアの統一を維持するということにどこまでこだわるかが焦点になるかもしれない。この辺はどちらがいいとも言えないが、HTSの後押しをするトルコとしては限りなくクルド勢力は小さくしたいと思っているだろうとは思う。日本人としては日本に来ているクルド人のトルコでの安定した暮らしを実現させて日本からは帰ってもらいたいと思うわけだけれども。

https://x.com/ELINTNews/status/1865716637963309066

またイスラエルがシリア全土にあるアサド政権側の武器弾薬や化学兵器の武器庫とされているところを空爆しているようだ。今まではロシアとバランスをとっていたから自重していたが、それらの兵器が「テロリスト(とイスラエル側が見なす人々)」の手に渡らないように、というのが大義名分のようだけど、基本的には酷いものだなと思う。他国を爆撃するのが当たり前になっている国というのはどこか異常なことは間違いない。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241209/k10014662111000.html

12月9日朝の時点での最新情勢が上の記事ではよくまとまっていると思う。各国のスタンス、一番積極的な関与の姿勢を示しているのはトルコで、今後はHTSを中心にトルコの連合政府を作り、トルコがその保護者というスタイルをしばらく続けるのが良いのではないかと思う。クルド人勢力の支配地域に関しては、ユーフラテス川あたりのシリア人(アラブ人)地域までは少なくとも新政府側に置きたいだろうし、それより東に関しては当事者やアメリカ・トルコとの間の話次第という感じがする。一定の領域はクルド自治政府的なものにするのが妥当な気はしなくはないが、トルコは支持はしないだろうなあとは思う。

問題は、HTSがいまだに国連によってテロ組織に指定されていることで、これは速やかに解除しないと実態に合わないようになるだろう。アフガニスタンのタリバンに比べれば復古色は全然ないし、指導者層からも意識的に復古主義・原理主義の勢力は切られているような感じがする。国連や国際社会がきちんと対応できる政権勢力としてみなせるようにする必要はあるだろうと思う。彼らもそれを意識して自重した行動をとっているように思われる。

https://x.com/soga_taichi/status/1865733516715229504

シリアという国は、地域の小国のように見えるけれども、「歴史的シリア」と呼ばれる領域を考えると、中東でも最も枢要な地域だということは重要なことだと思う。

ダマスカスは「シリア・アラブ共和国」の首都であるだけではない。パレスチナ、レバノン、ヨルダンまで含んだ「歴史的シリアの中心」であり、聖書にも出てくる古い街の一つだ。ウマイヤ朝時代はカリフ国の首都であり、アラブ・イスラム世界全体の中心だった。

その後も中東の覇者は必ずここを抑えていた。長い間オスマン帝国に支配されていたが、第一次世界大戦後にトルコ領が英仏に分割され、シリア・レバノンはフランス領になった。エジプト・サウジアラビアが独立した後もフランス領にとどめられていたから、中東世界で遅れをとることになったのがシリアにとっての悲劇だったのだと思うのだが、それだけ英仏帝国主義もこの歴史的シリアに固執したということなのだと思う。イギリスの妄執が現代のパレスチナ・イスラエル紛争の淵源となり、フランスの妄執がレバノン・シリアの不安定化の淵源になったと言えるだろう。

イランによる影響力が低下した現在、イスラエルの力が突出している感があるが、シリアが通常の民主政権に復帰したら、イスラエルもバランス外交に戻らざるを得ないだろう。そういう意味でもシリアの安定化はこの地域の安定の肝になるように思われる。

シリアの明るい明日を祈念したい。

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