「ふつうの軽音部」の誕パ回を読んでケーキを食べた/noteをどう生かすか/昔集めたレコードを今楽しむ/マンガの好みの変化と若者の「自由」観の変化

Posted at 24/12/23

12月23日(月)晴れ

昨日は10時半の特急で帰京。新宿に12時40分ごろ着き、湘南新宿ラインと山手線を乗り継いで品川へ。弟に会って受け取るものを受け取り、そのまま東京駅に出る。丸善丸の内本店で少し本を見、梶原麻衣子「右翼雑誌の舞台裏」(星海社新書、2024)を買った。こんな面白そうな本はどこに出も売ってるかと思ったがなかなか見つからない。やはり出版社のブランドの力なのだろうか。

しかし買ってみてぱらぱら読んでみて、自分は特に現代右翼、いわゆるネトウヨに興味があるわけなんじゃない、ということにすぐ気が付いた。自分は保守なんであってネトウヨではないんだなと改めて思ったのだが、ただこのあたり切り分けておかないと他の人にはなかなか分かりにくいことだよなとも思う。時間をつくって読んでみたいと思う。「ふつうの軽音部」でハトノの誕パの回を読んだ後でケーキを食べたくなったので、帰りにシャトレーゼで買って帰った。

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家に帰ってきて、少しゆっくりしてケーキを食べたりしていたらもう暗くなってきて、どこかに出かけようと思って外に出たが風が冷たいので、電車で出かけることはやめにした。結局アリオまで歩いて夕食の買い物と、ユニクロに行ってベルトを買った。日曜の夕方はショッピングモールは当然ながら混雑するな。最近あまりレジの行列を作ったことがなかったので、人が多いというのはこういうことだなと思った。

日曜の午後のアリオを見ていて思うのは、普段の日や西友やイキイキの客層と違って年齢層が若い、いわゆる江東ニューファミリー(死語)とでもいうか、小学生以下の子どもを連れた家族連れが多いなということ。このあたりは小名木川駅周辺の再開発などもあって新しいマンションがいくつも建っている、ということもあるんだろう。昨日のアリオは下町江東区というよりたまプラとか西の方の新興住宅地の雰囲気を感じた。

帰ってきたらもうご飯が炊けていて、買ってきたものを中心に夕食を済ませた。昨日は何となく気持ちが充実していたのでよかった。

朝起きてからふといろいろ考えて、文章の書き方などについて書きとめ始めたらあっという間にノート16ページ分も書いてしまった。この辺もなるべく早めにまとめて発表したいのだが、どういう形で出すのがベストだろうか。最近、noteもうまく使えばいろいろ発展性があるということが分かり始めたのでその辺を生かそうとは思っているのだが、いずれにしても形のある書籍にしたいという欲望もあり、私の書くものの範囲でどういうものが一番需要があるのか、ということも考えて行きたいと思う。

***

夜、ご飯を食べながら何となく棚から取り出してかけた「決定盤 中世ルネサンスの音楽第14集 ルネサンスの精華(2)フランス、ブルゴーニュ、イタリア」(キングレコード、1975)を聞いていたのだが、これがすごくよかった。このシリーズの他のレコードも聴きたいと思ってググったら2011年に書かれた個人サイトを見つけたのだが、連絡先に指定されているBBSがTeacupのもので、すでに連絡が取れなくなっている。

こういう遺跡のようなサイトは貴重だなと思うのだが、まだ残っているということは契約は解除されていないということなのでどこかでは活動されているのだろうか、と思って少し探してみたのだが分らなかった。

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昨日帰京する特急の中や歩いている間はずっとiPhoneに作った「ふつうの軽音部リスト」を再生して聞いていたのだが、昨日の夕食後はこのルネサンス音楽のレコードをヘビロテで聞いている。思考の邪魔をしないのが何よりいい。

私はこの手の古楽系のレコードに若いころ凝っていた時期があって、何枚か買っているのだが、しばらくずっと聴かなくなっていた。ここ数年、車の中で朝のFMで「古楽の楽しみ」を聴くようになってから自分の知識も少しずつ増えているから、ということもあるのかもしれないが、なんだか自然に聞けるようになっているなと思う。若いころ集めたレパートリー、というかコレクションを年を取ってから楽しむ、というのもまたある意味乙なものではあるなと思う。

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ただ、自分の中でもマンガの好みは最近変わってきたな、ということを感じる。昔は80年代ニューウェーブ的な、ちょっと「おっ」と思うような気の利いた視点やセンスのある作品が好きだったのだが、最近はどちらかというと心に来る作品の方が読む気がする。その典型が「ふつうの軽音部」で、もちろんそれでも「おっ」と思うところはそういう作品でもあるのだが、おっと思う内容というか来かたが当時とは違う感じがする。知的で批評的な感動から批評性を含んだ共感的感動への変化というか。自分の中でもそういうものが面白くなってきたのは、若者向けのマンガだけでなく少年マンガも読み続けるようになったからかもしれない。

それはおそらく、80年代とは若者のあり方が変わってきていて、そこへの共感が自分の中でも出てきているからなのだろうと思う。表面的には自分のセンスを誇示したいようなところは変わらないと言えば変わらないのだと思うけど、今の子は何というかもっと実直な感じがする。それはフリーターという言葉の語感の変化でもあって、で出したころはフリーターというのは「自由な生き方」だったのが、現在では「安定しない生き方」の象徴になっている。逆に言えば、昔のフリーターは「望んで選んだ生き方」だったのが、今では「望ましくないがやむを得ない生き方」になってしまっているからだだろう。

その時代に生きた人たちが、いまだにそういう意味での「自由」を追い求めて生きている感じはある。ただ、それがリベラルという言葉に絡め取られて、狭量な市民運動に動員されがちになっているというのはある種の迷走だろう。若者はそういうのをシビアな目で見ているが、彼らが何に囚われてそうなっているのかが分からないと的確な批判は難しいかもしれない。そういう囚われを理解できなくなっているのが世代間の断絶というものなのだろうと思うが。

今の若者の生き方は、なるべく早めに生き方を限定し、その中で最大限の効果を上げるコスパの良い生き方を追求しているように見えるが、それゆえに早くに限定されてしまい刈取り残した分野の豊饒さに目が行きにくくなっているのはもったいないなとは思う。逆に言えばふとそういうものに目のいった人が面白さに気づいてそれに熱中し、今の若者の堅実さでそれを実らせて成果を上げている例も多いように思う。何がよくて何がよくないのかは難しいところだが、お互いにその良さを見つけあっていくことで日本人が築いてきた遺産を生かし、さらに今後の発展につなげることもできていくのではないかと思うので、心掛けて行きたいしそのように呼びかけても行きたいと思う。

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