「ふつうの軽音部」49話:疎外感に苦しみ「私が悪い」と考えることで自分を守ること:「「ふつう」に潜むドラマの面白さ」と「生きることを支えるロック」/歌舞伎とか鰤に生姜とか「このマンガがすごい!2025」とか

Posted at 24/12/15

12月15日(日)晴れ

昨日は書くのを忘れたが赤穂浪士のうち入りの日だった。毎年暮れになると昔は忠臣蔵をやったものだが、最近はどうなんだろうか。歌舞伎座の12月は天守物語がメインだろうか。玉三郎、獅童、団子というメンツ。玉三郎丈もお元気そうでいいし、香川照之さんが歌舞伎に戻って息子に歌舞伎の道に進ませたのも沢瀉屋全体にとってとってよかったなという感じ。まあ四世猿之助があんなことになるとは思わなかったということはあるのだが。

昨日は午前中、書店へ行って歳時記のカレンダーを買ったり「このマンガがすごい!2025」を買ったりして食料品などの買い物もして帰ってきた。お昼に久しぶりに鰤の刺身を食べたのだが、わさびが無かったので生姜を使ったのだが思ったより美味しくて驚いた。他の刺身でもわさび以外の薬味を使ってみるというてもあるなと思ったり。

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「このマンガがすごい!」は「ふつうの軽音部」の記事を読もうと思って買ったのだが、基本的に1位の作品には長い作者インタビューがあるけど2位の作品にはなくて、ちょっと残念だった。このマンガがすごい!は「2011」から、つまり2010年の暮れから読んでいるのだけど、このときに1位だったのが「進撃の巨人」で、この頃から現在進行形に連載されているマンガを読むようになった大きなきっかけになったので、この本は信頼しているところがある。最近でも「海が走るエンドロール」や「天幕のジャードゥーガル」などこの本で出会わなかったら出会ってない作品というのはいくつもあるので、その点ではいいのだが、何しろ今年はこちらの気持ちが「ふつうの軽音部」に全振りしているのでちょっと物足りなかった、という感じになっていた。

後ろの方まで読んで、どういう人がどの作品を推しているのか、というのを仔細に、と言っても誰が「ふつうの軽音部」を推しているのか、というのを見ていくと、

旭屋書店なんばCity店
わんだ~らんどなんば店

大阪の書店が二軒推していて、やはり地域性というのはあるよなと思った。高校ものというのは現実には地元があることが多く、「ハイキュー!」は宮城だし、「おおきく振りかぶって」は埼玉。「正反対な君と僕」は東京横浜の西郊という感じ。大阪の具体的な地名が出てくる「ふつうの軽音部」は関東の人間にとっては土地勘がないけれども、コメント欄などを見ていても大阪の人たちが地元感のあるコメントをしていて面白いなと思う。長居公園には弾き語りをするはとっちの銅像を立ててくれたら見にいく。

その他吉川きっちょむさんなど対談などで拝聴したりした人の名前が上がっていて、なんというか全ての人にこの作品の面白さが浸透しているわけではないんだな、ということを感じた。

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この作品の良さというのは、毎日生きている日常の中にちょっとしたドラマがあって、それがとても面白いというところ、そこに人生を左右するようなことが起こっているということにとても敏感であるところで、私は基本的にそういうものがすごく好きなんだなと思った。それにしても実際最初の7話までは本当にどこにでもありそうな陰キャの子が頑張ってギターを買って軽音部に入り、なんとなく言われるがままに組んだバンドでオーディションに落ちて、と取り立てて何も起こらなそうなことが続いていて、ここまでで読むのをやめる人が出るのはわからなくはない、という感じではあった。

ただ私はそういうなんの取り止めもない話が絶妙の間合いと高校生活の日常に挑戦していく主人公が描かれているだけで十分面白く感じていたから、この作品の基底の部分をすでに面白がっていたのだろうと思う。

後になってわかることだが、物語の中で結構重要になってくる「たまき先輩」と親しくなる場面が読み返してみるととてもよく、ちひろが言ってることはオタクそのもののセリフなのだが、「先輩と仲良くなる」という初めての経験をしたことでそこから影響を受けて前向きに頑張っていくようになり、でも実力と意欲の差みたいなものに最初は無自覚だった、というのもありそうな話なのだった。

8話で主人公鳩野ちひろが誰もいないステージで適当にギターをかき鳴らしながらandymoriを一人で熱唱してたところに同じバンドの幸山厘が入ってきてそれを目撃することで事態は急展開。「鳩ちゃんはただものではない」と思っていた厘はこれを聞くことで自分の考えを確信し、一気に鳩野をボーカルにしたバンド結成に暗躍することになる・・・

わけだが、その間に様々な軽音部にありがちな恋愛模様と破局が展開し、厘はそれを利用してメンバーを集めていく。憧れのたまき先輩にサポートしてもらってステージに立つものの大失敗に終わる。

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「ふつう」でないところは、そこで落ち込んだちひろが「本当はギターボーカルをやりたかった」ことを自分に認めて、でもその期待を自分は裏切ってしまったから、自分で恥ずかしくない演奏ができるように、毎日長居公園(作中では永井公園)で弾き語り修行をする、というところなのだが、しかし高校生というのはそういう思い込みで行動するもので、そういう意味でも特別ではない、というのもまたいい。「特別」な「特別でなさ」。その微妙な間合いみたいなものを見極めていく作劇がやはりこの作品の真骨頂なのだと思う。

つまり、「ふつう」の人であっても、当を得た努力をしたら「すごい」と言われるくらいのことはできるようになる、というふつうの、当たり前の、でもすごい真実をそこで書いているのだよなと思う。

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今日は日曜日で、午前0時にこの作品が更新されて49話「自分のことを知る」が公開されのだが、前半は鳩野の練習風景。プロトコルとの「勝負」で賭けている「好きなことを一つ質問できる」ということに関して考えているうちに例によって思考が迷走しそうになるが、「自分が聞きたいこと」を一つ思いついて、また練習に戻るという展開がいいなと思った。目標がはっきりしていると思考が「止めどなくは」迷走しなくなる。文化祭の後夜祭の大トリを取る、という目標ができて、ハロウィンライブでプロトコルに勝つ、少なくとも勝負の判定をしてくれる「たまき先輩にぶざまなライブは見せられないぞ」と考える鳩野はとてもいいなと思った。

中盤で、プロトコルの鷹見に振られて軽音部を辞めた乃木舞伽と舞伽のあと鷹見と付き合ってやはり振られ、軽音部を止めようとしたけど鳩野たちにバンドに誘われ、鳩野の歌をきいて参加した藤井彩目がすれ違う場面があるのだが、お互いに無視した形ですれ違う場面が迫力があった。

舞伽は同じバンドだった内田桃と軽音部をやめる際に感情の行き違いがあって絶交状態になっていたのを同じバンドの大道優希の仲立ちで仲直りする、その場に行くために歩いていた。桃は舞伽がやめてバンドが解散した後、やはり鳩野の歌を聞いて鳩野と厘のバンドに加わっていたのだが、実は彩目が小学校の時に友達だったことが判明し、彩目が軽音部をやめるのを引き止めてその後一緒に活動している。

舞伽が向かったその教室では桃がプロトコルとの勝負の話を大道にしていて、大道は「私とか他のバンドは一切眼中にないって感じやから鳩野ちゃんは認められててすごいなあ・・・」と言っていて、文化祭後の鳩野たちのバンド、「はーとぶれいく」の軽音部内での立ち位置の変化が感じられる挿入が上手いと思った。

そして舞伽が教室に入ってきて、仲直りの話をするのだが、桃と舞伽はお互いに自分の発言を謝罪しあい、大道は「この件はこれで終わりにしよ?」というが、舞伽は「藤井さんと仲良くやってる桃とは昔みたいな関係で遊んだりすることはできへん」と言い、「おかしいのは私の方やってわかってるけど!なんで桃と藤井さんが一緒のバンドなんって・・・そんなの桃の勝手やのに嫌な気持ちになって!」という。

それを聞いた桃は呆然とする。というのは、桃は自分がおそらくアセクシュアル(恋愛ないし性的関係を持つことを受け入れられない)であることを自覚していて、優希や舞伽が彼氏の話をすることに疎外感を感じているのだが、その舞伽の自分と彩目の関係に対する割り切れない思いに「舞伽と私は 同じだ」と呆然としてしまったのである。

ここは、本当にすごい。「「自分がおかしい(悪い)」からと結論づけて「これ以上傷つかないように自分を守っていた」」ことが「舞伽と私は同じだ」と気が付いて、舞伽に何も言えなくなってしまったわけである。

この辺りは、コメント欄を見ていても「なぜ40を超えた男がJKの心の機微がわかるのか。凄すぎる」と話題で持ちきりの部分だったのだが、正直私もこういう心の動きというのは自分ではよくわからないところはある。

「私が悪いんだよね!わかったわよ!」ということは自分も言われたことがあるからそういうことがあるということは分かっていても、「そんなこと言ってないだろ!」みたいになる方で、まあこういうところはおそらく永遠に理解し合えない男と女の溝なんじゃないか、くらいに思っていたことなのだけど、それをちゃんと作品化できるほどに理解できているというところは確かに原作のクワハリさんはすごいなと思った。

昨日たまたま書店に本を買いに行ったときに車の中でラジオを聞いていたら長谷川きよしの「黒の舟唄」がかかっていて、「男と女の間には確かに暗くて深い皮があるよなあ」と思っていた。まあその時は「その皮の水を煮詰めて悪意を振りかけるとフェミニズムになるんだよな」などとしょうもないことを考えていたのだが、ちゃんとその川を渡って「私が悪い」ということに立てこもって「これ以上傷つかないように自分を守る」心理が理解できているところが並の作品ではないのだよなと改めて思った。

大道はショックを受けている桃を慰めてずっと話を聞いているのだが、「全部私のせいだ・・・自分がスッキリしたいから無理やり桃と舞伽を合わせるようなことをして」と彼女自身も自分の「お節介」を「自分がいい顔しようとでしゃばって人を傷つけて、私が一番最低なやつだ・・・」反省するのだが、桃は優希に、優希が彩目に鳩野の歌を聞きに行くように(お節介にも)促してくれたことで彩目が部活を辞めずに自分たちと一緒にバンドを組めたことを感謝してる、「あやめと一緒にはーとぶれいくを結成したことは何も後悔していないから」と泣き腫らした笑顔で答えて、優希も救われた顔になるところも良かった。

実際、大道優希の行動や反省は自分でも理解できるので、この辺りの桃の発言には本当に救われただろうなと思う。

そして練習から戻ってきた三人と合流することでいつもの日常が戻ってきた、という感じになるのが良かった。

何が正しくて何が間違っていたのかわからないし、昔のままの関係ではいられなくなってみんな深く傷ついてしまったけれども、自分がやっていたことに桃は気づくし、舞伽の気持ちも理解した上で自分は鳩野や彩目たちとバンドをやっていくんだ、というところに戻ってこれたのは良かったなあと思う。

簡単に言えば青春のほろ苦さ、みたいな話なのだけど、私も多くの読者もコメント欄の反応を見ると仲直りするだろうと思っていたのがいい意味で裏切られて、「そうなってしまうリアルさ」みたいなものに感嘆している人が多かった。

この作品が面白いところ、この作品の最大の魅力の一つはこういう「いい意味で読者の予想を裏切る」ところで、それもある種の王道パターンではなく、「王道ではこうなるけどリアルは言われてみたらこうだよね」みたいな方向に動くところにとても説得力がある。そこにみんな感心させられるのだろうと思う。

もう一つは、性的少数者である桃が「自分が傷つくのは自分が理解されないから」という気持ちになっていたのに、「舞伽も自分と同じ傷つき方をしているんだ」ということを理解したということで、それにショックを受けつつも「自分は特別じゃない、「ふつう」なんだ」という意識を獲得したことにあるんじゃないかという気がした。

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作中、同じ世界における人間としての意識、みたいなものが桃には欠けているところがあるんじゃないか、ということを感じていて、それは小学生の時の彩目に対する態度とか、恋愛に憧れる気持ちが理解できない疎外感、性的少数者であることを自覚した意識、そういう存在だからこそ友人関係の基本を優希と舞伽に依存してきて、それを乗り越えるために鳩野たちにも声をかけたり「空回り」したりした、というあたりなのだけど、性的少数者がその「自意識」をガツンとやられて「同じなんだ」という認識に至る、というのはあまり読んだことがなくて、この辺もすごくいいなと思ったのだった。

これは過去回に出てきたたまき先輩の「憧れの先生(同性)」への想いを、サウンドコアのイヤホンを身につけてロックを聴くことで振り切って、苦手意識があった男の同級生たちと自分のやりたいロックに取り組めるようになった展開と同じものを感じることができた。性的少数者を崇めるでもなく腐すでもなくふつうの人間として捉えていて、その壁と挫折を乗り越えて前に進む力を得るところがとても唸らされた。それを乗り越える手段がロックなのが、この作品を成り立たせていてとてもいいなと思う。

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うーんまあ、結局「ふつうの軽音部」はすごいですよ、という話にしかならないのだけど、とても良かったです。

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シリア情勢、なんとかHTSが主導してダマスカス周辺は落ち着かせているという状況の中で、アサド政権に対するいろいろな話が出てきていてそれも興味深いのだが、またその辺りは改めて書こうと思う。


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