クリスマスとウクライナ戦線の北朝鮮兵士/トルコ支配下の北アフリカとリビア/「この漫画を読め!」第2位に「ふつうの軽音部」が/呉智英「追悼 楳図かずお 天才の闇に棲むもの」

Posted at 24/12/25

12月25日(水)晴れ

昨日はクリスマスイブだったが通常通り仕事。今日はクリスマスだが平常通り。今日や洋菓子屋が少しは空くだろうからお歳暮のお菓子を買いに行くのも行きやすいか。いつもクリスマスをこういうことに計算から外してしまうのだけど、まあもっと早くにやればいいのだが他の仕事が忙しくてそこまで手が回っていないということではある。まあお歳暮もある意味仁義を切るみたいなものでもあるし、やるべきことはちゃんとやっておこうと思う。

ウクライナ戦線に北朝鮮兵士が送られた、というのはニュースで知っていたが、そこで戦死した北朝鮮兵の手記が見つかったようだ。どうやら本物らしい、朝鮮語話者が見て違和感のないもののようである。彼らはどのように言われてここまでやってきたのか、なんのために戦い、なんのために命を落としたのか、考えさせられる。そういうことの落差を感じるのは、今日がクリスマスだからなのだろうと思う。昨日の話ではないのだけど、繋がってしまう。

https://x.com/seobi_0326/status/1871563556531114452

こういうものを見ると思い出すのは、やはり第一次世界大戦後に書かれ、映画化もされた「西部戦線異常なし」だろう。

https://eiga.com/movie/46101/

あの蝶の場面は印象的なのだが、平和を求める心が狙い撃ちされる、というアイロニーが悲しく印象に残る。この映画がとられたのは1930年だが、その後も繰り返し戦争は起こっているけれども、ウクライナ戦争における北朝鮮兵士の従軍というのはやはりいろいろと考えさせられるものがある。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という安西冬衛の詩を思い出すが、まあセンチメンタリズムに溺れていても平和は訪れないので、積極的に平和を祈ることもまたまずは必要なのだろう。

***

たまたまTwitterで見た1875年のトルコ帝国の地図が印象に残った。

https://x.com/theepicmap/status/1871215592952283137

トルコとの国境はヨーロッパ側とかロシアやペルシア、またフランスの植民地になったアルジェリアとの境界などは比較的わかるが、アフリカ内陸部やアラビア半島の特に砂漠地帯などは自分の認識とは違う領域に色がついていて、さてその実態はどんなものだったのだろうと思う。

エジプト西部・リビア東部からチャド湖の方まで伸びている地帯に「サヌーシー教団」とあるので調べてみると、これは現在のリビア東部・キレナイカ地方を中心に広がったスーフィー系の復古教団であるということがわかった。

その後リビアは青年トルコ党の革命で弾圧を受けたりイタリアの侵略を受けたりその教団の指導者の一人であるムハンマド・イドリースがキレナイカ首長国を作ったりして、1952年の独立の際には彼がリビア連合王国の国王となったが、1969年のカダフィによるクーデターによって追放されたとか、さまざまな歴史があることがわかった。

アフリカの歴史については勉強したいところがいろいろあって大変なのだが、北アフリカのトルコ治下だった地域の歴史ももっと知っていきたいものだなと思った。現在のシリア情勢を見てもそうだが、やはりトルコの厳然とした影響力というか圧力というものは中東地域全体に今でもあるのだよなと思う。またトルコの割と適当な支配下の時代には割と平穏だった地域がヨーロッパの侵略を受けてから紛争が絶えなくなったということもあるとは思う。

私は割とこの地域全体にトルコの影響力が強まると安定してくるのではないかというなんとなくの希望みたいなものがあるのだけど、もちろんそれをその地域の人々が、何よりトルコ自身が望んでいなければそうはならないだろうなとも思う。

私の記憶の中ではリビアの首都はトリポリとベンガジの両方で季節によって移動する、というものだったがこれは王政時代1952-1969の話で、カダフィが王政を廃止して以降はトリポリのみが首都になっていたということを知る。ということはこの知識は私が幼稚園か小一、あるいは後でその時期に刷られた地図を見ての知識だったのだなと思う。首都が二つあるというのは割と面白いなと思っていたので記憶に残っていたのだろう。

***

昨日は「フリースタイル」という雑誌で2024年の「この漫画を読め!」のベスト10が発表されていて、「ふつうの軽音部」は2位に入っていた。

https://x.com/comic_natalie/status/1871481048787525836

この雑誌が時限的に0円で読める、という企画があったのでKindle版をダウンロードしてみた。

https://amzn.to/3PilTcN

執筆人が割と渋い、というか私が昔読んでいた人たちが結構入っていたのでそうか今はこういう雑誌がこういう人たちの媒体になっているのか、と思った。

あげられている中では第1位が「痩せ我慢の説」という小説原作の漫画で、これは石原慎太郎「太陽の季節」に負けて芥川賞が取れなかった作品であるらしい。

https://to-ti.in/story/yasegaman01

これはリイド社のウェブ漫画誌「トーチ」の掲載作品だが、「「トーチ」はリイド社が運営するwebサイト上にある辺境の観光地です。「トーチ」のプロジェクトは『オルタナティヴな表現』と『自分たちの老後への道筋』を探し、光をあてる(発信する)ことを目的に始まりました。」とある。以前は割と多くあったオタク的でないオルタナティブ作品を発表する場として、構想されているのかなという気がする。

確か私の記憶では昨年の「このマンガがすごい!」でもここの作品は取り上げられていたように思う。私もなかなか時間がなくてこの辺りのサイトまでは巡回できていないのだが、こういう作品を読むことでマンガ表現というものの奥行きが見えてくることもあるなあと昨日この辺りのものを読んでいて思ったので、少し心がけられると良いなと思った。

それにしても、こうしたいわゆる「作家性の強い」作品群が並んでいる中で、「ふつうの軽音部」が2位に入ったということはすごいことだと思うし、逆にいえばこの作品の「作家性の強さ」みたいなものが評価されたところはあったのだろうなと思う。それが従来の作家性というものと結構違うものではあるにしても。

雑誌を読んで評価について読んでみても、「ふつうの軽音部」を評価しているのはいわゆる「マンガ評論家」の中にはあまり見当たらない。むしろ「マンガ読み」の人たちが支持しているという点で、従来の枠におさまらないものがあるから、こうしたランキングにも入ってきたのだろうと思う。

選評の座談会を読むと、編集者の人が「ただ最初は完全にマンガの絵が文字に負けていた。「NANA」を意識したのか最初のナレーションは回想調で、現在進行形になってからも文字量が多くて、人物や状況を紹介していくので精一杯な感じだった。」としているのだけど、まあなるほどと思ってこの文は読んだ。

https://shonenjumpplus.com/episode/16457717013869519536

ただ、私が読んだ時の印象はどちらかというと「絵日記」みたいな感じで、緊張感の高い「初めてのギターを買いに行く」「初めての高校」「初めての教室」というそれぞれのイベントが鳩野の心情の過剰なまでのモノローグで語られていくところが「緊張すると多弁になってしまう」オタク的で、こういうキャラなんだなというのの説明になっていたと思うから、「絵が文字に負けていた」という評価は一面的なんじゃないかとは思った。

ただ最近は、こういう媒体でも作品に対して否定的なニュアンスのコメントはあまりないから、逆にそう言われるとイヤそうじゃないだろとファン目線が働いてその良さを掘り起こして認識する、ということもあるので、読めてよかったとは思った。

https://amzn.to/3VQrT0j

またこの雑誌で久しぶりに呉智英さんのコメントを読んだが、相変わらず作品の好みが渋いなとは思った。やはり問題性のある作品を選んでいるのだなと思う。また、呉さんによる楳図かずおさんの追悼文が、楳図さんの作品の闇について触れているのもうーんと思わされた。私も吉祥寺周辺で梅図かずおさんはよくお見かけしたのだが、もちろん話をしたことはない。彼のある意味トリッキーな世界の中にあるドロドロしたものと、それを屹立させる自我、ないし作家性の強靭さというものを改めて感じさせられた。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday