【推しの子】は登場人物たちの悪業因縁を解消する救世捨身の物語だった/18世紀バロック音楽とロココ美術/状況整理と当日の段取り
Posted at 24/12/19 PermaLink» Tweet
12月19日(木)晴れ
今朝の今のところの最低気温はマイナス2.8度。寒いことは確かだ。昨日は午前中松本に出かけて整体。道場の場所が変わったのでまだ慣れないが、行きやすい道は見つけた。下道が長いので運転に気を遣うが、その分高速代は安い。時間がある時なら全部下道で行っても大丈夫そう。塩尻峠は高速の方がだいぶ距離的にも短いので、高速で行けた方が時間が少なくて済むことは確かなのだが。
まだ二回しか行ってないので地図が把握できていないが、だいぶ道の理解はできてきた。時間のある時に周辺を少し歩いてみて地理をもう少し把握したいと思う。
全体にお腹の調子、目と頭の休め方。寝る前の時間に活元運動をやると良い、と言われてなるべくやろうと思うのだが、昨日はできなかった。全体の調子は良くなってはいるのだが、もう少しかな。
やることが多いので朝は4時に目が覚めてしまったが、状況を整理しようとノートを書き始めたら今日やることの段取りをいろいろ考え始めてしまい、段取りの整理が行き詰まってしまってうーんと思ってしまうなど。年賀状がとりあえず終わって少し余裕ができたので全体状況を把握してやるべきことに手をつけていこうと思うのだけど、やるべきことの遠近感みたいなものを考えているうちに頭が動きにくくなってしまって考えが動かない、みたいなことが起こる。クリーニングに出すものをまとめても今日行く暇があるかどうか、行かなかったら出すために集めた服は出す日までどこに置いておくか、みたいな物事を解決するために考えているのに考えたために余計考えたり記憶したりする手間が増える、みたいなことがいくつも出てきて今考えなかったら良かった、みたいになることが結構多い。
考えたら即行動できる、みたいなのが考えを節約できるわけだけど、段取りしないで取り掛かると準備不足で準備からやり直し、みたいになったりもする。この歳になっても、というかこの歳になったから頭がちゃんと動く時間が短くなっているのと体の無理が効かないということでゴタゴタしてきてしまう。
それでもエイヤ、で片付けることは多いからそんなに散らかりっぱなしということはないのだけど、逆にそういう片付け方をしてしまうと今度はどこにしまったのかわからなくなることが多く、いつも探し物をしている状態になる。小人が何人かいて手伝ってくれればいいのにとはよく思う。
***
今週は「古楽の楽しみ」でドメニコ・スカルラッティを特集していて、いろいろ聞いたり調べたりしているうちに結構好きになってきた。CDも時間のある時に探してみたいと思う。ただチェンバロという楽器が自分はあまり好きでない、少し喧しい感じがするので合奏曲とかピアノ編曲のようなものから聞いてみようかなとは思った。
「古楽の楽しみ」も聴き逃し配信ができる回とできない回があるようで、それなら録音するかと思い、再生を考えるとスマホで録音できないかと思って幾つかアプリを探してみたのだが、まだどれがいいのかわからないのでもう少し考えてみたいと思う。
バロック音楽の歴史も少し調べてみて、16世紀までのルネサンス音楽に代わり、17世紀初頭から18世紀中頃までが一応バロック音楽ということになっていて、その中でも前期・中期・後期があり、私などがバロック音楽として認識しているバッハ・ヘンデル・ヴィヴァルディ、それにスカルラッティなどは皆「後期バロック」に含まれる、ということがわかった。つまりは18世紀後半に始まる古典派音楽の時代を準備した存在、というふうにも考えられるということなのだろう。
昔から18世紀なのになぜ音楽はバロックなのか、ロココではないのか、と思っていたのだけど、美術が17世紀に多くの英雄を出している、特に17世紀スペインは黄金世紀と言われ、ベラスケスやスルバラン、ムリーリョなどの巨匠を多く生み出している。それに対し17世紀の音楽はルイ14世の宮廷音楽、リュリやラモーが同時代になるわけで、音楽として現代でも盛んに演奏されるものは18世紀のものが多いから、盛期が1世紀ずれているということなのだなと思う。美術の18世紀はロココ調のより洗練とか繊細とか情緒的という方向に流れるが、音楽はこの時代がある種の大成期で、ジャンルにより構築性の性格が違うということもあるのだろうと思うが、面白いなと思う。
美術は作品が残るから後世の人もそれを研究して発展させやすいが、音楽は19世紀の録音機の発明までは先達に習うしかないのでより秘事的になり、オープンな発展がさせにくかったということも大きいのかもしれない。
***
昨日は音楽ついでにヴィヴァルディについても少し調べていたのだが、ヴェネツィアでは長男にアントーニオと命名することが多かった、という話が面白いなと思った。アントニオ・ヴィヴァルディの名がそういう理由でつけられたとは、と思ったわけだけど、もう一つは「ヴェニスの商人」の主要な登場人物である貿易商のアントーニオの名もそれに由来するのか、アントーニオは長男だったのか、ヴァッサーニオは長男ぽくないが確かにアントーニオはそういう感じだな、と思ったのだった。最近はユダヤ人差別ということで上演機会は減っていると聞いたことがあるが、私は中学生の時に脚本・演出で「ヴェニスの商人」をクラス演劇でやったことがあるので、なんとなく懐かしいものがあるのだった。
***
【推しの子】の最終16巻が発売になって、またいろいろな批評や感想が出ているけど、「仏教的なラストだった」と感想を書いている人がいて、私もそう思っていたので我が意を得たり、とは思った。
何というか、華やかなキャラクターたちの割に、登場人物たちはみな、悪縁とか悪業みたいなものを抱えている。主人公アクアの生まれ変わる前のゴローも祖母と二人暮らしで、彼が行方不明=死んでいた後には祖母も亡くなり、その生家はあばら家になっている。そこに当時は「公式上」付き合っていたあかねと二人で見に行く、というのもなんだかすごい話だが、ゴローは母親が父親のわからない子を妊娠して生まれた子供、という設定になっていた。
またルビーも前世は不治の病で12歳で亡くなってしまうし、母親はそれに疲れて見舞いにも来なくなっている、生まれ変わってルビーは前世の母親を訪ねるが、彼女が死んだ後に二人の子供をもうけて幸せに暮らしていてショックを受ける、という設定になっている。
アクアとルビーを産んだアイも母親はまだ存命だが父親は出て来ない。アイも発達障害らしきことは仄めかされているが、幼い頃から男を引きつける少女で、母親の恋人もアイの方に心を奪われるようになり、母親もアイをどうしたらいいかわからず、小さな罪を犯して服役している間に施設に預け、そのまま迎えに行かなかった。アイはそのように「家族の愛情」というものを知らずに育ち、同じように「ウソをついて生き延びる」術を身につけて大女優のショタの愛人として生きていたカミキヒカルと知り合い、カミキの子を妊娠したのがアクアとルビーの双子、ということになる。そして最終的にはカミキに唆された熱狂的なファンによって刺殺される。
芸能界の問題点、みたいなものがいろいろと語られる話ではあるのだけど、こうして書いてみただけで、いわゆる「悪業」「悪因縁」みたいなものを全て背負って生まれてきた存在であるし、それはステージママで天才子役と持て囃されたうちは大事にされていたが成長して役がつかなくなると見放された有馬かなもそうだ。黒川あかねは人にない才能の持ち主だったが恋愛リアリティショーで炎上し、自殺寸前まで追い詰められる。またそれをアクアに救われた後はアクアと「公式的に」付き合い、また舞台で共演した後は「本当に」付き合うことになり、アクアの敵としてのカミキを調べ出すなど、物語の展開にも大きな役割を果たし、最終的には自分を投げ出すような真似をしてアクアやルビーへの危害を防ごうとまでする。
アクアはこうした状況の人々の中でアイの仇を取ることだけを考えて陰鬱な青年に成長するが、皆の置かれた状況を少しでもいい方向に動かして、少しずつそうした業を解消していく。
最終的にアクアは一番深い業を背負っていた産みの父親でもあるカミキを排除し、自分も死ぬことによってこうした業や因縁を全てとは言わないまでも皆が生きていくのに十分なくらいには解消し、物語を去るわけで、そのように考えてみると実際すごく仏教的な話なのではないかと思った。
手塚治虫の「ブッダ」にも出てきたが、ある仙人が倒れていた時に動物たちがそれを助けるために食べ物をいろいろ探してきて仙人を救うのだが、ウサギは食べ物を見つけることができず、自らを食べてもらうために火に飛び込む、という話がある。アクアの行為は結局そういうことで、自分を犠牲にすることで自分を取り巻く人々の人生を少しでもマシなものにする、ということだった。
読者の不満は、アクアがいることで周りの人々が幸せになっていたのに、そのアクアが自ら死んでしまったらダメだろう、ということなわけで、それはもちろん世俗的な原理ではそうなわけだけど、それこそイエスが十字架上で死んだように、人々を救うためにはそれしかなかった、という宗教的な原理と考えなければなかなか納得しにくい、という感じはした。
まあ読者としてはそんな話を読んでいたつもりはなかったのだろうし私もそうなのだけど、登場人物たちが置かれていたかなり本当に大変な状況というものを上記のように考えてみたら、改めてそりゃそうだろうなという感じにはなってくる。
【推しの子】はつまり、令和の救世捨身の物語だったわけである。
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