キツいことをするのが気分転換にいい/「ふりかけ」の奥の深さ/ヒューマニズムに欠ける「リベラル」な人たち

Posted at 24/11/29

11月29日(金)晴れ

どうも毎日忙しい。ただ、比較的前向きなことで忙しいところが大きいのでまだいいなと思う。自分がやっている仕事の本質みたいなものに切り込んできたのはいいことだなと思う。そこら辺もまだまだやることがあるのだが。

昨日いくつか書きたいテーマということで列挙したが、今朝もあまり時間がないので大きなテーマに取り組んでいる余裕はないので、小ネタなど。

一つ目。今勉強法の本をいろいろ読んでいるのだが、なるほどと思ったことが一つあった。

「勉強の気分転換は少しキツイことがいい」という提案である。キツいことをして気分転換になるのか、と思いがちだけれども、私自身もよく気分転換に「草刈り」をすることがある。外作業というのは準備も面倒だし場合によっては着替える必要があり、手間がかかるのは難点だが、今はすぐ取り掛かれるように道具はまとめてあって、30分くらいの短い時間で場所を決めて草刈りをする。これはすぐ辛くなるのであまり時間がかからないが、外で体を動かすのは気持ちいいし、緑に触れて癒されるということもあるのだろう。頭は使わないことはないが勉強とは全く違う頭の働かせ方だから、むしろ「思考のストレッチ」のような感じがする。成果も目に見えるし、空が綺麗だとか花が咲いていたとか思わぬ発見もある。そして体が辛くなりかけたらすぐ勉強に戻ることができる。提案している方はジョギングとかランニングを例に挙げていたが、作業的な少し体に負荷のかかることがより気分転換になるような気はした。

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二つ目。今、ふりかけが売り上げを伸ばしているとのこと。

https://news.yahoo.co.jp/articles/58de01036b42d1895d2b989e29769f906f47851a

これは大きな理由として「おかずがなくてもご飯が食べられるから」、つまり食費節減という目的があるようなのだけど、そもそもふりかけの由来は、という「ふりかけの歴史」の話が面白かった。

簡単にいえば、ふりかけの話、思ったより奥が深いのである。「ふりかけの起源」にも二つあって、「ぶっかけ飯」を起源と考える「ふりかけは下品」派が一方にあり、精進料理や松花堂弁当のごま塩や紫蘇のふりかけの彩りや風味を楽しむ「ふりかけは上品」派が他方にあるというのは言われてみて大変納得した。

食文化というのは上流の食べ物は上流のものだし、下層から始まったものは基本的に庶民的なもので、上層から下層へ、という流れもある。ただ、江戸前寿司のように元々は庶民のものだったものが高級化したものもあり、そのあたりは世界的には珍しいのではないかと思う。

ふりかけもまた、上下両方に出自があるというユニークさは目から鱗だった。食文化は奥が深い。またそういう多様性を自然にふんわりと受け入れているという点で、「日本スゴい」と単純に思った。面白い。

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三つ目。最近不思議に感じることがある。リベラリズムという思想についてである。

リベラリズムというのは私の認識ではヒューマニズムに支えられた思想だったはずである。しかし最近の「自称リベラル」な人の発言やツイートを読んでいると、「話せばわかる」という対話の姿勢がないどころか、自分の気に入らない思想をの持ち主を「敵」に認定し、彼らに不幸があるとそれを嘲笑い、あまつさえそういう人たちの不幸を願ったり「死ね」などと発言したりすることが多い。

昨日の猪口参議院議員の自宅の火災とご家族のことなども、「自民党から立候補した当然の報いだ」などと理不尽な書き込みが見られるし、何よりも翻訳家などの著名な人が「アベしね」などと法の許容範囲スレスレ、考えようによってはアウトなことを平気で言い始めている。

こういう人たちを「リベラル」と呼ぶことには大いに抵抗がある。ヒューマニズムがないし、思考に自由さもない。ヒューマンでないリベラリズムなどアンチヒューマン、つまり「人でなし」と呼ぶべきだろうと思ったりした。

「リベラルとは何か」というのはまあ論点が多い問題ではあるので、また改めて書きたいと思う。

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