「多様性」を叫ぶリベラルはなぜ画一的なのか/「光と闇の思想」の西欧の傲慢さと「光と影の思想」の日本の重厚さ/「ブラタモリ」の知識を地形観察や街づくりに生かす
Posted at 24/11/24 PermaLink» Tweet
11月24日(日)薄曇り
昨日は仕事を終えて帰ってきてすぐ夕食を食べたのだが、久しぶりに油揚げとほうれん草の味噌汁を作ったら美味しかった。最近は調理をほとんどやらなくなっているが、簡単に作れる調味料などもたくさん出ているから、それを使うと比較的楽に作れるものはかなりあるなと思う。昨日も粉末の鰹出汁と液状の味噌を使ったから出汁を取ったり味噌を溶き入れる過程が省略されて結構簡単にできた。もちろん厳密にやればもっと美味しいだろうとは思うが、ここのところほとんどフリーズドライのインスタント味噌汁で済ませていたのでそれに比べれば全然マシだなと思う。
夜は気がついたらソファで寝落ちしていて、12時前になんとか起きて寝床に入り、起きたら5時前。かなりよく寝た。今朝は結構頭が動くけど、やはりちゃんと休むと違うなとは思う。おかげでずいぶんネットに熱中してしまっていて生かしきれていない面があるのだが。
今朝は6時頃車で出かける。最近はフロントガラスが凍結していることが多いのだが、今日はしていなかった。気温的には1度くらいまで下がっているので、湿度の関係だろうか。凍結しているとすぐには動けないのでしていなかったのはありがたかったわけだが。
***
今朝はガソリンを入れに隣町のスタンドまで走ったのだが、最近は明るくなるのが遅くなっている。冬至まであと一月という時期だから当然といえばそうなのだが。
隣町までの国道は、山沿いに開かれた江戸時代の旧街道に比べると新しい道で、湖に流れ込む大きな川の沖積平野を走っている。まだ暗いからライトをつけて走っていると、信号のところで道が高くなって信号の向こうから来る車のライトが見にくい。なぜそうなのかな、と考えてみると、これは交差点で交わる道が微高地を通っている、つまり尾根の続きや自然堤防などを走っていることが多いからだなと思った。ブラタモリの知識が地形観察に生かされているなと思う。
古い道はそういう意味では合理的な場所を走っているのだが、新しい道は直線を考えて作られているので、最近の大雨などでよく浸水し、通行止めになったり車が水飛沫を上げて走っていることがよくある。また、道路の横に建っている建物も、地盤沈下を起こしたり地震による液状化などで傾きやすいようだ。以前はこの辺りに警察署があったのだが、地盤沈下で悩まされていたと聞いている。管轄の範囲が変わったのを機械に、湖畔に移転したのも差もありなんという感じではあった。
開発された当時、つまり江戸時代の、水田や湿地が中心の時代とは違うし、地権者も多いから大変なのだろうとは思うが、自然地形を活かした街づくりというのももっと考えられて良いのではないかと思った。
***
多様性を研究している人文学、特にカルチュラル・スタディーズということになるのかと思うが、これらの人たちは多様性を求めているはずなのに、びっくりするくらいポリコレリベラル的な「画一的な多様性信仰」に縛られていてびっくりすることが多い。
https://x.com/mustafaalyabani/status/1860269971416240144
文化の多様性を実際に観察している人たちがむしろリベラル価値観に凝り固まっているのに対し、哲学の人たちの方がむしろラジカルな問題提起をしている、というのはパラドクシカルだがその通りだろうなと思った。
https://x.com/mustafaalyabani/status/1860269973194576168
多様性の世界を研究してより頭が硬くなっていくという現状、カルチュラル・スタディーズという学問自体の失敗だとしか思えない面はある。「多様性」を研究していると「グローバルに多様性を受け入れる基準があるのではないか」という錯覚に陥り、それこそがポリコレリベラルな価値観であるという妄信に陥れるのだろうなあという気はする。だから自分たちの「善意」による価値観を押し付ける、宣教者的な間違った価値観が生まれるのだろう。エマニュエル駐日大使などはジェンダーに関してだが、その典型的な人物だろう。
その価値観が本当に世界で受け入れられているのかがちゃんと検証されないまま金科玉条化しているのが現在のグローバルな問題の起源なのだろう。そしてそういうものに対する抗議が結実した一つの現象が、トランプ大統領の再選だったのだろうと思う。
「政治的に正しい、リベラルな、多様性を受け入れろという考え方」は、一見正義のように思える人が多いのだろうと思うが、その思想の背景には、「リベラルな「一様な」世界」こそが望ましいという実はかなり危険な考えが潜んでいるように思われる。つまりそれは各国における「多様性を尊重」しているようでいて、実際にはローカリティを排除する思想になっているからである。
運動家の暴虐ぶりは特にLGBT界隈で最近は目立つわけだが、「多様性を尊重する」と言いながら彼ら自身の思想に賛同しない人たちには非常に攻撃的であり、他の思想、つまり思想的な多様性については全く支持していないわけである。これらはアボリジニの子供たちをコミュニティから引き離し、白人の学校で教育を受けさせた「進歩主義者」たちの考え方と全く変わらないだろう。
彼ら、特にこの思想を支持するエリートリベラルにとって、グローバルに活躍の舞台が得られる環境が最適であり、そのために参入障壁になるローカリティはなるべく排除したいわけで、そのための正当化の論理として強力に使われているという面もまた無視してはならないことだろう。
リベラルという「光の思想」に対して、日本ではそれに対応する「影の思想」「陰翳礼讃」といった考え方があり、例えば文学でも「人生を重視する作家」、志賀直哉などに対し、「美を重視する作家」谷崎潤一郎などがいたが、人生を重視する作家が行き詰まりがちであるのに対し、美を重視する作家は深く沈潜して生き残る、という話を読んだ。
実際に自殺している作家を考えると美を重視する体質であるのに人生に移行してしまった芥川龍之介とか三島由紀夫とか川端康成などが思いついて、そんなに単純なことでもないと思うのだけど、日本にはそうした重厚な思想があってリベラルという光の思想のみが正義という単純なことにはなってこなかったのだと思う。
キリスト教的な世界観で言えば、「光の思想」の対極の思想はない、つまりそこにあるのは「闇=光がない状態」に過ぎないから、そこで取るべき思想はない、ということになりがちなのだと思う。リベラリストが傲慢なのは、他の思想を認めない独善性であり、それは一神教的な文明そのものがもたらす独善性だということはできるのだろうと思う。
だからリベラリズムの思想を能力に優れたメリトクラシズムのグローバリストが都合の良いものとして採用し、そうでない人々を搾取対象・ないものとして扱う対象にするということが正当化されてきたわけである。
ヴァンス次期副大統領の「ヒルビリー・エレジー」というのはそこで「落ちこぼれた人々」の記録でもあるわけで、そういう人々がリベラリズムの猖獗にノーを唱えた、というのがトランプ再選の原動力になっているのは確かだろう。
日本では与野党ともに高齢リベラルに有利な政策が進められてきたことに対し、異議を唱えたのが今回の国民民主党の「現役世代・若者重視」政策の躍進であり、光が当たらなかった彼らがついに行動を起こした、という解釈も可能だろうと思う。
「多様性を肯定する思想」というのは、本来「多様であるが故に争いが絶えない社会」において、その「有効な調整者・仲介者」として振る舞える思想であるべきだろうと思う。決して、「自らがその両者を弾圧して自分の支配下に置く」思想であってはならないと思うのだが、リベラリズムは「自らの瑕疵のなさ」にこだわるあまりに「妥協」や「経過措置」を嫌い、一気に全てを解決しようとして取り返しのつかない失敗を招く傾向にある。
少なくとも我々日本人が意図するリベラリズムというのはそんなものではなかったはずで、「思想で圧倒する」のではなく、「対立する両者をすり合わせて合意を形成する」というイメージであったはずである。
これは先の自然地形に対応しない現代建築・土木の問題にも対応する、人間社会の「設計思想」的建前に立つデカルト以来の合理主義的啓蒙思想の問題にもつながっていく。
イギリスの植民地支配が比較的うまくいったのは、フランスの合理主義的押し付けのやり方ではなく、経験論的な統治の評価があったからだと思うが、平和共存と人々の幸福を第一に考えたやり方をもっと構築していかなければならないのではないかと改めて思った。
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