「ふつうの軽音部」と「ここにしかないどこかへ」の勇者召喚/「正反対な君と僕」:体育館裏で二人で泣く卒業式/日本国憲法はなぜ改正されないか

Posted at 24/11/11

11月11日(月)雨のち曇り

昨日は一昨日の夜から妹たちと母が実家に泊まりにきていて、朝には弟も来て兄弟が揃い、午前中にちょっと話し合いをしたりして、忙しかった。その前の夜は妹の話をずっと聴いていて寝付けなくなって寝不足だったので、昨夜は外国にいる友達とメッセンジャーで通話をするつもりだったのだが寝落ちしてしまい、起きてからお詫びのメッセを送ったりしていた。

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4時前に起きてからジャンププラスを見ると「正反対な君と僕」が卒業式回、次回最終回とのこと。ずっとハスに構えているように見えた平と東が体育館の裏で泣いている場面はちょっと最高ではあった。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567256884586454

この作品は2022年の5月2日が初掲載なので、まさにコロナ禍継続中だったのだが、シリアスも挟みながら最後まで明るい感じのストーリー展開で、とても良い作品だった。高校生の心の機微がここまで描かれる作品は初めてだなと思いながら読んでいたが、途中で前作の「氷の城壁」も話題になり、こちらは鬱展開の時期が長いのが「正反対」とは違っていたけれども、またそれはそれで読み応えのある作品だった。こちらは元々は縦スクロール漫画で単行本になることはない、という話だったのだが作家さんのお骨折りで通常の単行本としても発売されることになり、こちらも次巻で最終巻というところまできている。こちらもおすすめだが、「氷の城壁」は「氷の女王」が主人公で、「正反対」はギャルっぽい明るいキャラが主人公という違いがあって、物語の基調がそれによって大きく違っているのが良い。

キャラクター的にもあえて「氷の城壁」で出てきたタイプでないキャラクターたちを描いている感じが今考えてみるととてもいい、というかいろいろなキャラクターに対する作者さんの観察眼のようなものが楽しめて良いなと思った。

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次回が最終回とのことなので、楽しみにしたいと思う。

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「ふつうの軽音部」第45話「その舞台を夢見る」について、また考えている。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567256672633938

第41話から始まる「たまき先輩」を主人公にした展開のラスト、ということなのだが、この話は完全に銀杏BOYZ「エンジェルベイビー」を抜きにしては語れない話だろう。

7ページ目、たまき先輩と彼女のバンド「性的カスタマーズ」のメンバーと主人公鳩野ちひろと内田桃が描かれている曲名紹介の場面、ここは歌詞がないからTシャツにすることが可能なようで、久しぶりにこれは欲しいなと思った。

「夜の静けさを切り裂くようにスピーカーからロックは僕に叫んだ」という歌詞は「世界が僕の心の扉を叩く」という、いわばベートーベンの第五交響曲冒頭が「運命が扉を叩く」という言葉で語られるのと同様、音楽が心の中に入ってくるそのある種の奇跡をよく表しているのだなと思った。

「ロックンロールは世界を変えて 涙を抱きしめて」というところ、ロックンロールは「自分の世界」を変えてくれた、ということを意味するとともに、リアルワールドも変える/変えたという力強さを感じさせとても感動するし、その場面にたまきと軽音部も学校も辞めてしまったけれども今でも友達である夏帆の顔が描かれているのがとても良い。

「ロックンロールは世界を変えて エンジェルベイビー ここにしかない どこかへ」という歌詞、これはこの曲の冒頭の「どうして僕いつも一人なんだろ ここじゃないどこかへ行きたかった」という言葉の世界からの、世界の変化、ロックが自分に与えてくれたもの、を具体的に語っていて、「ここ」を生きることができなかった自分に「ここ」こそが生きる場所だ、という世界の転換を与えてくれたことを表現していてすごいなと思った。

そしてちひろは、その熱狂の渦の中で、一人呆然とした顔をしてステージを見ていて、彼女の小さな瞳にはステージ上のたまきが映っている。そして「私 このステージに立ちたい」と思う。つまり、メジャーデビューや武道館や、そんな「大きな夢」に比べれば小さいかもしれないけど、「ふつうの軽音部」のメンバーの一人として、「ふつうの学校」の「ふつうの体育館」の文化祭の後夜祭のステージこそに立ちたい、それこそが「ここにしかないどこか」なのだ、と心に焼き付けられる場面が本当にすごい。

そして「私もたまき先輩みたいにいつかこの舞台で自分の感情全部さらけ出して思いっきり大声で歌ってみたい」と独白する中で、後ろの方で見ていた彩目とちひろの歌声に天啓を受けて呆けていた厘がそばにきて、目と目で意識を共有し合うのが本当にすごい、というのは昨日も書いた通りである。

そして最後のページ、「Hello my friend そこにいるんだろ」というラストの歌詞は、まさに「勇者召喚」であって、このたまきの強烈なメッセージに対し、決意を新たにするプロトコルの四人とはーとぶれいくの四人が対比されている。ワクワク感しかない。復活した軍師の目つきもまた。

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日本で憲法がなかなか改正されないのはなぜか、という話をTwitterで読んでいて面白かったので少し考えたことを。

日本国憲法はいろいろと問題がある憲法ではあるが、結局日本及び日本人はそれを換骨奪胎しながら自衛隊を運用したり「解釈改憲」でやってきた、それはもともと日本という国はそういう国であって、形式上は奈良時代に導入された「律令制度」が江戸時代まで国家の基本法だったわけだが、初期から解釈改律令は始まっていて、関白や征夷大将軍のような令外官の最高権力者が生まれたりしてきた国なのだから、そういう「憲法のような基本法がどうであっても日本が日本であることは変わらない」とみんな思っているからだ、という指摘があった。

これはまあ全くその通りだと思った。またそのことについて「存在は本質に先立つ」と表現されていたが、これはサルトルのいう「実存は本質に先立つ」という言葉を援用しているのだろうと思う。

こころとかは「心とは何か」という定義より前に存在しているわけで、日本は「日本はこういう国でありこういう国としてやっていく」という大日本帝国憲法や「日本はこういう国となることを目指す」という日本国憲法があってもなくても日本は存在する、というのはその通りだろう。

まあ「実存は本質に先立つ」という言葉はサルトルの伴侶であるボヴォワールによって展開されて「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」というフェミニズム思想の源流も生み出しているので危険な言葉ではあるのだが。

「日本がどういう国であるのか」は、源氏物語や大鏡などでも律令制度のような国家のあり方を定めた「本質=漢才」よりもそれをどう運用するかという「実態に合わせた運用=和魂=やまとごころ、やまとだましい」の方が重要であるということが言われていて、だからと言って漢籍も疎かにするな、と光源氏は息子の夕霧を一般に高級貴族が通うことはない「大学」に通わせるわけである。この辺りでは学者のかまびすしい有り様が戯画的に描かれていて、Twitterにおける一部学者の滑稽さに通じるものがあったりするなあと思ったりするわけである。西部邁さんのいう「学者、この喜劇的なるもの」に通じるものであろう。

日本の基本法である、日本の国柄と目指すべきものを定める憲法というものが重要であることは異論はないのだけれども、日本が日本らしくあること、日本人が日本人らしくあることの方がより重要だということは確かだろうなとは思う。税制や社会福祉に関する議論というのもそういう議論が避けて通れないものだからこそ、改正が難航するところもあるわけだけど、現役世代の収支構造や福祉や国防のあり方よりも「財政が健全であること」の方を重視するようなそういう意味での本質主義にとらわれがちな官僚機構というものは、ある意味頼もしい存在ではあるけれども、本質を超えた存在ないし実存の議論には適さないところはあるのだろうなとは思う。

日本人の主体は今の所「会社勤めの現役サラリーマン」であって、狭義ではそういう人たちのみが「社会人」「社会に出ている」と表現されることがあり、例えば公務員や教員、自衛隊員は「ふつうの社会人」とは考えられにくいのが実情だが、であってもそういう意味での「ふつうの人」の感覚が重要である可能性は結構ある。つまり、その辺りに「やまとだましい」の現状はあるのだろうと思う。

そういう人たちの意識がいわば「保守」の基盤であり、逆に言えば「保守主義思想」の意味は、その「社会の主体たるふつうの人たちの意識」が極端な方向に行かないように考えるよすがになること」なのだろうと思う。それは現在のwokeismへの傾斜を引き戻すことであり、また例えば日米開戦前の開戦議論を引き止めることだったのだろうと思う。だからそういうことはうまく行かないこともあるし、敗戦後に「大東亜戦争肯定論」を書かざるを得なくなったりするのだろう。

というようなことを考えた。

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関連して、天壌無窮の神勅とかについていろいろ考えていたのだが、私は割と日本は豊かな農業国というイメージを持っていて、その根源は「豊葦原之瑞穂国」という日本の美名から来ているのだなと思った。黒ボク土という日本の火山性土壌に適した稲作という農業形態が普及したことこそが、日本が日本として成立した所以だったのだろうなと思う。稲作原理主義みたいなものはやや生きすぎだろうとは思うけれども、稲作を守っていくことは日本が日本である上ではおそらくは重要なのだろうと思う。

とりあえず蛇足っぽいが付け足し。

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